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2006年5月20日 (土)

主の祈り

「主の祈り」は、弟子たちが主イエス・キリストに教わった祈りです(ルカ11・1-4)(マタイ6・5-15)

 天におられるわたしたちの父よ、
「父よ」とあるのは、神様が私たちのお父さんであり、神と人間が父と子の関係、つまり信頼関係であり、親に見守られて生きることを示しています。父には怖いイメージもありますが、助けてくれたり、力づけてくれるイメージもあります。また、頼りになる存在であり、神が我々に命を与えてくださったように、全能と言われている能力があることを示しています。

全幅の信頼から「父よ」と言いますが、なぜ母でないかというと、母には優しい、身近、愛情深いイメージがありますが、父には正義や善悪のイメージがあるからだといわれています。

「天におられる」と言うのは、天上におられるという意味ではなく、我々の能力を超越したお方である、人間にできなくても神様には可能であるという意味で、お願いの実現や助けをしてくださる頼りがいのある存在であることを示しています。

み名が聖とされますように。
「み名」とあるのは、名は体をあらわすように、神としてたたえられ、神として尊敬され、敬う気持ちを示します。

み国が来ますように。
神様が支配される国、神様の望まれるような愛に包まれ、信頼される国を望みます。戦争などの悪ではなく、神様がおられ力を発揮される国です。み旨が実現される国を実現するには、一人一人に聖なるものになるような生き方が求められます。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。
神様の望んでおられるような行いをした人のみが天国に居ますが、地上はそうではありません。我々が神様のみ旨を果たし、国を築きます。(ここまでは精神的な事に関する祈りです)

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
私たちの生活に必要なもの(衣食住)を与えてくださいと祈ります。世界の65億人のうち、十分な食事ができるのは1/3だけで、家のない人もいるなど、現実の社会は必要なものが十分ではありません。「わたしたち」とあるように、自分だけでなく、みんな、兄弟のことを考えないといけません。

わたしたちの罪をおゆるしください。
罪をおかしたとき、許してくださいと願います。「わたしたち」とあるのは、自分だけでなく、家族、日本、世界、人間の兄弟など、に祈ります。世界には、今も様々な犯罪がおきています。

わたしたちも人をゆるします。
いつまでも根に持つのではなく、神様に赦しの秘跡で何でもゆるされるように、神の愛を思い、人の罪を許します。しかし、それは決してたやすくありません。聖書では「「仲間を赦さない家来」のたとえ」(マタイ18・21-22)にあるように、2回も3回も7の70倍まで、際限なくゆるせと言われています。「人を裁くな」(マタイ7・2)のようにあなたたちの量りで量られます。

わたしたちを誘惑におちいらせず、悪からお救いください。
この世に生きている限り、色々な誘惑にあいます。「長老たちへの勧め」(一ペトロ5・8)にあるように餌食を求めるライオンに警戒します。落とし穴に落ちないように、悪魔からの誘惑から守りお救い下さいと願います。

主の祈りはミサやロザリオの祈りのほか、十字架の道行きの信心などでも唱えることがあります。キリスト教の最も代表的な祈りのひとつと言えるでしょう。

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