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2006年5月15日 (月)

ロザリオの祈り

Rosario_1 ロザリオはラテン語でバラ(ローザ)の花輪と言う意味です。もともとは、マリア様をたたえる「恵みあふれる聖マリア~」(聖母マリアへの祈り)と唱えるごとにマリア像にバラを捧げていたことが始まりです。バラがないときは別の花を捧げていたようですが、それもできないときのために草の実でロザリオを作るようになったようです。5世紀ごろに始まり12~13世紀に盛んになったようです。

ロザリオの祈りは、まず

  1. 十字架で信仰宣言をします
  2. 独立した玉で主の祈りを唱えます
  3. 連なる玉のところで聖母マリアへの祈りを各1回、合計3回唱えます
  4. 独立した玉で栄唱を唱えます
  5. 輪とつないでいるところ(第1玄義)で主の祈りを唱えます

つぎに輪のところで

  1. 連なる玉のところで聖母マリアへの祈りを各1回、合計10回唱えます
  2. 玉のないところで栄唱を唱えます
  3. 独立した玉(第2玄義~)で主の祈りを唱えます

上の1~2を一連とよび、1~3を繰り返します。一周を一環と呼びます。一環で50回マリア様をたたえます。

ルルドでベルナレッタの前にマリアさまが現れたとき、ロザリオを持っておられたそうです。そして、ロザリオの祈りを自分だけでなく、人のため、亡くなった人のために祈るようになったようです。

16世紀のレバントの戦いでは、トルコ艦隊と戦うキリスト教徒は劣勢でしたが、教皇がロザリオの祈りを全世界に呼びかけ、勝利したそうです。

ロザリオの祈りは一連、一連キリストの生涯を考えながら唱えます。祈りの本には、喜び、苦しみ、栄光、光の玄義が載っています。それぞれ、イエスの生誕、受難、復活、変容・聖体などを黙想して祈ります。

ロザリオがあると祈りやすくなり、誰でもどこでも祈れます。バスや電車に乗りながら、歩きながらでも祈れます。写真のようなロザリオのほか、指ロザリオという一連だけのロザリオもあります。朝、昼、夜と少しずつ、一日一環というように毎日のように唱えることが望ましいとすすめられています。

もともとは、曜日ごとに以下のように目安が定められていました。

喜びの神秘として月曜と木曜(光の神秘参照)に、告知、エリザベト、お生まれ、神殿にささげられる(お宮参り)、神殿に迷子になる、を思い浮かべてそれぞれ一連祈ります。

苦しみの神秘として火曜と金曜に、ゲッセマネ、鞭に打たれる、茨の冠、十字架を背負わされる、十字架に貼り付けられる、を思い浮かべてそれぞれ一連祈ります。

栄光の神秘として水曜、土曜、日曜に、復活、天の国に昇られる、弟子に聖霊が下る、マリア様が天の国にのぼられる、マリア様がすべての人の母(元后:げんこう)である、を思い浮かべてそれぞれ一連祈ります。

前教皇であるヨハネ・パウロII世は光の神秘を追加され木曜とされました。ヨルダン川で洗礼を受ける、カナの婚礼、福音宣教のはじめ(「神の国は近づいた」と言われた)、キリストの御変容、御聖体の制定、を思い浮かべてそれぞれ一連祈ります。

私たちは神様のことを忘れてしまいがちですが、この世のことに心を奪われないで神様のことを思い出すように祈ります。

寝付けないときにも良いと言われています。寝る前に感謝して祈ります。途中で寝てしまっても、あとは天使が唱えてくれると言われています。

ロザリオの祈りは庶民的な祈りです。昔の修道者は毎日3環を唱えたそうです。息をしているように神様に祈ります。

お店には、大ロザリオといってゴルフボールほどの玉で、輪の直径が1メートルほどのものがありますが、子どもに説明するとき以外は実用的なものでなく、飾っておくものだそうです。

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コメント

はじめまして。
ヨゼフィーネと申します。堅信名です。

事後承諾の形になってしまったのですが、私のブログでこのページを紹介させていただきました。

もし、おいやでしたらすぐに消しますので、どうぞお知らせください。

ご一報まで。


http://blogs.yahoo.co.jp/m_josephine13/9396627.html

投稿: josephine | 2007年12月 2日 (日) 05時17分

すこし補いますのでお許しください。
前の教皇は、毎日3環しておりました。
光の神秘を作ってからは、喜びの神秘の後で4環でしょう。

喜びの神秘・苦しみの神秘・栄光の神秘の3つの神秘は、透きわたる3段階の論理です。
マリア様は800年以上前に聖ドミニコに伝え、まとめさせました。73歳で死んだマリア様に合わせて「めでたし」を50回ではなく73回となえるフランシスコ会のロザリオもあります。
修道院の聖務日課の詩篇150章に対応して150回の「めでたし」をとなえます。
聖務日課・詩篇は修道院用で読めなかった平信徒は、そのかわりにロザリオの祈りをしていました。マリア様にいのり、神さまの栄光につながることを目標にしています。
第一段階の最初は喜びです。単純なよろこびです。子供のような素朴な喜びです。
神様に受け入れられ、許され、愛され、救われたことを知ったわたしたちが洗礼を受けた時のような大きな喜びの段階です。
第2段階のその「よろこび」の正反対にくるのが「くるしみ」の段階です。「くるしみ」は「喜び」の否定です。第1の否定です。
洗礼をうけても「よろこび」段階のままでおわるのではなく、神は「くるしみ」をあたえます。試練を与えます。其の人に耐えられる範囲で与えます。「神は耐えられない試練をあたえない」といいます。苦しみを与えるのはなぜかというと神さまの栄光を味わうためです。神さまは人間に、自分と同じ「似姿」でつくった人間に対して、神の栄光を味あわせたい親心があるためです。
「神の栄光をたたえる」のが私たち人間の人生の目的です。それを人間にもあずからせたいと神さまは思っています。これが「永遠のいのちにあずかる」の意味です。
「くるしみ」の段階は、「喜び」の段階の記憶を持ったままですから余計「くるしみ」ます。(「よろこび」を知っている人間だからこそ、ヨブのように何故?とか、不平・不満・苦情・原因追究があふれます。)
しかし、そのままでおわらず苦しみを十分味わった後で「もう駄目だ」と感じた段階で、はじめてあたらしい「よろこび」の段階にすすみます。それが「栄光」。
第3段階の「栄光」の段階にすすみます。喜びが苦しみになるのが第1の否定です。苦しみが栄光になるのが第2の否定です。十字架上の死が復活される段階です。この段階はよろこびとくるしみを通過した段階です。喜びが苦しみになるのが第1の否定で、苦しみが栄光になるのが第2の否定です。喜びの痕もあり苦しみの痕もある両方をあわせもつ段階ともいいます。復活されたイエス様は洗礼者ヨハネからの洗礼のあとがあるようにまた復活されたイエス様に苦しみの痕の5つの傷があります。両方があるので、それを<否定の否定>段階ともいいます。よろこびはくるしみとなり苦しみは栄光となるという3段階をへる祈りがロザリオです。人間は喜び苦しみ、栄光に達し、神の「みわざ」(栄光)をたたえます。人間もイエスさまのように苦しみ死んで復活して栄光に入ります。神の栄光にあずかるのです。それがすばらしいロザリオの祈りです。(光の神秘は喜びの段階にはいります。喜びを強め広げ満たしたのが光です。)

投稿: ほのぼのとのんびりと | 2008年5月18日 (日) 10時23分

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