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サーバントは革命の言葉。ビジョンを示せ! - サーバントリーダシップ私論 -

サーバントリーダは雑用でなく、プロデューサあるいはコーディネータのようなセクシーな仕事、新しい時代を切り開く改革者だと思います。

サーバントリーダは雑用?

インターネットラジオのRebuild: 123: The Grail Dialogue (Naoya Ito)を聞いていると、サーバントリーダシップには「良いアニキ問題」があるとのこと。雑用しかしないで、答えが出せず、ビジョンがないとのこと。

このようなリーダだと仕事はやり易いものの、部下が成長できない罠にはまりがち。ビジョンがないので、大事なところを忘れがちだとのこと。

たしかにサーバントは僕(しもべ)ですが、そんなつまらないサーバントリーダにはなりたくない!、、ということで、理想とするサーバントリーダシップについて書きます。

サーバントは革命の言葉

「僕(ぼく)」の語源をご存じでしょうか?無血革命といわれる明治維新の直前、幕末に生まれました(人称代名詞「僕」は近代の始まり - 前田吉之輔の我楽多日記)。

階級社会であった幕末いおいて「君主の下においては平等である」という意味で使われました。竜馬がゆく等の司馬遼太郎さんの小説においても、土佐では上士と郷士、長州においては全ての階級において「ガラガラポン」された様子が描かれています(「神の下の平等」から西洋で革命が起きた事と似ていますね)。

サーバントリーダは革命の志士

サーバントリーダが起こす革命は自律的組織の実現です。トップダウンのコマンドコントロールでないと動けない人を増やすのではなく、共に考え、共に成長する組織の実現を目指します。

サーバントリーダは常にチーム全体を見ていますから、直接開発に携わる事は少なくなるかも知れません(ものづくりは楽しいですから、その意味ではやや犠牲的)。

しかし、それは犠牲的に雑用をする負債的管理職ではなく、将来のビジョンを示し、道を示し、各自が進んでなすべき作業を分担する中で、リーダ自身もなすべき仕事を果たします。

リーダ自身がシャカリキになるよりもうまくいきそうだったら、調整が中心になるかもしれませんが、「ここは俺の出番だ!」と言う時は調整から開発まで何でもやるでしょう。

リーダであるからには責任を持っていますから、ビジョンや方向性を示して導かないといけません(調べてみると日本サーバント・リーダシップ協会のWebページにもビジョンという言葉が出ています)。

リーダは未来を見通し、チームの協力を得て、共に成長し、リスクを見極め、問題を的確に攻め、ゴールを達成します。そういうセクシーな仕事だと思います(チームを守り育てる - セクシーな中間管理職 -)。

奉仕は犠牲でなく喜び

サーバントというと奉仕者という意味があります。奉仕だから犠牲的と思われるかも知れません。しかし、奉仕というものはその先に喜びがあるからする行為です。

多くの奉仕者で実現されるオープンソースの開発においも、何らかの喜びがあるから多くの奉仕が行われます。利己的ではないですが、その作業を担う事によって喜びというメリットがあります。

リーダの喜びはプロジェクトの成功です。自分の思い通りのソフトウェアではなく、自分も含めてチームの持てる力を最大限に発揮することでより大きな喜びを得るのです。

おわりに

ソフトウェア開発は常にリスクとの戦いです。なまぬるい開発はほとんどなく、新たな挑戦の連続です。そこでは、幕末の坂本龍馬のように大局を見極めて、問題を的確に攻める必要があります([#TiDD] アジャイルは戦略 - 「竜馬がゆく」にみる坂本竜馬のアジリティ -)。

初めに書いた様にサーバントリーダーシップという言葉は、それまでの経験で色々な捉え方がある様です。そこで、今回は私が敬愛する坂本龍馬からイメージするサーバントリーダーシップの私論を書きました(坂本龍馬のリーダーシップ)。

サーバントリーダシップに限らず、成功のイメージができなければプロジェクトは成功しません。この記事がプロジェクトの成功に向けた新しい時代の夜明けに向けた参考になっていれば幸いです(古くて新しいサーバントリーダシップにつづく)。

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