習熟ではなく熟練
先日書いたねじ止めの話で
最近は売れる本しか出版されないのもこのような状況も後押ししているかもしれません。「ここを見て勉強しろ!」と言えるWeb ページがあれば良いのかもしれませんが、もっと本質的なところで何か忘れているような気がしてなりません。
と書いていましたが、「すべてのプログラマに効く 危険なプログラムの処法箋」なる本を見つけました。確かにそんなところもあるので、こんな感じで勉強をすれば良いかなと思わなくはないですが、やっぱり知識だけではだめですよね。
ねじ止めの例で言うと、仮止めをして対角線に止めればそれだけでよいかといえば、やっぱり違いますよね。加工のズレを補正するのが目的ですから、ズレを確認して、ズレが少なくなるように工夫して止めなければ意味がありません。
単に作業をこなすだけでなく、本質的な事柄を理解して工夫することが重要ではないでしょうか。ハンフリーさんの本を初めて読んだときも「訓練、訓練、訓練」などと出てきて、なにか違うと感じていました。
それは、エンジニアに大切なことは、習熟することではなく、熟練することだと思うからです。エキサイトの大辞林 第二版 (三省堂)によると
習熟:習い覚えて、よく通じていること。
熟練:十分に経験を積んで、上手なこと。高度な技能と経験を有すること。また、そのさま。
と書かれています。もちろん、訓練には熟練するための訓練もあるかとは思いますが、単純な訓練ではなく、工夫する経験を通して熟練することがエンジニアには必要だと思います。
ソフトウェア開発は基本的に一品ものです。その開発には、原理を正しく理解して、応用できることが必要です。時にはすり合わせという工夫も必要です。単純に効率だけを重視していると、いつか痛い目にあうと思うのは私だけでしょうか。
補足:CMM(I)というかSEIの考えでは、教育とかPeople CMMをうまく生かしていくことになるのだと思いますが、品質や生産性で力尽きてうまくいっていないところが多いのではないでしょうか?
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