2008/04/11

合理性に勝る大切なもの

 心のともしび第600号に渡辺和子シスターが「美しい光景(リンク先は心のともしび)」というマザーテレサのお話を書かれています。

 助かりそうな人ではなく、助かりそうにないホームレスに手当をすることを問われ、マザーは生きている間じゅう邪魔者扱いを受けた人が、生まれて初めて優しい看護を受け、感謝して亡くなっていく様子を語られます。中にはほほえみさえ浮かべるその姿は、「それはそれは美しい姿」だそうです。

  誰もが均等に一度だけ与えられる死という大切な時、「愛された」という経験で尊厳を取り戻すことに役立った薬や人手は、「美しいもの」を生み出すために役立ったのです。たとえ薬や人手が不足しがちであっても、それは大切なことなのでしょう。

  災害時の医療技術としてトリアージという治療の優先度を決定する方法があります。限られた時間と資材・人材の中でなるべく多くの人命を救うための方法です。そこでは、助からない人に治療をすることは許されず、助かる人にのみ治療が行われます。マザーの行為は、一見それに反する非合理的な行為に思えます。

  しかし、マザーの行為が間違っているとは思えません。誰もが幸せになるために命が与えられたはずです。その最後のチャンス、もっとも緊急に手当てが必要な人にマザーは手当をしていたのです。

  世の中は、どんどん合理化が進んでいます。すべてのことがお金を中心に回ってしまいがちです。どんな手段を使ってもお金を得らればよいような風潮があります。しかし、それが本当に大事なことか、それのためにはすべてを捨てて良いのか、しっかりと考えなければなりません。幸せとは何か、忘れていることはないのか、たとえ薬を与えられなくても、そばにいることはできないか、単純な合理性を考えるだけでは見失ってしまいがちな、大切なものを見失わないようにしたいと思います。

<')))><

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/10/14

神の似姿 - 聖フランシスコ「太陽の賛歌」 -

神の似姿というと(創世記1・26)で

神にかたどって創造された(日本聖書協会 新共同訳)

とされる人間のことが思い浮かびます。この表現、以前から違和感がありました。ギリシャ神話か日本神話にあるような、多神教的なイメージを抱いてしまったり、進化した宇宙人が遺伝子操作で作りだすといったSF的なイメージを抱いてしまいます。

このようなイメージは多神教的です。Good News Collectionにあるように神様が唯一絶対でないと、欠点をイメージしてしまい、どうもいけません。では、この「似姿」とはなにか?それが以前からの疑問でした。

川下勝著「アッシジのフランチェスコ」(清水書院、pp.167-172)に「太陽の賛歌」(リンク先はLaudate)が載っています。この太陽の賛歌はGood News Collectionにあるように、晩年の聖フランシスコが「死」というものを「姉妹」として讃えている点が特徴的です。この賛歌の中にも「似姿」という言葉が出てきます。

太陽は美しく、
  偉大な光彩を放って輝き、
  いと高いお方よ、
  あなたの似姿を宿しています。

これには衝撃を受けました。「太陽が似姿を宿している」という神って何なのでしょう。内部で核融合を起こしている「光源」や「熱源」あるいは「磁気嵐」が神だというのでしょうか?きっと、そんな物理的なことは決して表していないのでしょう。すると、何だというのでしょうね。

色々と思いを巡らしていると、ある言葉が思い浮かびました。

「神は愛」

すなわち、「似姿」とは、愛を実体化したものと考えることにしたのです。

神を信じるというのは、この世の出来事は偶然ではなく、完成に向けた神のご計画によるものであるとすることです。世の中を科学的にどんどん分解していけばいくほど、よくできていることがわかってくるといいます。最先端の科学者は神の姿を感じるといいます。

陽子の周りを電子がまわって原子になり、原子が集まり分子になり、分子が集まって物質ができ、色々な物質があつまって星になり、そして大きな星を小さな星が回ってまるで原子のように惑星系や恒星系になっています。すべてのことがよくできているのです。

私が生まれたことも、妻と結婚したことも、父が亡くなったことも、遠藤周作に出会ったことも、洗礼を受けたことも、すべてのことに意味があり、すべては良い方向に向かっているのです。

すべての物が被造物で、被造物は神の愛を実体化しているのです。

鳥や自然を愛した聖フランシスコは、すべての被造物に、いや、死をも含めたすべてのものに、愛そのものである神を感じていたのでしょう。

(この記事を考えているうちに、遠藤周作さんの「深い河」に出てくる神父さまは、聖フランシスコがモチーフなのではないかと思うようになりました)

<')))><

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/07/26

喜びと思うなら、神からの呼びかけ - 10人の聖なる人々 その3 -

10人の聖なる人々」の最後はマザー・テレサです。
マザー・テレサは「修道女になるように」と“内なる声”を聞きました。そのとき、マザーは冷静に、本当の神からの呼びかけであるかをどうやって確かめれば良いかと考えたようです。

この疑問に対してヤンブレンコヴィチ神父は、「もし、神と隣人に仕えることを喜びと思うなら、それは本当の召命なのだ」と教えられたようです。マザーは「自分がそれをうれしいと感じるかどうか」を修道生活に入る指針とされたようです。

このお話を読んで、マザーの修道名である「テレサ」の元になった小テレジアを思い出しました。小テレジアはカルメル会で行われていた鞭打ちの信心行を、「御旨でない」と感じてやめたそうです。イエスさまの受難を体感する信心行であっても、身体の弱いテレジアは喜びを感じることができなかったのでしょう。

また、遠藤周作さんの「沈黙」では、神父が苦しみの中で踏み絵を踏み、棄教するさいに「踏むがいい」という神の声を聞くシーンがあります。このシーンは結構批判もあったようです。しかし、それが救いであり、喜びであり、恵みであるなら、それは神の言葉なのでしょうね。

最近、ちょっと書き込みのペースが落ちていますが、がんばろうとは思いません。のんびりしているうちに、書くことが喜びになるようなそんな瞬間が来るのですよね。そんな時には、意識していないのに、振り返ると「あしあと」の詩(リンク先はMAGIS)のように抱きかかえてくれている神様が、傍らで微笑んでいるんですよね。

無理をしなくても、絶対に切れない蜘蛛の糸のような愛でつながってくださる神さま。どんなに罪を犯しても、何度も、何度もゆるしてくださる神さま。あせらなくても、きっと喜びを与えてくださると思っちゃうんですよね。

<')))><

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/07/04

コルベ神父の最後の晩餐 - 10人の聖なる人々 その2 -

10人の聖なる人々」(リンク先はアマゾン)今回はコルベ神父の感想です。

死を迎える時についてあまり考えたことがありませんでしたが、この本では色々と考えさせられます。コルベ神父がアウシュビッツでほかの方の身代りに亡くなられたのはすでに書いたとおりですが、なぜアウシュビッツに行かれたかは知りませんでした。

勝手にユダヤ系の方だと思っていたのですが、「ナチスに対する破壊活動」の罪で逮捕されていたのですね。日本でも「聖母の騎士」を発行されていますが、もともとは母国のポーランドで「聖母の騎士」を発行されていて、日本で発行後、教会の命令で母国にもどられて「聖母の騎士」をはじめとする活動を続けられていました。

この真実を伝える活動がナチスの思想と合わなかったのでしょう。当初、コルベ神父にドイツ国民になるように勧めたナチスは、懐柔できないとわかるとアウシュビッツに連行したのです。

コルベ神父は連行される情報をあらかじめ得ていて、懇意にしていた5人の修道士と食事をともにされました。コルベ神父が院長を務めていた修道院は、聖母の騎士を発行するため、切り詰められるだけ切り詰めた食事しかとらなかったそうです。しかし、この最後の晩餐ではケーキとお茶が出たそうです。それまでコルベ神父と共に食事することもなかったので、理由を知らない修道士の方たちは驚きと喜びで満たされたでしょうね。

この本には、Good News Collectionでも紹介されていた神谷美恵子さんのことも書かれています。神谷美恵子さんは結核と乳がんで2度死を覚悟されています。そのときのことを「自己の生命に対する防御的配慮が一切必要でなくなった時こそ、人はもっとも自由になる」と書かれています。

コルベ神父も死を覚悟された時、それまでのこだわりを捨てて修道士たちとの最後の思い出作りができたのかもしれません。そのように考えると、アウシュビッツで身代りになった時も、義務感や憐みといった人の感情から進み出たのではなく、素直な気持ちで神の望まれる行動をとられたのだと思います。それは真に聖人と呼ぶにふさわしい行動だと思います。

<')))><

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/03/29

メダイと祝福(祝別)

Medai0_1 最近はロザリオが流行っていて、首にかけるべきじゃないとか、中世の聖人は首にかけていたから別に良いなどと議論されていましたが、「かみさま とだらば」の記事によると今度は「不思議のメダイ」(リンク先は心のともしび)が流行っているようです。

不思議のメダイは、聖カタリナが出現された聖母マリアさまから作るように言われたものです。各々の指に三つづつ指輪は四方に輝き渡り恵みを表し、足元の球は世界表します。楕円形のわくの中には、『原罪なくしてやどり給いし聖マリア、御身に依り頼み奉る我等の為に祈り給え』と書かれています。

そして裏面には、一本の横木と、十字架をいただい大きなMの字、その下には、茨の冠でかこまれたイエズスのみ心と、剣でさしつらぬかれたマリアのみ心があります。

インターネットで検索してみると、ブームに乗って、金製や銀製のメダイを売るためか、アルミ製の不思議のメダイを配っているサイトが結構あるようです。

安心しておすすめできるのは、あの「心のともしび」です。不思議のメダイのほか、要理の本とイエス様の生涯の本ももらえますので、ぜひ読んでください(通信教育となっていますが、回答しなくても問題ないようです)。

Medai00_2 このメダイというのはラテン語で、いわゆるメダルのことです。不思議のメダイ以外にも色々なメダイがあります。写真は、先日ローマのお土産にいただいたメダイです教皇様とサン・ピエトロ寺院が描かれています(光の具合もあってちょっと表情が怖いですが、「魔よけ」ではありません:-)。

ちなみに、メダイやロザリオは神父様に祝福(祝別)していただくと良いといわれています。

カトリック亀有教会のWebページによると、祝別(祝福)には以下の3種類があるようです。

人の祝別・・・子供、成人、病人など
物の祝別・・・家、土地、車、家庭祭壇、お墓など
信心と礼拝の為の物の祝別・・・聖画、ロザリオ、聖水、メダイなど

ドミニコ会研究所編「カトリックの教え」(ドン・ボスコ社、pp.107-108)によると、祝福は教会が定めた聖なるしるしである準秘跡で、以下のように書かれています(数字はカテキズムの節番号)。

祝福は神のみ業と恵みへの賛美であると同時に、信者が神の恵みを福音の精神にしたがって用いるようにと願う教会の取次ぎでもあります。[1678]

つまり、物に対して祝福するときも、それを身につけたり、用いる人のために祝福するのでしょう。

<')))><

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007/02/17

聖コルベ神父と26聖人 - 天使のゼノさん -

ゼノさん、あなたは殉教をおそれますか。」とたずねたミキシミリアノ・マリア・コルベ神父(本文中ではマキシミリアン・コルベとされています)は、「わたしといっしょに二十六聖人の殉教の地である日本に行きましょう。」日本26聖人のお話をして、ゼノさんと共に日本に来られました(桑原一利著「日本二十六聖人の祈り 天使のゼノさん」pp.11-12,聖母文庫)。

あるとき、コルベ神父は二十六聖人の記録の中に、聖マチアスを見つけて深い感動を持って読んだ、と話されました。この聖マチアスは、逮捕者の名簿に載っていなかったのですが、別人の料理人マチアスがいなかったので身代わりになったそうです。コルベ神父は聖マチアスがヨハネ福音書(ヨハネ11・46-57など?)の証をしたと感動されていたのです。

料理人のマチアスについても、立派な人生だと語られました。

この人は、自分が選ばれなかったことを残念に思い、しばらく悲しみましたが、自分の身代わりになった聖マチアスのことを誇りに思い、彼の身代わりの愛を讃えることに、残りの生涯のすべてを費やしたのです。これもなかなか出来ることではなかったでしょう(pp.80-82)。

このように聖マチアスを語ったコルベ神父は、アウシュビッツで同じように身代わりになられました。(pp.121-122)

ナチスのアウシュビッツ強制収容所では、同じ部屋から脱走兵が出ると十人が餓死刑になります。コルベ神父のおられた14号棟から脱走兵が出て、10人が選ばれました。その中の一人フランシスコ・ガヨビニチェク氏は

「さようなら、かわいそうな妻、かわいそうな子供たち、孤児になるなよ。ああ、子供たちに会いたい。」

と叫びながら列に並び、泣きながら立っていました。すると、コルベ神父は疲労でフラフラでしたが、軍曹の前に進み出て言いました。

「わたくしは、カトリックの老いた司祭です。妻子ある、あの人の身代わりに、自分を連れて行ってください。」

こうして、コルベ神父は知らない囚人の身代わりになるという愛の行為で、囚人たちを永遠の命の中に導きました。また、

身代わりになったコルベ神父は、真っ裸にされ、食事と水のかわりに屈辱のみを与えられましたが、いつもきちんとした司祭らしい態度を守り、賛美歌を先唱し、祈りを捧げ、みなを最期まで祝福し、励ましました。地下室はまるで教会のようだったと言っています。

多くの囚人が2週間を過ぎると死ぬ中、肺結核と気管支炎を患っていたコルベ神父は3週間目まで生き長らえ、フェノール注射で殺されました。そのときも、とてもやさしい顔で注射をしたドイツ人の目をじっと見たそうです。

本文中には「自己犠牲」という言葉が書かれていますが、そんな言葉では表し難い愛を感じます。遠藤周作は「沈黙」の中で、踏み絵を踏もうとする神父に「踏むがよい」と言わせますが、そんな神の姿を、コルベ神父は見ていたのだと思います。

脱走者は1年ほどで収容所に戻り、処刑されたそうです。命を救われたフランシスコ・ガヨビニチェク氏も戦争が終わって家に帰ると、すでに子供たちは亡くなっていたそうです。なんと戦争は残酷なのでしょう。そんな中で、神がコルベ神父を通して示された愛はよけいに輝いて見えます。

ガヨビニチェク氏は93歳まで長生きされたそうです。会うすべての人にコルベ神父の愛を語り継いだそうです。そして、いつも

「自分が殺されて、優秀な司祭だった神父さまが生き残ったほうが、もっと多くの人を救えてよかったに違いない」

と、言われ、聖コルベ神父に祈られていたそうです。コルベ神父は亡くなられましたが、その愛は永遠に語り継がれました。

殉教した聖マチアスもすばらしいですが、殉教しなかった料理人マチアスもすばらしいと思います。同じように聖コルベ神父もすばらしく、ガヨビニチェク氏もすばらしい人です。

<')))><

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2007/02/15

汚名を着せられるとき、あなたがたは幸い - 天使のゼノさん その1 -

桑原一利著「日本二十六聖人の祈り 天使のゼノさん」(聖母文庫)を読みました。26聖人の天使が出てきて、ちょとファンタジックな本です。

コルベ神父から日本二十六聖人の話を聞いて日本に来た修道士のゼノさんは、26聖人に守られながら日本で暮らします。聖母の騎士を発行するとき、コルベ神父の書かれたラテン語を大浦天主堂の梅木神父が日本語に訳そうと悪戦苦闘していると、ことばの天使 聖パウロ三木が現れてニューロンを操作します。

傍にいたゼノさんには言語野のニューロンを善意に移動させます。聖母の騎士は順調に発刊され、ゼノさんは言葉の発達は止まりますが、「マリアさまにお祈りタノミマース」と言いながら、良い行いをたくさんするようになりました。そんな感じで、事実とファンタジーを織り交ぜながら話が進みます。

戦争中は大変だったようです。そして、原爆投下によって長崎の町は壊滅状態になり、多くの人が亡くなりました。しかし、コルベ神父が選んだ土地、多くのキリシタンの骨が下に埋まっているとされた土地に建っていた修道会は、比較的小さな被害ですみました。

戦後になって、ゼノさんは「カワイソこども」をあつめて聖母の騎士園をはじめます。慈善事業を始めたゼノさんは、長崎県知事から孤児救済会長を命ぜられ、各地の孤児を集めました。

蟻の町の神父とも呼ばれていたゼノさんは、蟻の町のマリアと呼ばれた北原怜子さんと共にアリの町をはじめ色々なところで奉仕して、多くのマスコミにも取り上げられました。

そんなゼノさんに対して、マスコミを利用して寄付させるのは正しいことかと批判されました。「蟻の町に十字架」という教会を建て様としている記事が新聞に載ったときは、神父でもないのに、売名行為だと批判されました。空き瓶の回収や下着の配布でさえも偽善と批判されました。そんなとき、ゼノさんは言いました。

「あなた、そんなこと考える、自分かわいいからね。自分かわいいと他人にどう思われるか、気にするね。自分どう思われる、これ、関係ないよ。自分、まず、捨てなさい。カワイソこども、たっくさーんいます。ゼノ、死ぬひまもないくらい、いそがしいよ(p.169)。」

そんな元気なゼノさんでしたが、ゼノ少年牧場を設立するころには体が弱り、日本も変わってきました。ゼノさんだから協力したのにゼノさんが運営しない、ただで働かせてゼノさんは何もしない、売名行為だと批判された時には、

もう、自分の活躍の場はないのだろうか。日本は変わってしまったのだろうか。

と悩みました(p.266)。

ポーランドから言葉のわからない日本で奉仕し、帰る機会があるのに帰らずに、全国のボロのひと、カワイソこどもを数え切れないくらい助けたゼノさんは、外にも出られなくなり、ついに「ゼノ、頭、ボロなりました」

売名行為とさげすまれ、感謝の言葉のかわりに悪口を言われたゼノさんでしたが、さいごに幸せなひと時がやってきました。1981年教皇ヨハネ・パウロ2世が日本にやって来られたのです。東京カテドラル聖マリア大聖堂横のカトリックセンターで教皇に謁見したとき、周りの人たちはゼノさんが教皇とわかるかどうか心配だったようです。しかし、教皇が

「ゼノさん、長い間、貧しい人や、かわいそうな人を助けてくれて、ありがとう」

とゼノさんの手を握り、頭をなで、車椅子のまま抱きかかえるようにされると、ゼノさんは、

「パーパ、パパ、パーパ」

と、大きな泣き声をあげました(p.289)。その様子はTVで中継され、ゼノさんにお世話になった人、ゼノさんを知っていた人、そして蟻の街を描いた「星の降る街」を演じたタカラジェンヌたちもゼノさんに感謝の涙を流したのでした。

謁見の翌年、コルベ神父と長崎に上陸してちょうど52年の1982年4月24日、天使のようなゼノさんは、マリア様に抱かれて帰天されました。

この本を読んで、先日のミサの朗読箇所を思い出しました。

人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。(ルカ6・22-23)

アーメン

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

<')))><

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/02/06

愛は、行為にあらわれるものです - アリの町のマリアを読み終えて -

やなぎやけいこ著「アリの町のマリア」ドン・ボスコ社を読んでいたとき、マザーの言葉が目に入りました。

愛は、愛するというだけでは
何も残すことができません。
それだけでは意味がないのです。
愛は、行為にあらわれるのです。
そしてその行為は奉仕です。
愛のほんとうの意味は、
神との結びつきからでなければ
わかることができません。
その神との結びつきから
家族への愛、あなたの周りの人たちへの愛、
貧しい人たちへの愛、
これらが自然に実を結ぶのです。
(「マザー・テレサ 日々のことば」女子パウロ会 p.33)

まるで、アリの町のマリア北原怜子さんのことを書いたような言葉です。今も世界中で多くの人が、さまざまな所で、色々な奉仕活動をされているのでしょうね。実践こそ愛、せめて身の周りの小さな奉仕からでもはじめようと思いました。

そういえば、映画「マザーテレサ」では、会議に高い水が出たことを問題にして、マザーが協会を解散してしまったことを思い出しました。マザーも北原怜子さんと同じように、隣人と同じ目線で接していた人だったんですね。

<')))><

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/02/05

日本26聖人殉教者

Stj26 2月5日は日本26聖人殉教者(リンク先はWikipedia)の祝日です。日本26聖人は、1627年および1629年に列福、1862年に列聖されました。所属教会の守護聖人でもあります(写真は聖堂内にある二十六聖人殉教の碑)。

バテレン追放令(リンク先はWikipedia)ののち、二十六聖人の指導者である聖ペトロ・バプチスタ神父は豊臣秀吉の許可を得て布教していましたが、3年目の1596年、浅間山の大爆発で本州の中央に灰や石が降った後、近畿での大地震により伏見城や方広寺大仏殿が破壊され数万人が死亡、さらに台風と豪雨で多くの町や村が壊滅しました。

そんなときにおきたのがスペインの商船サン・フェリペ号が嵐にあい、土佐の浦土に入港しました。キリシタン嫌いの領主の土地に入港してしまったことから、スペインは日本を占領しようとして、宣教師を送っている、サン・フェリペ号には多くの兵士と武器が載っていたと、偽りの報告がなされます。

これに怒った豊臣秀吉が、24人に耳と鼻そぎの刑を命じました。しかし、サン・フェリペ号のスペイン人の嘆願と石田光成の寛大な処置によって左の耳たぶを少し切るだけですみました。その後、京都、大阪で引き回されました。

この後に死刑の宣告を受け、長崎への道を歩みました。道中で、フランシスコ会士の元にいた大工の聖フランシスコ吉(右端)、イエズス会のオルガンチノ神父から差し入れを依頼された聖ペトロ助四郎(右から3番目)が、殉教者の列に入ることを執拗に願い、26人になりました。

大阪から陸路、海路800キロの道を長崎に移動しました。栗原一利著「天使のゼノさん」(聖母の騎士社)pp.42-43によると、西坂の刑場では、聖アントニオ(右から10番目、背の低い左側)の両親が「アントニオ、アントニオ」と泣いていたそうです。二人は、アントニオを助けるように叫ぶのではなく、「アントニオ、私たちもいっしょに十字架に付けるよう、お役人にお願いしてくれ」と、怒鳴っていたそうです。聖パウロ三木の説教を何度も聞いていた役人は、じわっと涙したそうです。

トマス・オイデンブルグ、シーグフリド・シュナイダー著「日本二十六聖殉教者」(中央出版社)p.45によると、十字架にかけられたときに聖パウロ三木修道士(右から6番目)は、キリストの御教えを説いて磔になることを神に感謝して言いました。

「わたしはキリスト様に倣いまして、わたしも迫害する人々をゆるします。わたしは、いささかも、その人々をうらみません。わたしは神が、すべての人々の上に、あわれみを垂れたもうことを祈ります。そして、わたしの流す血が、同胞のみなさまの上に、豊かなみのりをもたらす慈雨となりますように願っております。」

志を翻すことを期待して、最後に聖ペトロ・バプチスタ神父(右から11番目、アントニオの左)が処刑されましたが(「日本二十六聖殉教者」pp.47-48)、

聖なる永遠の司祭は、みなの者が、雄々しくも殉教の血を流したのを見て、喜びと慰めに満たされた。そして、集まったキリシタンたちに向かっては、信仰を固く持してとどまることをすすめ、一方、異教徒に対しては、改心を力強く説き続けた。そして、死刑執行人たちの罪が許されることを天父にこいねがい、やりで脇腹を貫かれて息絶えたのである。かれの口元には、わが事なれりという安心と満足の微笑が、たたえられていた。

このような日本26聖人の願いは、隠れキリシタンに、そしてゼノ修道士によって引き継がれました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/11/17

聖トマス・モア - わが命つきるとも -

プロテスタントというとルターやカルヴァンから始まった教派が有名ですが、英国国教会からはじまる聖公会という教派があります。イギリスは元々カトリックの国でしたが、ヘンリ8世が離婚を認めさせるために、教会を国王の下に置いたことから始まったのが英国国教会です(そんな経緯からか聖公会は比較的カトリックに近い教派(リンク先は教派いろいろ対照表)です)。

その英国国教会が生まれるころに大法官を務めたトマス・モア(リンク先はWikipedia)を描いたのが「わが命つきるとも」(リンク先は歴史映画の部屋)です。トマス・モアは政治家と弁護士の守護聖人で、理想郷を描いた風刺作品「ユートピア」の著者としても知られ、空想的社会主義の一人とされることもあります。

このトマス・モアは、とても頑なにカトリックの教えを守った人です。子どもができないからと離婚して再婚しようとするヘンリ8世に対して、職を失っても、命を失っても認めようとしませんでした。

今でこそカトリックでも離婚に対して少しは寛容になりましたが、当時はまだまだ厳しかったこともあるのでしょう。しかし、ヘンリ8世の身勝手さもかなりひどいものです。はじめの奥さんは亡くなったお兄さんの奥さんで、当時は許されない結婚をローマ法王に特別に認めさせておいて、今度はそれを無効だと認めさせようとするなんて、今でも許されるべきものではないでしょう(結局6人もの王妃と結婚したようです)。

しかし、トマス・モアという人は頑固です。スパイのような人間を皆が捕まえろと言った時も「悪魔でも法を犯すまでは無罪だ!法による悪魔の保護は結局は君のためだ」と法律の遵守を主張します。また、いよいよ処刑されるときにも「私は王より神のしもべとして死ぬ」と教えを守ります。

マルクスの著書に「空想から科学へ」というものがあるように、空想的社会主義は批判的な言葉です。しかし、その理想を大切にする精神には、学生のころから惹かれるものを感じていました。そんなトマス・モアがカトリックの聖人であったとは、不思議な縁を感じています。

日ごろの生活を送るの中で、ついつい「このくらいなら」と罪を重ねがちですが、少しでも本来のあるべき姿を考えて、大切にしていきたいと思わせる映画でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/10/29

聖テレーズの祈り 小テレジア(その3)

今日のミサは「盲人バルティマイをいやす」(マルコ10・46-52)でした。このお話はキリストがバルティマイという盲人の物乞いが、その信仰によって見えるようになったお話です。

「あなたの信仰があなたを救った」とキリストが言われたように、盲人はキリストを信じていました。「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください」と叫び、キリストに呼ばれると「盲人は上着を脱ぎ捨て、躍り上がってイエスのところに来た」のです。その信仰の強さが、奇跡を呼びました。

このお話を聞いて、心のともしびの記事を思い出しました。以前紹介した「求めるものは何でも得られる」です。祈りは届いても必ずしも願いどおりにはなりません。しかし、いちばん良い恵みが与えられます。

リジューの聖テレーズはそのことを知っていました。カルメル会に入会しようとしたときに、まだ若いからと、認められませんでした。そのとき、こう祈りました。

イエスさま、私の決心の強さを、まだ試そうとなさるのでしょうか?どんな試練をお与えになっても、結構です。でも、それに耐える力と、それをくぐり抜ける賢さもお与えください。(やなぎやけいこ著「イエスの小さい花 -リジューの聖テレーズの生涯-」p.86)

これは、テレーズの母親から教えられたのだと思います。テレーズの母親が末期ガンになり、ルルドの泉に行くことになりました。そのときにテレーズの母が言いました。

治してくださることがみ旨であっても、治らないことがみ旨であっても、同じように感謝して受け入れましょうね。それが、わたしたちにとってもみんなにとっても、一番良いことに違いないのだから。(やなぎやけいこ著「イエスの小さい花 -リジューの聖テレーズの生涯-」p.30)

母親に奇跡は起きず、しばらくしてなくなりました。しかしその悲しみの中で、信仰によって家族に生きる勇気が与えられたと思います。私たちを救うのは、私たちの信仰であるということなのでしょうね。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006/10/26

神さまの弱点 - 小テレジア(その2) -

やなぎやけいこ著「イエスの小さい花 -リジューの聖テレーズの生涯-」の続きです。

聖テレーズが生きた19世紀後半のカトリック教会では、苦行を積んで功徳を積み、正義の神と取り引きするという考え方が一般的でした。聖テレーズは生まれたときから体が弱く、鞭を使うような、当時のカルメル会の厳しい苦行は御旨でないと考えたようです。

そこで、聖テレーズは遠藤周作のような愛の神、いつくしみの神、すなわち、結果よりも意向を見てくださるような神の母性を感じていたようです。それは、こんな言葉で語られています。

階段の上に「ママ」がいるとき、階段の下にいる幼い子どもは、どうにかして「ママ」の所へ行きたいと、小さい片足を上げる。だが、高すぎる階段には昇れずに、転んでしまう。それでも、幼い子は何回でも同じことを繰り返す。「ママ」のそばに行きたくて、しかたがないからである。すると、「ママ」はたまらなくなって階段を駆け降り、幼い子を腕に抱き上げて、階段を登ってくれる。テレーズの知っている神は、この「ママ」のような神であった。

どんな過ちをしても、
「ごめんなさい。もうしないから、許してください」
と心から言いさえすれば、神は必ず許してくださる。「取り引き」の材料はいらない。だから彼女は、空っぽの手で神の前に出ることを恐れない。それどころか、その空っぽの手を、いとおしくさえ思う。空っぽであればあるほど、神の恵みを多く受けられると思うからである。(p.124)

聖テレーズは、このような無限の神の愛を感じていました。聖テレーズが修練長のとき、ある修練女が、ゆるしの秘跡を受けても、同じ過ちを何度も繰り返すと打ち明けたとき、テレーズはこんな風に言いました。

「だいじょうぶ。神さまは全能ですけれど、一つだけ弱点がおありになるの。それは『忘れっぽい』ということです。あなたが『ごめんなさい』と心から言ったら、以前にあなたのしたことなど、すっかり忘れておしまいになるの。だから、心配しないで。さあ、イエスさまに『ごめんなさい』のキスをなさい」(pp.134-135)

キリストのように生きようと、自分に厳しくすることもすばらしいことです。でもそれは大変難しいことです。もし、素直にさえなれたなら、日常の生活の中での自分の過ちや弱さを認めることはできるでしょう。そして、すべてを神にゆだねることができたなら、思い悩むこともなくなり、人はようやく安らぎを得ることができるのだとと思います。

神に頼らずに、一人で頑張ることを前提にするなら、なぜうまくいかないだろう、もっと頑張らないと、結果を出さないと、なんてダメなんだ、と考えてしまいます。そこには苦悩しかありません。

しかし、神の愛を信じていたなら、きっとうまくいく、見守られているのだから落ち着いて行動しよう、やろうとすることが大事なんだ、ダメでもわかってもらえる、そう思えます。それが、小さき花の与えられた恵み、主の平安に包まれた生活だと思います。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2006/10/25

イエスの小さい花 小テレジア(その1)

やなぎやけいこ著「イエスの小さい花 -リジューの聖テレーズの生涯-」(ドン・ボスコ)を読みました。

リジューの聖テレーズ(リンク先はWikipedia)は色々な名前で呼ばれています。
「幼きイエスのテレーズ」、「小テレーズ」、そして、「小さき花のテレーズ」です。フランス語ではテレーズ(The're`se)ですが、ラテン語、独語ではテレジア(Theresia, Teresia)、英語圏・スペイン語圏ではテレサ(Teresa, Theresa)になります(リンク先はWikipedia)から、相当な組み合わせで呼ばれていることになります。ちなみにマザー・テレサのテレサは聖テレーズの名からとられているそうです。

「幼きイエスのテレーズ」というのは、カルメル会に入った際の修道名が「幼きイエス」だったからです。最初の修道誓願の際に第2の修道名「聖い(とうとい)面影」を得たので正式には「聖い(とうとい)面影の幼いイエスのテレジア」になります。

また、聖アヴィラのテレサ(イエズスのテレサ)が「大テレジア」と呼ばれることから、「小テレジア」とも呼ばれています。

さて、「小さき花のテレーズ」と呼ばれるテレーズには、こんなお話があります(pp.40-41)。テレーズが姉のポリーヌに、神さまはなぜすべての魂に同じだけの恵みを与えられないかとたずねました。

すると、ポリーヌはテレーズに大きいコップと小さいコップを持ってこさせました。そして、両方のコップに水をいっぱいにして言いました。

「さあ、このコップ、どっちがいっぱいかしら」
「両方ともいっぱいよ。もうこれ以上入らないわ」
「そうね。天国の魂もこれと同じよ。神さまは、それぞれの魂が楽しむことのできるだけの幸福をくださるの。だから、小さい魂の聖人が、大聖人をうらやましがることもないの。ばらやゆりの花は確かにきれいだけれど、世界中に、ばらかゆりしかなかったらどうかしら?すみれやひな菊のような、小さい花があるからこそ、世界は美しいのでしょう?」

人はついつい他の人と比べて、自分のことを不幸だと思ってしまいます。しかし、自分なりに精一杯に咲くことができれば、他の花に負けないくらい幸せな花になることができるということでしょうね。聖テレーズは結核に侵されて24歳で亡くなりましたが、短いながらも美しく、見事に咲いた一生でした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/10/19

教会の一致と平和 - 聖アウグスチヌスの思想 -

聖アウグスチヌスの続きです。Wikipediaによると

アウグスティヌスの思想的影響はキリスト教にとどまらず、西洋思想全体に及んでいるといっても過言ではない。

とされているほど、のちの西洋の思想に影響を与えました。アウグスチヌスの思想は、前回紹介した回心に基づくもので、Wikipediaには以下のように書かれています。

アウグスティヌスは人間の意志を非常に無力なものとみなし、神の恩寵なしには善をなしえないと考えた。
しかし、忘れてはならないのはこのようなアウグスティヌスの思想の背景には、若き日に性的に放縦な生活を送ったアウグスティヌスの悔悟と、原罪を否定し人間の意志の力を強調したペラギウスとの論争があったということである(ペラギウス論争といわれる一連の論争はキリスト教における原罪理解の明確化に貢献している。)。

プロテスタントにつながる思想

このアウグスチヌスの考え方は、プロテスタントに繋がっています。ルターは聖アウグスチノ修道会(リンク先はWikipedia)から出ていますし、カルヴァンの予定説(リンク先はWikipedia)や罪深さを強調するジャンセニスム(リンク先はWikipedia)も影響を受けています。

聖イグナチオが自らの意思で心の中の神の声を聞いたのに対して、Wikipediaの予定説の解説では

その人が神の救済に与れるかどうかは、予め決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことではそれを変えることはできないとする
    :
救済に与れるかどうか全く不明であり、現世での善行も意味を持たないとすれば、虚無的な思想に陥るほかないように思われるが、実際にはそうではない。プロテスタントの信仰を持った人は自分こそ救済されるべき選ばれた人間であると考え、救済された証しを得るために現世での職務に励んだのである。

とされていて、その後の資本主義の発展に寄与した(リンク先はWikipedia)背景が書かれています。

このほかにも、アウグスチヌスの思想は東方教会との分裂のきっかけ(リンク先は新しき中世)にもなったと言われています。

アウグスチヌスの考えが、教会内の派閥争いや、免償符(いわゆる免罪符)に代表される教会の腐敗という時代的背景と重なって、分裂を導いたようです。

しかし、私はその考えを単純に問題があるとみなすことを望みません。なぜなら、当時は司祭を信者が選ぶなど、鹿嶋春平太さんの本にも書かれているようなプロテスタント的な運営も見られ、分かれるまでは色々な考えや運営方法を持ちながらもうまくやっていたからです。

教会に問題がない時代には、様々な考えを許容して、教会は一致していました。わたしは、そこに感動するとともに希望を感じました。

正戦論

最後に、アウグスチヌスの思想の中でどうしても触れなければならないのが、正戦論(リンク先はイエズス会社会司牧センターの「カトリックと戦争」)です。ヒッポの司教であったアウグスチヌスは、様々な宗教の迫害に逢い、「条件によって戦争を肯定する」と意見を取ったのだと思われます。

しかし、この考えは徐々に拡大解釈され、のちの十字軍や近年の戦争に見られるように、自衛の名目で土地を奪い合う様になってしまいました。

この悲しむべきことが、人類を導くことにも繋がったともいえます。後のイグナチオアッシジのフランチェスコといった聖人は、こういった戦争の中で生まれたからです。また、上記の「カトリックと戦争」に、

第2次世界大戦以降から(中略)、カトリック教会は戦争を断罪し、世界平和のために全力を尽くすようになった

とされているように、人間が過ちを繰り返しながらも、自身の力で学びとることに繋がったという見方もできます。

そのような歴史に思いをめぐらすと、自由意志を与えられながらも仲間で殺しあう人間の愚かさを悲しむとともに、優しく見守り続けながらも導いてくださる御旨を強く感じます。

御国がきますように

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/10/17

求めるものは与えられる - アウグスチヌスの回心 -

永井明著「聖アウグスチヌス」(サンパウロ アルバ文庫)を読みました。異教徒であった聖アウグスチヌス(リンク先はWikipedia)は、長い苦悩のあとに回心しました。やめたくてもやめられない人間の性(サガ)から抜け出し、今を良く生きる道を歩みだしたのです。

当時の北アフリカ

アウグスチヌス(354 - 430)は北アフリカ・ヌミジア地方で生まれました。当時の北アフリカは複数の宗教・思想が入り混じった地域だったようです。母モニカはクリスチャン、父パトリキウスは異教徒でした。そんな環境に生まれたアウグスチヌスは病気で苦しんだ際に洗礼を臨んだこともありましたが、洗礼を受けてから犯した罪は思い罰を受けるという当時の教会の伝承が信じられていたので、病気が回復すると、洗礼を受けませんでした。

(この考えは、いわゆる天国泥棒と言われるものに似てます。生きている間に悪いことをやるだけやって、死が迫ると洗礼を受けると言う生き方です。様々な誘惑の多い中、洗礼はなるべく早く受けて、犯した罪は赦しの秘跡によって、神のゆるしを頂くほうが良いと思います)

当時のアフリカには様々な宗教や思想がありましたが、アウグスチヌスはマニ教(リンク先はWikipedia)に惹かれました。マニ教の教義はユダヤ教、ゾロアスター教、キリスト教、グノーシス主義、さらに仏教、道教からも影響を受けています。

グノーシス主義(リンク先はWikipedia)というと、ダ・ヴィンチコードとともに話題になった外典福音書の一つであるユダの福音書などの基になった考え方です。wikipediaによると

グノーシス主義者のほとんどは、肉体の楽しみは邪悪なものだという考えに立って、禁欲と苦しい修行とを実践した。しかし少数の者たちは、肉体が邪悪なものなら汚さなければならないと主張して、(男色など)自由奔放な行動に出た。

とされています。グノーシス主義に影響を受けたマニ教も戒律に「日常生活に執着してはならない」とあり、道徳的な宗教ではなかったようです。

キリスト教への目覚め

マニ教徒だったアウグスチヌスは、快楽に目覚めてしまいます。愛人を作り、子供まで作ってしまいます。しかも、身分の違いから母親に反対され、のちに別れてしまいます。

理論派だったアウグスチヌスは、さわやかな雄弁をもってマニ教の伝道に努めていましたが、徐々に変化していきます。まずは、その理論に納得がいかなかったこと。そして、仲間だった友人が、病気の際に親が受けさせてくれたキリスト教の洗礼を喜んだこと。そしてダビドの詩編を語ったアンブロシウスの説教です。

このように徹底的に神様の前に平伏して罪のゆるしを願い求めたダビドにこそ、私たちは学ばなければならないでしょう。イエスが愛されたのは、私には罪を犯したことがない言って胸を張っているファリザイ人ではなく、罪人であるこの私をあわれんでくださいと泣き伏した女性や、税吏や、恵まれない人だったことを思い出してください。聖ペトロもそうでした。キリストが一ばん彼を愛されたのは、----主よ、私はあなたとともにどこまでも参ります、死でも牢獄でもと、張り切った勇敢なペトロではなく、----私はイエスなんか知りませんと、主を裏切った罪深いペトロだったのです。。。。

あなたがたは、聖書の外観につまづいてはなりません。聖パウロが言っているように『儀文は殺し、霊は生かす』のです。平凡なように見える聖書の文体の奥に込められた神の霊なる真理を発見しなければなりません。

この言葉は、アウグスチヌスの心を解きほぐし、明るい光を投げかけました。聖書に対する偏見と誤解が解けたのです。

運命的な回心

しかし、キリスト教の教えに目覚めたアウグスチヌスでしたが、回心にはいたりませんでした。アウグスチヌスはこう言っています。

正直なところ、私は女性を抱くことがゆるされなくなったとするなら、こんなみじめなことはないと考えていたのです

正しいとわかっているけれどもやめられない、そんな誰しもが抱く苦悩がアウグスチヌスにはありました。アウグスチヌスはこう告白しています。

神さまに「わが身の純潔を祈りながらも、心の底では、『純潔と節制をお与えください、けれども今すぐにでなく』」と反対のことを望む気持ちがありました。

かくして苦しみは増大し、肉の欲と真理との間で苦しみます。そして泣きながら

主よ、私はいつまでこんな苦しい状態にいなければならないのでしょうか?私をゆるし救ってくださるのは、いつですか?

と叫びました。すると、『とりて、読め!』『とりて、読め!』と子供たちの声が聞こえました。この声を神のみ声として従う覚悟で、近くになった聖書(聖パウロの手紙)を開きました。

夜は更けて、日は近づいた。だから闇に行われる業を捨てて、光のよろいをつけよう。昼のように、つつしんで行動しよう。酒盛、酔い、淫乱、好色、あらそい、妬みを捨てて、主イエス・キリストを着よ。よこしまな肉の欲を満たすために心を傾けることを止めよ(ローマ13・12)

そして、アウグスチヌスの心は光に包まれ、言いようのない平安に満たさました。まさに「求めよ、そうすれば与えられるだろう」(ルカ11・9)そのものの回心でした。

人は苦しみの中で、何とか自分の力で解決しようともがいてしまいがちです。しかし、真理の前で弱さを認め、憐れみを求めたとき、人は安らぎを得て、より強く生きていけるようになる。アウグスチヌスの回心は、そんな神との接し方を示しています。

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2006/08/14

浄水通教会・大名町教会 - コルベ神父 -

Josui 九州に滞在しています。今朝は、浄水通教会でミサを捧げてきました。

ステンドグラスのきれいな聖堂で、朝のミサを捧げていると、右側のステンドグラスから朝日が射し込んできました(聖堂内の様子:「福岡の教会」上段中央)。今日は聖マキシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者(リンク先はLaudate)、あの有名なコルベ神父が殉教された日です。Josui_mass

雑誌「聖母の騎士」を創刊されたコルベ神父は長崎で神父をされていましたが、祖国ポーランドに戻られたあと、ナチスにアウシュビッツ強制収容所に入れられます。脱走者の共同責任を同じ棟の10人が取らされようとしたとき、そのうちの一人が妻と子供を理由に処刑を拒みました。そのとき、「私は神父なので、妻も子供もいない」身代わりになられました。餓死刑でしたが、コルベ神父は2週間経ってもなくならず、毒の注射によって8月14日に亡くなられました。

福音朗読(マタイ17・22-27)の前半は「再び自分の死と復活を予告する」でした。キリストが受難と復活を予告されました。お説教では、キリストは義務ではなく人々のために亡くなられた、コルベ神父も義務ではなく自ら進んで亡くなられた、義務を超えた行動こそ大事、と言われていました。

義務感で生きていると最初は燃えていても、徐々につらくなり、人間関係もぎすぎすしてしまいがちです。義務を超えたやさしさを持って生きていきたいものです。

Daimyo 午後は、福岡カテドラル・センター大名町教会に行きました。ここの教会は向かいに西鉄グランドホテルもあり、結婚式の多い教会です。階段状になった左右のステンドグラスが聖堂内を照らすゆったりとした聖堂(リンク先はHOLY RING)でした。

帰りに古書店によると、コルベ神父のお話が書かれた曽野綾子著「奇跡」が売られていました。日焼けで赤くなっていましたが、どうしても読みたかったので購入しました。あとで調べると、この本は入手が困難なようです。必要なものは与えられる、これもお恵みなのでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/08/10

聖クリストフォロ

今日の入門講座で聖クリストフォロ(リンク先は聖人カレンダー)の話をうかがいました。聖書が

聖クリストフォロは大男で、体力を使って生計を立てていました。江戸時代の大井川にあったような、旅人を背負って川を渡る仕事をしていました。あるひのこと子どもに頼まれて川を渡っていると、どんどん重くなったそうです。

聖クリストフォロ(リンク先はサンパウロ)が肩に乗せていたのはキリストで、(救い主なので)手に地球を持っていたためにどんどん重くなったというお話です。このあと、レプロブスという名前でしたが、クリストフォロ(キリストを背負う者)と名乗るようになったそうです。

聖クリストフォロは、キリストを背負ったことから、仕事にやりがいを持ちました。このお話は、「あなたが今していることによい意味を見つけなさい」という意味だそうです。

日々の生活の中には色々とつらいことがありますが、そこに意味を見出して幸せを感じることは、信仰による大きな恵みの一つだと思いました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/07/24

マザー・テレサ 日々のことば

以前、神田教会でお祈りをした際に、聖堂に置かれていた本です。その日のページが開かれ、本のそばに「ひととき、マザーにふれてみませんか」といった言葉が書かれていました。

この本は日記風にまとめられています。いろいろな機会に、様々な形で、色々な人々に語られたマザーの言葉が書かれています。たとえば昨日だと、

723

もし平和や愛が
交渉のテーブルの正しい位置に
つくことが許されないのであれば、
憎しみや怒りが、
この先何年も続く対立を生み出すでしょう。
それでは何も解決しないばかりか、
何千もの無垢な命が
失われることになるのです。
私は皆さんに、
もっとも急を要する優先課題である
平和のために祈るよう
お願いします。

最近の中東情勢を考えてしまいました。今日は短い言葉で書かれています。

724

もし私たちが願うなら、
人が失敗したときでも、
神様は、
方法を見つけてくださいます。

未来への希望を感じる言葉ですね。一日の終わりにぜひどうぞ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/07/23

聖フランシスコの「平和を求める祈り」

熊本のカトリック手取教会でいただいた「ようこそ!カトリック手取教会 ご案内」に聖フランシスコの「平和を求める祈り」が載っていました。

わたしをあなたの平和の道具としてお使いください。
憎しみのあるところに愛を、
いさかいのあるところにゆるしを、
分裂のあるところに一致を、疑惑のあるところに信仰を、
誤っているところに真理を、絶望のあるところに希望を、
闇に光を、悲しみのあるところに喜びを
もたらすものとしてください。
慰められるよりは慰めることを、
理解されるよりは理解することを、
愛されるよりは愛することを、わたしが求めますように。
わたしたちは、与えるから受け、ゆるすからゆるされ、
自分を捨てて死に、永遠のいのちをいただくのですから。

映画「ブラザー・サン シスター・ムーン」で描かれるアシジの聖フランシスコは、「霊操」や「ある巡礼者の物語」の聖イグナチオや「自己解放の祈り」のマザーテレサにも影響を与えたようです。特に映画「マザー・テレサ」のエンディングで流れるこの祈りは、マザーの考えを表していてとても感動的でした。

この祈りは、アシジの聖フランシスコの平和の祈りとして一般に知られていますが、川下勝著「アッシジのフランチェスコ」(清水書院,pp.125-126)によると、20世紀になって聖フランシスコの精神に基づいて作られた作者不明の祈りだそうです。第1次大戦当時に人類の平和を祈って北フランスで短い祈りが作られ、その後、多くの国で翻訳され、使用されるうちに現在の形に発展したそうです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/07/10

ブラザー・サン シスター・ムーン

森の中の部屋でアフィリエイトされていたブラザー・サン シスター・ムーン(リンク先は懐かしの映画館:ネタばれ注意)の廉価版が発売されました。1972年公開の映画で、始めこそ時代を感じますが、話が進むにつれ引き込まれます。

主人公はアッシジのフランチェスコです。Wikipediaによるとアッシジのフランチェスコ(1181年或は1182年 - 1226年10月3日)は、フランシスコ会の創設者として知られるカトリックの修道僧、聖人。清貧を説き、中世イタリアにおける最も著名な聖人のひとりである。とされ、イグナチオ・デ・ロヨラやマザー・テレサに影響を与えたといわれています。

お話は十字軍として遠征したフランチェスコが病気で帰郷するところから始まります。フランチェスコは十字架に磔られたきらびやかなキリストの姿や、遠征をよろこび、利益で免罪符を買おうと言う父の姿が受け入れられないようです。反面、屋根でさえずるヒバリの姿や、恵まれない人に奉仕するクララ(クララ会の聖クララ:リンク先はWikipedia)や、崩れたサン・ダミアノ教会の十字架に磔られた貧しいキリストの姿に共感します。

フランチェスコは裕福な家庭から離れ、サン・ダミアノ教会を修復します。多くの仲間にも恵まれ、順風満帆に見えたのも束の間、教会は火事になり、仲間の命も失います。

キリストのように生きようとした自分の行動が正しいものかどうか、教皇に意見を求めようとします。しかし、それは教皇や、取り巻きの人々を批判する言葉でもありました。

  • 主イエスのように生きる
  • 神の前では誰もが貧しい
  • 宝は天国に積め

教皇の取り巻きは、フランチェスコを追い出します。しかし、教皇は感動して呼び戻し、「あなたたちの貧しさに私は恥じる」とフランチェスコの足に口付け、その活動を認めます。これがフランシスコ会が正式に認められた瞬間でした。

エルサレムをイスラム教徒から取り戻そうとした十字軍の遠征は、神の名の下で行った戦争です。元々どちらのものであったかを争い、殺しあう事はキリスト者として正当な行為ではないと思います。しかし、そのような戦争が、よりキリスト的で偉大な聖人を生んだことは、皮肉なことだと思います。まさに計り知れない神様の御旨のようです。

映画の途中で、女性への思いを捨てられないジオコンドは、自身を罪人だと苦しみます。フランチェスコが「私たちは神を愛する集まりにすぎない。それぞれの力の中でだ」「男が全部独身でいれば人は滅びる」「子を持てふやすのだ」「浮気は許さんぞ」と修道会を抜けさせます。

このシーン、先日見た恋する神父を思い出させました。神に生きるのも、人を愛するのも、すべて神さまの恵みなのだと思いました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006/06/07

心の中の神にたずねる-ある巡礼者の物語-

以前、FOOTPRINTS(もりえさん、元気ですか~)のコメントをされた方が、イグナチオ・デ・ロヨラの「霊操」が紹介されていました。いつか読もうと思っていたら、「ある巡礼者の物語-イグナチオ・デ・ロヨラ自叙伝-」を先に読むと理解が深まると、とある掲示板に書かれていたので、まずはこの本から読みました。

聖人というと最初から全てを悟っているようなイメージを持ってしまいますが、この本では、ある巡礼者(聖イグナチオ)がどのように成長し、「霊操」を完成させ、イエスの友の会(イエズス会)の立ち上げに至ったかを描いています。

貴族の子として生まれた聖イグナチオは、騎士として戦って重傷を負います。その病床で「キリストの生涯」と聖人伝を読んだことからキリスト教に目覚めます。そして、全てを捨てて清貧で苦行ともいえる巡礼を行います。

巡礼を始めた頃の聖イグナチオは運に任せて道を選びます。しかし、巡礼を続ける中でその思いが神による考えか、悪霊によるものであるかを見分けられるようになります。これを霊動の辨別と呼び、霊操の根幹のようです。

この本を読んだ印象では、霊動辨別は心の中の神の声を聞くようです。人には、迷い、ためらい、こだわり、思い込み、怠惰の念が生じます。また、物事を決定する際に、思いつきやそのときの思いで決めがちです。しかし、しっかりと物事を見つめて決定すべきです。そのときに行う黙想こそが、神にたずね、神の声を聞く、霊動辨別だと思いました。

この、聖イグナチオが巡礼した時代は、宗教改革の嵐がヨーロッパに吹き荒れていた時代です。物