2010/02/28

当たり前のことを当たり前に - 聖ヨセフ -

3月19日は聖ヨセフの祝日、3月は聖ヨセフの月です。私の霊名の成人でもあります。聖ヨセフは「沈黙の聖人」とも呼ばれているそうです。以前、もし私が母親だったらと娘に尋ねた際に「寡黙な母親はいやだ」と言われた私にとってふさわしい霊名ですね。当事、あまり知らなかったのに、よく選んだものです。

心のともしび機関紙3月のテーマは「聖ヨゼフ」。森田直樹神父の「聖ヨゼフの行き方に学ぶ」(リンク先の心のともしびで全文が読めます)という記事が載っていました。

「神の恵みは、特別な人や、特別な役割を背負った人たちにだけ与えられるのではなく、地道に自らの役割を黙々と果たし、当たり前のことを当たり前に行った、この聖人のような人たちにも、豊かに注がれていることを、聖ヨゼフの生涯は、現代の私たちに語りかけていると思う。

兎角、脚光を浴びる人たちだけが注目される現代社会であるが、人間としての生き様は、もっと地道なものであり、日常の何気ない生活の中に豊かに注がれている神の恵みとともに、当たり前のことを当たり前に果たす姿にあることを、この聖人は私たちに教えてくれている。」

当たり前のことをできているかと我が身を振り返ると、決してできていません。良かれと思ってすることが、人を傷つけたり、迷惑をかけていることもあります。何気ない一言や行動で、相手に不快感を与えていることもあるでしょう。

当たり前のこと。それは、とても難しいことのように思います。でも、そんな私であっても、心の中のあの方は見守ってくれているのです。恐れず、あせらず、ただ真摯に生きていくことが大切なのでしょうね。

<')))><

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008/04/11

合理性に勝る大切なもの

 心のともしび第600号に渡辺和子シスターが「美しい光景(リンク先は心のともしび)」というマザーテレサのお話を書かれています。

 助かりそうな人ではなく、助かりそうにないホームレスに手当をすることを問われ、マザーは生きている間じゅう邪魔者扱いを受けた人が、生まれて初めて優しい看護を受け、感謝して亡くなっていく様子を語られます。中にはほほえみさえ浮かべるその姿は、「それはそれは美しい姿」だそうです。

  誰もが均等に一度だけ与えられる死という大切な時、「愛された」という経験で尊厳を取り戻すことに役立った薬や人手は、「美しいもの」を生み出すために役立ったのです。たとえ薬や人手が不足しがちであっても、それは大切なことなのでしょう。

  災害時の医療技術としてトリアージという治療の優先度を決定する方法があります。限られた時間と資材・人材の中でなるべく多くの人命を救うための方法です。そこでは、助からない人に治療をすることは許されず、助かる人にのみ治療が行われます。マザーの行為は、一見それに反する非合理的な行為に思えます。

  しかし、マザーの行為が間違っているとは思えません。誰もが幸せになるために命が与えられたはずです。その最後のチャンス、もっとも緊急に手当てが必要な人にマザーは手当をしていたのです。

  世の中は、どんどん合理化が進んでいます。すべてのことがお金を中心に回ってしまいがちです。どんな手段を使ってもお金を得らればよいような風潮があります。しかし、それが本当に大事なことか、それのためにはすべてを捨てて良いのか、しっかりと考えなければなりません。幸せとは何か、忘れていることはないのか、たとえ薬を与えられなくても、そばにいることはできないか、単純な合理性を考えるだけでは見失ってしまいがちな、大切なものを見失わないようにしたいと思います。

<')))><

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/10/14

神の似姿 - 聖フランシスコ「太陽の賛歌」 -

神の似姿というと(創世記1・26)で

神にかたどって創造された(日本聖書協会 新共同訳)

とされる人間のことが思い浮かびます。この表現、以前から違和感がありました。ギリシャ神話か日本神話にあるような、多神教的なイメージを抱いてしまったり、進化した宇宙人が遺伝子操作で作りだすといったSF的なイメージを抱いてしまいます。

このようなイメージは多神教的です。Good News Collectionにあるように神様が唯一絶対でないと、欠点をイメージしてしまい、どうもいけません。では、この「似姿」とはなにか?それが以前からの疑問でした。

川下勝著「アッシジのフランチェスコ」(清水書院、pp.167-172)に「太陽の賛歌」(リンク先はLaudate)が載っています。この太陽の賛歌はGood News Collectionにあるように、晩年の聖フランシスコが「死」というものを「姉妹」として讃えている点が特徴的です。この賛歌の中にも「似姿」という言葉が出てきます。

太陽は美しく、
  偉大な光彩を放って輝き、
  いと高いお方よ、
  あなたの似姿を宿しています。

これには衝撃を受けました。「太陽が似姿を宿している」という神って何なのでしょう。内部で核融合を起こしている「光源」や「熱源」あるいは「磁気嵐」が神だというのでしょうか?きっと、そんな物理的なことは決して表していないのでしょう。すると、何だというのでしょうね。

色々と思いを巡らしていると、ある言葉が思い浮かびました。

「神は愛」

すなわち、「似姿」とは、愛を実体化したものと考えることにしたのです。

神を信じるというのは、この世の出来事は偶然ではなく、完成に向けた神のご計画によるものであるとすることです。世の中を科学的にどんどん分解していけばいくほど、よくできていることがわかってくるといいます。最先端の科学者は神の姿を感じるといいます。

陽子の周りを電子がまわって原子になり、原子が集まり分子になり、分子が集まって物質ができ、色々な物質があつまって星になり、そして大きな星を小さな星が回ってまるで原子のように惑星系や恒星系になっています。すべてのことがよくできているのです。

私が生まれたことも、妻と結婚したことも、父が亡くなったことも、遠藤周作に出会ったことも、洗礼を受けたことも、すべてのことに意味があり、すべては良い方向に向かっているのです。

すべての物が被造物で、被造物は神の愛を実体化しているのです。

鳥や自然を愛した聖フランシスコは、すべての被造物に、いや、死をも含めたすべてのものに、愛そのものである神を感じていたのでしょう。

(この記事を考えているうちに、遠藤周作さんの「深い河」に出てくる神父さまは、聖フランシスコがモチーフなのではないかと思うようになりました)

<')))><

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/07/26

喜びと思うなら、神からの呼びかけ - 10人の聖なる人々 その3 -

10人の聖なる人々」の最後はマザー・テレサです。
マザー・テレサは「修道女になるように」と“内なる声”を聞きました。そのとき、マザーは冷静に、本当の神からの呼びかけであるかをどうやって確かめれば良いかと考えたようです。

この疑問に対してヤンブレンコヴィチ神父は、「もし、神と隣人に仕えることを喜びと思うなら、それは本当の召命なのだ」と教えられたようです。マザーは「自分がそれをうれしいと感じるかどうか」を修道生活に入る指針とされたようです。

このお話を読んで、マザーの修道名である「テレサ」の元になった小テレジアを思い出しました。小テレジアはカルメル会で行われていた鞭打ちの信心行を、「御旨でない」と感じてやめたそうです。イエスさまの受難を体感する信心行であっても、身体の弱いテレジアは喜びを感じることができなかったのでしょう。

また、遠藤周作さんの「沈黙」では、神父が苦しみの中で踏み絵を踏み、棄教するさいに「踏むがいい」という神の声を聞くシーンがあります。このシーンは結構批判もあったようです。しかし、それが救いであり、喜びであり、恵みであるなら、それは神の言葉なのでしょうね。

最近、ちょっと書き込みのペースが落ちていますが、がんばろうとは思いません。のんびりしているうちに、書くことが喜びになるようなそんな瞬間が来るのですよね。そんな時には、意識していないのに、振り返ると「あしあと」の詩(リンク先はMAGIS)のように抱きかかえてくれている神様が、傍らで微笑んでいるんですよね。

無理をしなくても、絶対に切れない蜘蛛の糸のような愛でつながってくださる神さま。どんなに罪を犯しても、何度も、何度もゆるしてくださる神さま。あせらなくても、きっと喜びを与えてくださると思っちゃうんですよね。

<')))><

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/07/04

コルベ神父の最後の晩餐 - 10人の聖なる人々 その2 -

10人の聖なる人々」(リンク先はアマゾン)今回はコルベ神父の感想です。

死を迎える時についてあまり考えたことがありませんでしたが、この本では色々と考えさせられます。コルベ神父がアウシュビッツでほかの方の身代りに亡くなられたのはすでに書いたとおりですが、なぜアウシュビッツに行かれたかは知りませんでした。

勝手にユダヤ系の方だと思っていたのですが、「ナチスに対する破壊活動」の罪で逮捕されていたのですね。日本でも「聖母の騎士」を発行されていますが、もともとは母国のポーランドで「聖母の騎士」を発行されていて、日本で発行後、教会の命令で母国にもどられて「聖母の騎士」をはじめとする活動を続けられていました。

この真実を伝える活動がナチスの思想と合わなかったのでしょう。当初、コルベ神父にドイツ国民になるように勧めたナチスは、懐柔できないとわかるとアウシュビッツに連行したのです。

コルベ神父は連行される情報をあらかじめ得ていて、懇意にしていた5人の修道士と食事をともにされました。コルベ神父が院長を務めていた修道院は、聖母の騎士を発行するため、切り詰められるだけ切り詰めた食事しかとらなかったそうです。しかし、この最後の晩餐ではケーキとお茶が出たそうです。それまでコルベ神父と共に食事することもなかったので、理由を知らない修道士の方たちは驚きと喜びで満たされたでしょうね。

この本には、Good News Collectionでも紹介されていた神谷美恵子さんのことも書かれています。神谷美恵子さんは結核と乳がんで2度死を覚悟されています。そのときのことを「自己の生命に対する防御的配慮が一切必要でなくなった時こそ、人はもっとも自由になる」と書かれています。

コルベ神父も死を覚悟された時、それまでのこだわりを捨てて修道士たちとの最後の思い出作りができたのかもしれません。そのように考えると、アウシュビッツで身代りになった時も、義務感や憐みといった人の感情から進み出たのではなく、素直な気持ちで神の望まれる行動をとられたのだと思います。それは真に聖人と呼ぶにふさわしい行動だと思います。

<')))><

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/03/29

メダイと祝福(祝別)

Medai0_1 最近はロザリオが流行っていて、首にかけるべきじゃないとか、中世の聖人は首にかけていたから別に良いなどと議論されていましたが、「かみさま とだらば」の記事によると今度は「不思議のメダイ」(リンク先は心のともしび)が流行っているようです。

不思議のメダイは、聖カタリナが出現された聖母マリアさまから作るように言われたものです。各々の指に三つづつ指輪は四方に輝き渡り恵みを表し、足元の球は世界表します。楕円形のわくの中には、『原罪なくしてやどり給いし聖マリア、御身に依り頼み奉る我等の為に祈り給え』と書かれています。

そして裏面には、一本の横木と、十字架をいただい大きなMの字、その下には、茨の冠でかこまれたイエズスのみ心と、剣でさしつらぬかれたマリアのみ心があります。

インターネットで検索してみると、ブームに乗って、金製や銀製のメダイを売るためか、アルミ製の不思議のメダイを配っているサイトが結構あるようです。

安心しておすすめできるのは、あの「心のともしび」です。不思議のメダイのほか、要理の本とイエス様の生涯の本ももらえますので、ぜひ読んでください(通信教育となっていますが、回答しなくても問題ないようです)。

Medai00_2 このメダイというのはラテン語で、いわゆるメダルのことです。不思議のメダイ以外にも色々なメダイがあります。写真は、先日ローマのお土産にいただいたメダイです教皇様とサン・ピエトロ寺院が描かれています(光の具合もあってちょっと表情が怖いですが、「魔よけ」ではありません:-)。

ちなみに、メダイやロザリオは神父様に祝福(祝別)していただくと良いといわれています。

カトリック亀有教会のWebページによると、祝別(祝福)には以下の3種類があるようです。

人の祝別・・・子供、成人、病人など
物の祝別・・・家、土地、車、家庭祭壇、お墓など
信心と礼拝の為の物の祝別・・・聖画、ロザリオ、聖水、メダイなど

ドミニコ会研究所編「カトリックの教え」(ドン・ボスコ社、pp.107-108)によると、祝福は教会が定めた聖なるしるしである準秘跡で、以下のように書かれています(数字はカテキズムの節番号)。

祝福は神のみ業と恵みへの賛美であると同時に、信者が神の恵みを福音の精神にしたがって用いるようにと願う教会の取次ぎでもあります。[1678]

つまり、物に対して祝福するときも、それを身につけたり、用いる人のために祝福するのでしょう。

<')))><

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007/02/17

聖コルベ神父と26聖人 - 天使のゼノさん -

ゼノさん、あなたは殉教をおそれますか。」とたずねたミキシミリアノ・マリア・コルベ神父(本文中ではマキシミリアン・コルベとされています)は、「わたしといっしょに二十六聖人の殉教の地である日本に行きましょう。」日本26聖人のお話をして、ゼノさんと共に日本に来られました(桑原一利著「日本二十六聖人の祈り 天使のゼノさん」pp.11-12,聖母文庫)。

あるとき、コルベ神父は二十六聖人の記録の中に、聖マチアスを見つけて深い感動を持って読んだ、と話されました。この聖マチアスは、逮捕者の名簿に載っていなかったのですが、別人の料理人マチアスがいなかったので身代わりになったそうです。コルベ神父は聖マチアスがヨハネ福音書(ヨハネ11・46-57など?)の証をしたと感動されていたのです。

料理人のマチアスについても、立派な人生だと語られました。

この人は、自分が選ばれなかったことを残念に思い、しばらく悲しみましたが、自分の身代わりになった聖マチアスのことを誇りに思い、彼の身代わりの愛を讃えることに、残りの生涯のすべてを費やしたのです。これもなかなか出来ることではなかったでしょう(pp.80-82)。

このように聖マチアスを語ったコルベ神父は、アウシュビッツで同じように身代わりになられました。(pp.121-122)

ナチスのアウシュビッツ強制収容所では、同じ部屋から脱走兵が出ると十人が餓死刑になります。コルベ神父のおられた14号棟から脱走兵が出て、10人が選ばれました。その中の一人フランシスコ・ガヨビニチェク氏は

「さようなら、かわいそうな妻、かわいそうな子供たち、孤児になるなよ。ああ、子供たちに会いたい。」

と叫びながら列に並び、泣きながら立っていました。すると、コルベ神父は疲労でフラフラでしたが、軍曹の前に進み出て言いました。

「わたくしは、カトリックの老いた司祭です。妻子ある、あの人の身代わりに、自分を連れて行ってください。」

こうして、コルベ神父は知らない囚人の身代わりになるという愛の行為で、囚人たちを永遠の命の中に導きました。また、

身代わりになったコルベ神父は、真っ裸にされ、食事と水のかわりに屈辱のみを与えられましたが、いつもきちんとした司祭らしい態度を守り、賛美歌を先唱し、祈りを捧げ、みなを最期まで祝福し、励ましました。地下室はまるで教会のようだったと言っています。

多くの囚人が2週間を過ぎると死ぬ中、肺結核と気管支炎を患っていたコルベ神父は3週間目まで生き長らえ、フェノール注射で殺されました。そのときも、とてもやさしい顔で注射をしたドイツ人の目をじっと見たそうです。

本文中には「自己犠牲」という言葉が書かれていますが、そんな言葉では表し難い愛を感じます。遠藤周作は「沈黙」の中で、踏み絵を踏もうとする神父に「踏むがよい」と言わせますが、そんな神の姿を、コルベ神父は見ていたのだと思います。

脱走者は1年ほどで収容所に戻り、処刑されたそうです。命を救われたフランシスコ・ガヨビニチェク氏も戦争が終わって家に帰ると、すでに子供たちは亡くなっていたそうです。なんと戦争は残酷なのでしょう。そんな中で、神がコルベ神父を通して示された愛はよけいに輝いて見えます。

ガヨビニチェク氏は93歳まで長生きされたそうです。会うすべての人にコルベ神父の愛を語り継いだそうです。そして、いつも

「自分が殺されて、優秀な司祭だった神父さまが生き残ったほうが、もっと多くの人を救えてよかったに違いない」

と、言われ、聖コルベ神父に祈られていたそうです。コルベ神父は亡くなられましたが、その愛は永遠に語り継がれました。

殉教した聖マチアスもすばらしいですが、殉教しなかった料理人マチアスもすばらしいと思います。同じように聖コルベ神父もすばらしく、ガヨビニチェク氏もすばらしい人です。

<')))><

| | コメント (7) | トラックバック (0)

2007/02/15

汚名を着せられるとき、あなたがたは幸い - 天使のゼノさん その1 -

桑原一利著「日本二十六聖人の祈り 天使のゼノさん」(聖母文庫)を読みました。26聖人の天使が出てきて、ちょとファンタジックな本です。

コルベ神父から日本二十六聖人の話を聞いて日本に来た修道士のゼノさんは、26聖人に守られながら日本で暮らします。聖母の騎士を発行するとき、コルベ神父の書かれたラテン語を大浦天主堂の梅木神父が日本語に訳そうと悪戦苦闘していると、ことばの天使 聖パウロ三木が現れてニューロンを操作します。

傍にいたゼノさんには言語野のニューロンを善意に移動させます。聖母の騎士は順調に発刊され、ゼノさんは言葉の発達は止まりますが、「マリアさまにお祈りタノミマース」と言いながら、良い行いをたくさんするようになりました。そんな感じで、事実とファンタジーを織り交ぜながら話が進みます。

戦争中は大変だったようです。そして、原爆投下によって長崎の町は壊滅状態になり、多くの人が亡くなりました。しかし、コルベ神父が選んだ土地、多くのキリシタンの骨が下に埋まっているとされた土地に建っていた修道会は、比較的小さな被害ですみました。

戦後になって、ゼノさんは「カワイソこども」をあつめて聖母の騎士園をはじめます。慈善事業を始めたゼノさんは、長崎県知事から孤児救済会長を命ぜられ、各地の孤児を集めました。

蟻の町の神父とも呼ばれていたゼノさんは、蟻の町のマリアと呼ばれた北原怜子さんと共にアリの町をはじめ色々なところで奉仕して、多くのマスコミにも取り上げられました。

そんなゼノさんに対して、マスコミを利用して寄付させるのは正しいことかと批判されました。「蟻の町に十字架」という教会を建て様としている記事が新聞に載ったときは、神父でもないのに、売名行為だと批判されました。空き瓶の回収や下着の配布でさえも偽善と批判されました。そんなとき、ゼノさんは言いました。

「あなた、そんなこと考える、自分かわいいからね。自分かわいいと他人にどう思われるか、気にするね。自分どう思われる、これ、関係ないよ。自分、まず、捨てなさい。カワイソこども、たっくさーんいます。ゼノ、死ぬひまもないくらい、いそがしいよ(p.169)。」

そんな元気なゼノさんでしたが、ゼノ少年牧場を設立するころには体が弱り、日本も変わってきました。ゼノさんだから協力したのにゼノさんが運営しない、ただで働かせてゼノさんは何もしない、売名行為だと批判された時には、

もう、自分の活躍の場はないのだろうか。日本は変わってしまったのだろうか。

と悩みました(p.266)。

ポーランドから言葉のわからない日本で奉仕し、帰る機会があるのに帰らずに、全国のボロのひと、カワイソこどもを数え切れないくらい助けたゼノさんは、外にも出られなくなり、ついに「ゼノ、頭、ボロなりました」

売名行為とさげすまれ、感謝の言葉のかわりに悪口を言われたゼノさんでしたが、さいごに幸せなひと時がやってきました。1981年教皇ヨハネ・パウロ2世が日本にやって来られたのです。東京カテドラル聖マリア大聖堂横のカトリックセンターで教皇に謁見したとき、周りの人たちはゼノさんが教皇とわかるかどうか心配だったようです。しかし、教皇が

「ゼノさん、長い間、貧しい人や、かわいそうな人を助けてくれて、ありがとう」

とゼノさんの手を握り、頭をなで、車椅子のまま抱きかかえるようにされると、ゼノさんは、

「パーパ、パパ、パーパ」

と、大きな泣き声をあげました(p.289)。その様子はTVで中継され、ゼノさんにお世話になった人、ゼノさんを知っていた人、そして蟻の街を描いた「星の降る街」を演じたタカラジェンヌたちもゼノさんに感謝の涙を流したのでした。

謁見の翌年、コルベ神父と長崎に上陸してちょうど52年の1982年4月24日、天使のようなゼノさんは、マリア様に抱かれて帰天されました。

この本を読んで、先日のミサの朗読箇所を思い出しました。

人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。(ルカ6・22-23)

アーメン

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

<')))><

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007/02/06

愛は、行為にあらわれるものです - アリの町のマリアを読み終えて -

やなぎやけいこ著「アリの町のマリア」ドン・ボスコ社を読んでいたとき、マザーの言葉が目に入りました。

愛は、愛するというだけでは
何も残すことができません。
それだけでは意味がないのです。
愛は、行為にあらわれるのです。
そしてその行為は奉仕です。
愛のほんとうの意味は、
神との結びつきからでなければ
わかることができません。
その神との結びつきから
家族への愛、あなたの周りの人たちへの愛、
貧しい人たちへの愛、
これらが自然に実を結ぶのです。
(「マザー・テレサ 日々のことば」女子パウロ会 p.33)

まるで、アリの町のマリア北原怜子さんのことを書いたような言葉です。今も世界中で多くの人が、さまざまな所で、色々な奉仕活動をされているのでしょうね。実践こそ愛、せめて身の周りの小さな奉仕からでもはじめようと思いました。

そういえば、映画「マザーテレサ」では、会議に高い水が出たことを問題にして、マザーが協会を解散してしまったことを思い出しました。マザーも北原怜子さんと同じように、隣人と同じ目線で接していた人だったんですね。

<')))><

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/02/05

日本26聖人殉教者

Stj26 2月5日は日本26聖人殉教者(リンク先はWikipedia)の祝日です。日本26聖人は、1627年および1629年に列福、1862年に列聖されました。所属教会の守護聖人でもあります(写真は聖堂内にある二十六聖人殉教の碑)。

バテレン追放令(リンク先はWikipedia)ののち、二十六聖人の指導者である聖ペトロ・バプチスタ神父は豊臣秀吉の許可を得て布教していましたが、3年目の1596年、浅間山の大爆発で本州の中央に灰や石が降った後、近畿での大地震により伏見城や方広寺大仏殿が破壊され数万人が死亡、さらに台風と豪雨で多くの町や村が壊滅しました。

そんなときにおきたのがスペインの商船サン・フェリペ号が嵐にあい、土佐の浦土に入港しました。キリシタン嫌いの領主の土地に入港してしまったことから、スペインは日本を占領しようとして、宣教師を送っている、サン・フェリペ号には多くの兵士と武器が載っていたと、偽りの報告がなされます。

これに怒った豊臣秀吉が、24人に耳と鼻そぎの刑を命じました。しかし、サン・フェリペ号のスペイン人の嘆願と石田光成の寛大な処置によって左の耳たぶを少し切るだけですみました。その後、京都、大阪で引き回されました。

この後に死刑の宣告を受け、長崎への道を歩みました。道中で、フランシスコ会士の元にいた大工の聖フランシスコ吉(右端)、イエズス会のオルガンチノ神父から差し入れを依頼された聖ペトロ助四郎(右から3番目)が、殉教者の列に入ることを執拗に願い、26人になりました。

大阪から陸路、海路800キロの道を長崎に移動しました。栗原一利著「天使のゼノさん」(聖母の騎士社)pp.42-43によると、西坂の刑場では、聖アントニオ(右から10番目、背の低い左側)の両親が「アントニオ、アントニオ」と泣いていたそうです。二人は、アントニオを助けるように叫ぶのではなく、「アントニオ、私たちもいっしょに十字架に付けるよう、お役人にお願いしてくれ」と、怒鳴っていたそうです。聖パウロ三木の説教を何度も聞いていた役人は、じわっと涙したそうです。

トマス・オイデンブルグ、シーグフリド・シュナイダー著「日本二十六聖殉教者」(中央出版社)p.45によると、十字架にかけられたときに聖パウロ三木修道士(右から6番目)は、キリストの御教えを説いて磔になることを神に感謝して言いました。

「わたしはキリスト様に倣いまして、わたしも迫害する人々をゆるします。わたしは、いささかも、その人々をうらみません。わたしは神が、すべての人々の上に、あわれみを垂れたもうことを祈ります。そして、わたしの流す血が、同胞のみなさまの上に、豊かなみのりをもたらす慈雨となりますように願っております。」

志を翻すことを期待して、最後に聖ペトロ・バプチスタ神父(右から11番目、アントニオの左)が処刑されましたが(「日本二十六聖殉教者」pp.47-48)、

聖なる永遠の司祭は、みなの者が、雄々しくも殉教の血を流したのを見て、喜びと慰めに満たされた。そして、集まったキリシタンたちに向かっては、信仰を固く持してとどまることをすすめ、一方、異教徒に対しては、改心を力強く説き続けた。そして、死刑執行人たちの罪が許されることを天父にこいねがい、やりで脇腹を貫かれて息絶えたのである。かれの口元には、わが事なれりという安心と満足の微笑が、たたえられていた。

このような日本26聖人の願いは、隠れキリシタンに、そしてゼノ修道士によって引き継がれました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)