2008/06/11

さかばのジョーと呼んでくれ!

12使徒の英語名は以前にも紹介しましたが、ロシアのことを紹介するTVで出てきたのが、ピョートル大帝。

これってもしかすると、と思ってWikipediaで調べると、ピーター、ペーター、ピエール、ペドロ、ピエトロ(スパゲティの店名)というのは聖ペトロだったのですね。ちなみに、聖パウロは
英語でポール、イタリア語パオロ、スペイン語パブロです。ピカソの長い洗礼名は以前にも紹介しましたね。

そこで私の洗礼名ヨセフを調べると、英語でジョセフ。そこまでは知っていましたが、
愛称はジョーだそうです。結構いけてる愛称で驚きました。また、聖ヨハネの英語名ジョンの愛称はジョニーやジャックですが、同じくジョーと呼ぶこともあるようです。

ついでに、妻の洗礼名セシリアを調べると、フランス語の女性名でセシル。英語ではセシリアあるいはセシールだそうで、通販で有名な会社名でした。

<')))><

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/03/12

家の祝福

皆様ご無沙汰しています。実は先日引っ越しをしました(といっても100mだけ)。そんなにため込んだつもりはなかったのですが、大量の荷物とゴミでかなり大変でした(もうフラフラです)。

日本の伝統だと、地鎮祭や上棟式などをやるのでしょうけど、カトリックでは祝福をしていただきます。神父様によると、海外では家が完成した際に行うだけですが、日本では以下の3回出来るようです。

  定礎:土台の完成
  棟上:骨組みの完成
  新築:家の完成

Syukufuku 我が家の場合は、(少しは希望を聞いてくれるものの)建売なので、入居前に一度だけ祝福していただきました。各部屋を聖水で祝福していただいたあとに共同祈願があり、これまでの感謝と未来への祈りを祈りました(冊子を読んだだけです)。

小さな家ですけど、少し幸せになりました。

(祝福をお願いした時は、聖水を入れる器(コップなど)を用意しておいた方が良いようです)

<')))><

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/12/26

ボクシング・デー

26日は聖ステファノ殉教者の祝日は、キリスト教の国ではボクシング・デーと呼ぶそうです。Wikipediaによると、

元々は、教会が貧しい人たちのために寄付を募ったクリスマスプレゼントの箱を開ける日であったことから"Boxing Day"と呼ばれる。

とのこと(スポーツのボクシングとは関係ないようです)。休日になっている国も多いようです。

大人になると箱を開けるときにわくわくするようなことは少なくなりましたが、洗礼を受けてからはクリスマスそのものが素敵なプレゼントになりました。今日一日は、クリスマスにいただいた恵みをゆっくりと味わいたいと思います。

<')))><

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/09/27

デウス=ゼウス - キリシタンの言葉 -

きょうの入門講座の余った時間で、長崎の教会のビデオを見ました。途中で、キリシタンのお話が出てきて、遠藤周作さんの本などで見たことのある「デウス」「オラショ」などの言葉が出てきました。そこで、ポルトガル人でヨーロッパの言葉に堪能な神父様が、言葉の解説をしてくださいました。

オラショ(ORATIO)
ラテン語の「祈り」。ポルトガル語ならORACAO。

パードレ(PADRE)
ポルトガル語の「神父」。父の意味なので英語のfatherと同じですね。

デウス(DEUS)
ポルトガル語の「神」。何となく似ているので確認すると、ギリシャ神話に出てくる「(大神)ゼウス」と同じだそうです。多神教のある神の名前が「神」を表すとは少し驚きです。フランシスコ・ザビエルが日本に来た際に、このデウスを仏教用語の「大日(如来)」と訳して混乱したそうですが、定義の異なる「ゼウス」が語源なら「大日」でも良かったのではないかと言うのは暴言でしょうか?

日本語になったポルトガル語には、ビードロ(VIDRO)、天ぷら、コップなどがあります(このほかにもカステラ、金平糖、カルタもそうですね)。

また、ギリシャ語は他の言語の語源になっていることが多く、biology(生物学)、philosophy(哲学)などもそうです。philosophyはフィロ(友)+ソフィア(知識)という意味で、このフィロ(友)とポ(馬)で12使徒のフィリポという言葉ができているそうです。

<')))><

| | コメント (4) | トラックバック (1)

2007/08/21

ピカソの長~い洗礼名

大抵の洗礼名は、聖書の中の名前を一人、多い人で二人いただくものだと思っていましたが、世の中にはとんでもなく長い人もおられるようです。

独特の作風と、青の時代のように時期によって作風が変化したことで知られるパブロ・ピカソはスペイン生まれで、こんなに長い洗礼名だったようです。

パブロ、ディエーゴ、ホセー、フランシスコ・デ・パウラ、ホアン・ネポムセーノ、マリーア・デ・ロス・レメディオス、クリスピーン、クリスピアーノ、デ・ラ・サンティシマ・トリニダード

Wikipediaによると、2回の結婚をしたほか、愛人もいたようです。また、平和主義者でしたが、60歳を過ぎてから共産党に入党し、生涯共産党員でした。

洗礼名の長さと信仰の深さはあまり関係がないようです。

<')))><

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2007/07/05

ミサ = mission

「ミサは義務です!」、、、なんていう話ではなく、ミサの語源のお話です。
Wikipediaにも書かれているようにミサの語源は、ミサの最後にある閉祭の挨拶「行きましょう主の平和のうちに!」のラテン語「Ite, missa est」(ミサを終わります。行きましょう)という言葉の「missa」に由来しています。

しかし、英語でミサは「Mass」で、ミサ以外の意味はありません。これがどうも気になっていました。今日の入門講座で神父さま(日本語勉強中)が「宣教、mission」と言われて、ピンときました。この「missin」が、語源となったラテン語の「missa」をルーツとする英語だったのです。

そういえば、閉祭の挨拶の前には「全能の神、父と子と聖霊の祝福が皆さんの上にありますように」と派遣の挨拶が行われますね。すごく納得しました。

<')))><

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/06/24

天ぷらを食べてキリストを思う

TVで天ぷらの特集をやっていました。この番組によると、

  • 天ぷらはポルトガル語の肉を食べない日の意味
  • この日に食べたものが、さつま揚げ(つけ揚げ)のようなものだった
  • これが東京で江戸前の海産物を揚げるようになり全国に伝わった

とされていました。肉を食べない日というと、四旬節の小斎日が頭に浮かびます。そこで調べてみると、ポルトガル語あるいはスペイン語の、斎時あるいは斎日、調味料、寺院(揚げ物を食べていたらしい)、などの諸説があるようです(知泉が詳しいです)。天ぷら屋さんのホームページでは、ポルトガル語の「四季の斎日」説が比較的多いようです。

四季の斎日というのは小斎日のことで、昔は季節の初め(6月、9月、12月、そしてレント(四旬節)の第1週目)の3日間に肉を断っていたようで、このときにワカサギなど魚介類の天ぷらなどを食べていたようです。

これ以外の説では、東京天ぷら料理会は「四旬節」(復活祭前の40日間)が語源だとして、以下のように書かれています。

「てんぷら」の語源ですが、キリスト教の宗教用語で四句節のことを、「クアトロ・テンプラシ」と言います。この四句節には、キリスト教の信者はキリストの受難をしのび、節食したり、肉を食べない習わしがありました。四句節に肉を避け、魚のフライなどを食べるこの習慣が、日本のキリシタンの間にも広まり、いつしか「クアトロ・テンプラシ」から転じて、魚の揚げ物料理のことを「てんぷら」と呼ぶようになったといわれています。

ちなみに、四季の斎日も「クアトル・テンポラ」で、どちらかというよりは、どちらにも含まれる「小斎日」が語源のようです。

天ぷらを食べるときは、キリストを思うときなのですね。

<')))><

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/04/02

福音香

今日のミサでは、多くの教会でブルンブルンと献香されたと思います。
あのお香は「福音香」と言う名前で売られています。甘い香りが良いので、買ってみたことがあります。福音香は乳香と何かを混ぜたもののようで、サンパウロネットショップ女子パウロ会オンラインショップで買うことができます。焼香につかう炭はスーパーやホームショップで焼香用に売っているものと変わらないようです。

福音香を焼香する時は注意が必要です。あの小さなつり香炉で大きなお聖堂中に甘い香りが広がるのですから、なにも考えずに焼香すると大変なことになります。狭い我が家では2階から子供たちがかけ降りてきてクレームの嵐でした、、、。なるべく広い部屋で、少しずつ焼香するほうが良いようです。

もし購入されるなら、最初は少しだけ買われることをおすすめします。

<')))><

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007/03/29

メダイと祝福(祝別)

Medai0_1 最近はロザリオが流行っていて、首にかけるべきじゃないとか、中世の聖人は首にかけていたから別に良いなどと議論されていましたが、「かみさま とだらば」の記事によると今度は「不思議のメダイ」(リンク先は心のともしび)が流行っているようです。

不思議のメダイは、聖カタリナが出現された聖母マリアさまから作るように言われたものです。各々の指に三つづつ指輪は四方に輝き渡り恵みを表し、足元の球は世界表します。楕円形のわくの中には、『原罪なくしてやどり給いし聖マリア、御身に依り頼み奉る我等の為に祈り給え』と書かれています。

そして裏面には、一本の横木と、十字架をいただい大きなMの字、その下には、茨の冠でかこまれたイエズスのみ心と、剣でさしつらぬかれたマリアのみ心があります。

インターネットで検索してみると、ブームに乗って、金製や銀製のメダイを売るためか、アルミ製の不思議のメダイを配っているサイトが結構あるようです。

安心しておすすめできるのは、あの「心のともしび」です。不思議のメダイのほか、要理の本とイエス様の生涯の本ももらえますので、ぜひ読んでください(通信教育となっていますが、回答しなくても問題ないようです)。

Medai00_2 このメダイというのはラテン語で、いわゆるメダルのことです。不思議のメダイ以外にも色々なメダイがあります。写真は、先日ローマのお土産にいただいたメダイです教皇様とサン・ピエトロ寺院が描かれています(光の具合もあってちょっと表情が怖いですが、「魔よけ」ではありません:-)。

ちなみに、メダイやロザリオは神父様に祝福(祝別)していただくと良いといわれています。

カトリック亀有教会のWebページによると、祝別(祝福)には以下の3種類があるようです。

人の祝別・・・子供、成人、病人など
物の祝別・・・家、土地、車、家庭祭壇、お墓など
信心と礼拝の為の物の祝別・・・聖画、ロザリオ、聖水、メダイなど

ドミニコ会研究所編「カトリックの教え」(ドン・ボスコ社、pp.107-108)によると、祝福は教会が定めた聖なるしるしである準秘跡で、以下のように書かれています(数字はカテキズムの節番号)。

祝福は神のみ業と恵みへの賛美であると同時に、信者が神の恵みを福音の精神にしたがって用いるようにと願う教会の取次ぎでもあります。[1678]

つまり、物に対して祝福するときも、それを身につけたり、用いる人のために祝福するのでしょう。

<')))><

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2007/03/24

正典と外典

このブログでも外典福音書のテレビ番組を紹介しましたし、ダ・ヴィンチ・コードもナグ・ハマディ文書を用いて話を展開しています。これらが外典であるのは間違いないところですが、旧約聖書の続編も外典と呼ばれることがあります。

日本聖書協会の「SOWER No.29」の特集は「『ユダの福音書』は聖書なのか? 正典のなりたちと外典・偽典」です。この中で正典と外典が説明されていました。

この記事によると、「外典」とは「正典」に含まれないと言う意味です。しかし、外典と呼ばれるものは、旧約聖書と新約聖書で性格が大きく異なります。

旧約聖書
ユダヤ教の正典は90年頃のヤムニア会議で今の旧約聖書三十九書と定められました。これには続編が含まれておらず、旧約外典というと続編のことをさします。旧約聖書続編十三書は、七十人訳という古代ギリシャ語の旧約聖書に含まれていた文書です(Good News Collectionによるとバビロンの捕囚以降に地中海周辺に移り住んだユダヤ人のために作られたようです)。

キリスト教では、教派において続編の扱いが異なります。新約聖書に引用されている旧約聖書の聖句が七十人訳聖書のものだったこと、ヘブライ語からの翻訳過程にも霊感が働いていたと語り継がれていたことから、続編も正典性を認める傾向があったそうです。

宗教改革後、この続編の扱いが教派によって異なるようになります。Wikipediaによれば、

マルティン・ルターがヘブライ語本文から聖書を訳した際に、ヤムニア会議の定めたテキストと、カトリックが使っていたラテン語聖書との異同に気付いた。ルターはこれを外典と位置付けた。

とされています。プロテスタントでは「正典と同等ではないが、読めば有益な書」「読むことは推奨されるが、教義の基礎としてはならない書」とされ、続編は「旧約外典」とされています。

一方、カトリックでは、16世紀の宗教改革以降に続編中の十書を「第2正典」とし、東方正教会もその一部を正典としています。なお、聖公会はプロテスタントに分類されますが、続編十三書すべてを礼拝で用います。

このほかにも七十人訳に含まれなかった「エノク書」「ヨベル書」「アダムとエバの生涯」などの古代ユダヤ文献があります。これらは、「旧約偽書」と呼ぶそうです。

新約聖書
新約聖書は2世紀中盤のマルキオンという人が新約関係の文書をまとめた「マルキオン聖書」(後に異端とされる)から、新約正典制定に向かうようになったようです。その後、「ムラトリ正典目録」やオリゲネスによる一覧などが正典の原型になり、4世紀後半のアタナシオスによる「第三九復活祭書簡」以降に新約二十七書が正典と認められるようになりました。

「ユダの福音書」「トマスによる福音書」「フィリポの福音書」「マリアの福音書」などは新約外典に分類されます。この外典という言葉は「隠されたもの(ギリシャ語のアポクリファ)」にあてはめられた訳語です。旧約外典の外典もアポクリファの訳語です。しかし、旧約外典が正典視されてきたのに対し、新約外典は排除された文書です。

後に異端とされる集団において、このアポクリファという言葉は「資格のある者だけに読むことが許された秘義の書」という意味で用いられたようです。それが後にキリスト教の「正統」が確立していく過程で、「異端の書」「偽書」という否定的な意味に転化したそうです。

これらの新約外典はグノーシス主義の書物です。グノーシスとは「認識」を意味するギリシャ語です。SOWER No.29 p.6には、以下のように書かれています。

天上での救いに至る奥義を「知る」ということで、その奥義を天の至高神のもとから地上にもたらしたのがキリストであるとされます。その際、天地創造の神は下級の神とされ、その神によって造られた人間は肉体に閉じ込められていますが、至高神の痕跡を持っているがゆえに至高神の使いがもたらす「認識」によって救われるとされます。

つまり、唯一の神を否定し、肉体を悪としています。グノーシス主義と関係するものとしてはアウグスチヌスの時代にはマニ教が普及していました。肉体を悪とするために、厳格な教えに結びつく反面、肉体が悪なら汚さないといけないとして享楽的な行動に結びついていたようです。

このほかにも、1世紀末から2世紀中葉に成立されたという「クレメンスの手紙」「イグナティウスの手紙」「ディダケー」などの「使徒教父公文書」があります。これらは、正典の外にはありますが、異端書ではなく排除されていません。Wikipediaによれば、

内容に問題はなく使徒の著作でないことのみが問題とされた使徒の弟子(「使徒教父」とよばれる。)による文書

だそうです。

SOWERは日本聖書協会のWebページでPDFが公開されています。今回、引用させていただいたNo.29もいずれ公開されると思いますので、ぜひお読みください。

<')))><

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/02/10

あいさつの言葉 <')))><

クリスチャン同士でメールのやり取りをしていると、いろいろなあいさつが交わされています。良く見る物では

  • 主の平和
  • 主の平安
  • シャローム
  • しゃろ~む

あたりが多いです。シャロームというのはヘブライ語で平和とか平安の意味ですから、どれも同じ意味ですね。それぞれ単独だったり、「!」とか十字架に見立てた記号(「†とか)をつけられることも多いですね。これ以外では、

  • 神に感謝!(終わりが多い)
  • Ave Maria
  • ハレルヤ

などの方もおられます。

去年、洗礼を夫婦で受けたとき、自己紹介を書くことになりました。そのとき、妻には「『主の平和』ではじめて『神に感謝!』で終わるのが教会の常識!」などと、いい加減なことを言って書かせたものの、どうも「神」と書くのが気恥ずかしくて自分の分には書けませんでした。

なぜか「神」とか「主」というのは、自称シャイな私としては書きづらいのです。とはいえ「あの方」では、なんだか良くわかりませんよね。

そこで見つけたのがイクトゥス(リンク先はWikipedia)のアスキーアートです。イクスス、イクスース、イクソスなどど表されますが、ギリシャ語の「魚」の意味です。ギリシャ語で、「イエス・キリスト 神の子 救い主」の頭文字をとるとイクトゥスになるのです。

使徒たち(映画で言うなら、クォ・ヴァディスや、リメイク版)のころは、ヨーロッパではキリスト教徒が迫害されていました。そこでクリスチャンを表すしるしとして、魚のマークが使われていました。

マニアックな私は、知る人ぞ知るこのマークがお気に入りで、イクトゥスのストラップなども持っていたりします。ということで、上でも引用したWikipedhiaのページにあったこのマークを最後に付けています(ほかにも、良い言葉があったら教えてください)。

<')))><

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007/01/05

わたしに従いなさい - 初金ミサ -

今日は今年最初の初金ミサでした。毎月最初の金曜日に行われます。恥ずかしながら、所属教会で与るのは今日が初めてでした。

女子パウロ会のキリスト教マメ知識によると

この信心のはじまりは、聖女マルガリータ・マリア・アラコックにイエス・キリストがご出現になり、「罪の償いのために、9か月間続けて、毎月の最初の金曜日に、ミサにあずかり聖体拝領をすれば、罪の中に死ぬことはなく、イエスの聖心に受け入れられるであろう」とお約束なさったことに由来しています。

だそうです。

福音朗読は「フィリポとナタナエル、弟子となる」(ヨハネ1・43-51)でした。

最初の弟子たちと出会った後、キリストはフィリポに会われ「わたしに従いなさい」といわれます。そして

フィリポはナタナエルに出会って言った。「わたしたちは、モーセが律法に記し、預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。」

しかし、ナタナエルが「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と信じないので、直接キリストに会って、「ラビ、あなたは神の子です」と弟子になるお話です。

お説教では、年明けの神様の言葉は、会社での新年の訓示のようなものである、とされていました。そういえば、第1朗読は「互いに愛し合いなさい/神への信頼」(一ヨハネ3・11-24)でした。

言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう。(一ヨハネ3・18)

神は、わたしたちの心よりも大きく、すべてをご存じだからです。(一ヨハネ3・20)

新年の御言葉が、心に響きました。

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/12/13

聖水をつけて十字を切る

お聖堂に入るときや帰るときに,聖水をつけて十字を切ることについて調べました.
ここでも何度か十字の切り方を紹介しました.なかなか良いお話だったのが,こころのともしびに載っていた「十字の切り方」です.キリストを思い描いて心を込める方法が印象的でした.

ミサでもうかがいました.父と子と聖霊の御名によってと十字を切るというお話です.これは聖書の中の「弟子たちを派遣する」(マタイ28・16-20)のお説教です.

大阪司教区典礼委員会の「Q&A」コーナーには,聖水盤の聖水で十字をきる行為によって、洗礼により生まれ変わった自分が神のみ前にいることをしっかりと自覚するためです。とされていて,信者が聖堂に入ったときにするように書いています.

でも,ミサの帰りにもする人もいますし,洗礼を受ける前からするようにいう方もおられます.なんとなく,納得いかないで調べてみると,サンパウロホームページのキリスト教質問箱には水の意味から十字を切ることが説明されています.読んでいただくとわかりますが,けっきょく洗礼を受けているか,ミサの帰りであるかよりも,神様のことを思って心から十字を切る事が大事なのでしょう.

ちなみに,サンパウロのキリスト教質問箱では,十字の切り方が東方諸教会(正教会)と左右の順番が逆になっていることも説明されています.分裂と関係あるとは思っていたのですが,カトリックが逆にしたのですね.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/05/22

マグダラのマリア

最近、検索キーワードに「マグダラのマリア」が多い(実はタイプミスのマグラダのマリアの方が多い)ので、簡単にカトリック的(ただし個人的)な説明をしておきます(話題の映画や小説は、面白くなくなるかもしれません。ご注意ください)。

マグダラのマリアは、キリストの受難の前には1箇所しか出てきません。「婦人たち、奉仕する」(ルカ8・1-3)にキリストが各地を回られた際に世話をした婦人の一人として「七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア」と紹介されています。

この7つの悪霊と言うことから、ルカによる福音書の直前の章の最後にある「罪深い女」(ルカ7・36-50)であるとか、「私もあなたを罪に定めない」(ヨハネ8・1-11)ある石を投げられかけた娼婦として扱われた時期もあったようです。しかし、Wikipediaの解説にあるように第2バチカン公会議後は「罪深い女」とは区別されています。

また、遠藤周作は「聖書の中の女性たち」の中で「(キリストの足を涙でぬらした)あの娼婦の寂しさを、やや性急でしかし炎のように熱情的だった彼女のなかに認めることはあまり好みません」としています。少なくとも、小説家の目で見ると別の人格に見えるようです。

さて聖書の中で、このマグラダのマリアは、キリストの受難の際に十字架のそばや墓にいた(マタイ27-61、マルコ15・40-47、ヨハネ19・25)、復活後のキリストを最初に見てそれを告げる(マタイ28・1、マルコ16・1-9、ヨハネ20・1-18、ルカ24・10)といった場面に出ています。

はっきり書かれているのは、これだけです。これらは日本聖書協会のWebページで検索・参照できます。

さて、検索してこられた方が、気になるのは香油を足に注いだ場面(マタイ26・6-13、マルコ14・3-9、ヨハネ12・1-8)でしょうね。この場面で名前を書いているのは、ヨハネによる福音書だけで、マリアとだけ書かれています。当時マリアは非常にありふれた名前で「『良い女』というほどの平凡な意味」(遠藤周作著「聖書の中の女性たち)で、特定はかなり困難です。

この場面では、弟子たち(特にユダ)が「なぜ、こんな無駄遣いをするのか」と怒ります。これに対してキリストは「わたしを葬る準備をしてくれた」と受難の準備であると言います。だれも求婚とは思っていなかったようです。しかも、メシア(救世主)を「油を注がれし者」(ヨハネ1・41)と呼びますので、この場面は非常に宗教的に意味のある場面です。

聖書中のマグラダのマリアはこんな女性です。このようなことを常識として育ったなら、突飛な説を主張する映画の試写会で失笑するのも無理がないでしょうね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/04/20

ミサワイン

Wine 所属教会で使っているミサワインは「TWELVE APOSTLES/Altar wine」<12使徒(ミサワイン>(重松貿易株式会社)のようです。クリスマスや復活祭の前になると、教会で売られます(千円ちょっとでした)。ラベルによると、

スペイン、カタルーニャ地方エブロ川流域のテラ、アルタ地帯(高原地帯)でごく少量しか生産出来ない大変甘いワインです。この甘さは、100%ブドウの自然糖分です。古くから伝統的にミサワインとして使用されてきました。現在もミサワインとして利用されていますが、家庭でもアペリティフ又は食後酒としても消費され多くのヨーロッパの国々で“ミサワイン”と呼ばれ愛飲されています。

と書かれています。ウィスキーのような色で、飴湯、あるいは、冷やし飴(関西だけでしょうか?飴湯を冷やした飲み物です)のような、トロンとした甘さがあります。口当たりが良いので、ミサの後のパーティなどで飲み過ぎないように注意してください(経験談(^_^; )。

秘跡の対象には「聖別」が、そうでないものには「祝別(祝福)」が行われます。ミサワインはミサで聖別されると「御血」に聖変化しますが、聖別されたものは売っていません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/04/13

枝はソテツでした

Palm_leaf_1 枝の主日に配られた枝、どうもシュロではないので確認したら、やっぱりソテツでした。オリーブの葉のところもあるようですね。キリストが共に居てくださるように、祭壇や十字架のところに置いておくそうです。我が家は、枝を置きにくいところに十字架があるので、十字架を移動させる方がよさそうです。

祝福(祝別)して頂いた枝は1月末に集められ、灰の水曜日に使われます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/03/14

十字架の道行き

十字架の道行きはエルサレム巡礼がその起源だそうです。7世紀ごろまでは、イエス・キリストの足跡をたどって、ポンティオ・ピラトの宮殿から刑場まで、所々留まってはキリストの苦しみを思い、黙想し、祈り、自身の罪を悔やんだそうです。それが十字架の道行きだそうです。

7・8世紀になってエルサレムがイスラム教国に征服されてから、巡礼ができなくなったことから、十字架の道行きの場面を彫刻したり、絵に描いて、一つ一つ移動しながら主の苦しみを思い、黙想し、祈り、自身の罪を悔やむようになったそうです。

これが中世になり、14の彫刻か絵が飾られるようになり、それぞれを留(りゅう)と呼ぶようになったそうです。

個人でも各留ごとに移動して信心は行えますが、共同で行う場合は司祭か先唱者だけが移動して行います(見えない場合は移動することもあるようです)。

私も十字架の道行きの信心に出ました。小冊子にあるお祈りの間に、聖歌、主の祈り、聖母マリアへの祈り、栄唱をはさみながら行われました。一生に一度できるかどうかの聖地巡礼ですが、四旬節のこの時期に教会で行えるのは幸せなことかもしれません(多くの教会では金曜日に行われているようです)。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2006/03/02

Fat Tuesday

みなさま、灰の水曜日はいかがお過ごしだったでしょうか?がんばれた方も多いでしょうが、がんばれなかった方も中にはおられるでしょう。カトリック中央協議会の説明によると、キリスト教が根付いている国では、灰の水曜日の直前に「カーニバル(謝肉祭)」というお祭りがあるとされています。

New York ものがたり(四旬節の英語表現の説明があって、なかなか興味深い)によると、 この謝肉祭の最終日は

Fat Tuesday」(別名Mardi Gras)と呼ばれ、レント(四旬節)直前の食事で「ゴチソウをたらふく食べてお酒も飲んで大騒ぎしよう!

と言う日だそうです。来年は、Fat Tuesdayで心の準備をしてから灰の水曜日を迎えるって言うのは駄目でしょうか?カトリック中央協議会の説明では「教会とは直接関係ありません」とされていますが、文化も取り入れてうまく乗り切りたいものです。

ちなみに別名のMardi Grasですが、Living in Chicago BLOGによると、

アメリカで最も有名なカーニバル(世界三大カーニバルとも云われる)がニューオーリンズで行われる "Mardi Gras" であることから、アメリカでは "Mardi Gras" が謝肉祭(=カーニバル)を表す言葉として一般化しています。

だそうです。

| | コメント (4) | トラックバック (2)