私の場合は遠藤周作の本がきっかけでしたが、はじめの頃は教派を選ぼうとしていました。
父が亡くなって法事が色々と続いていたころ、妻が洗礼を受けると言い出していたんです。当時、専業主婦から兼業主婦になる中で、それなりに悩みがあったのでしょう。もともと妻はカトリックの学校を出ていて、職場もカトリックと縁があったので、教会に救いを求めたのでしょうね。私の方は宗教にはまったく縁の無い方で、特定の宗教を差別するわけにもいかず、強く賛成もしないが、反対もしない、そんな感じでした。
法事があると私が死んだ際の葬儀の話題になったりします。妻は仏教だと実感がわかないと言っていました。死んだらそれまでだし、葬儀は喪主が決めればよいと考えていましたので、教会でもどこでも好きにして良いと言っていました。父の死をきっかけに、仏教を少しだけ勉強していましたが、宗教は気持ちを込める儀式以外のなにものでもなかったのです。
仏教のことだけを勉強していたのですが、そんな風に言っていた妻に悪いかなぁと、ほんの少しだけ思い、キリスト教の本を読みました。宗教の本はどれも重いので、エッセイを読んだことのある遠藤周作の本にしました。始まりはそれからでした。私もそれなりに悩みもあり、当時はストレスでつぶれそうになって大きな声を出してしまうこともありました。そんな状況で、遠藤周作の「私のイエス」を読んだのです。
この「私のイエス」では、イエスの苦しむ姿が描かれています。当時のイスラエルでは、独立国家を造る救世主が求められていました。イ
エスは、民衆だけでなく、弟子たちからもその教えの意味することを理解されず、苦しみながら人々の罪を背負ったイエスが描かれています。この本を読んでい
ると、不思議と自分の苦しみがどんどん小さくなりました。そして、いつしか尊敬の気持ちが生まれました。
この「私のイエス」は「イエスの生涯」をベースにその続編である「キリストの誕生」の内容から構成した入門書です。イエスの姿に感動した私は、つぎに「イエスの生涯」と「キリストの誕生」を読みました。「キリストの誕生」
に描かれていたのは、イエスを裏切った使徒たちの姿でした。彼らは保身のために、イエスを裏切りました。命を大事にして宣教することと、常に師匠の側にい
ることはどちらも重要なことです。しかし、彼らは命を選んだその罪を感じ、苦しみます。そしてその深い苦しみの中から、イエスの教えたかったことが何で
あったのか、彼らは見つけ出すのです。そのとき、イエスは神イエス・キリストとして彼らの中に復活します。
キリスト教では意識せずに犯す罪を小罪といいますが、私の苦しみはこの小罪であると気づきました。自分の中では正しいことをしているつもりでも、知らず知らず人を傷つけてしまう。それを見つけたとき、私は神を感じ、神を必要としました。そう、道ありきの主人公が洗礼を受けたときのように、まさに居ても立ってもいられない状況でした。
そうなると、今度は教会を決めないといけません。信仰は個人のものと思っていましたので、きっかけを作った妻がカトリックであることはあまり気にし
ませんでした(ごめんなさい)。まずは入門キリスト教の歴史を読んで教派の勉強を始めました。高校の授業ではキリスト教は宗教改革かザビエルぐらいしか出
てこなかったので、このころは、プロテスタントにも結構興味がありました。三浦綾子の道ありきや、内村鑑三のキリスト教問答なんかも読みました。私は社外のコミュニティ活動もしているので、お酒を飲めない教派はちょっとつらいなぁとか、ストイックなところは魅力であるものの、これまでの経緯からあんまり頑張りすぎるとよくないかなぁ、そんなことを思っていました。
また、遠藤周作の「私にとって神とは」を見ていると、東方教会(正教会)は神の愛、愛の神が他の教派よりも強調されて
いるように書かれていて、結構興味がありました。でも、教会が少し遠いので、一度、出張の際にニコライ堂に行こうとしたこともありました。たまたま、記念
日のミサがある日で何とか出たいと思ったのですが、ミサが2時間ほどかかるとのこと。仕事での出張なので断念しました。
そうこうしているときも、妻はカトリックの教会に行っていました。文献を色々見ていると、カトリック教会は私の認識と異なっているようでした。一つ
は第2バチカン公会議以降のエキュメニズムによって他の教派だけでなく、他の宗教に関しても友好的になっていること、ミレニアムに際して途上国支援を訴え
て効果があったこと、カトリックも自身で宗教改革を行っていたこと、など良い面も感じていたので、とりあえずカトリック教会についていきました。まあ、見
学のような感じですね。
実は若いころ、妻とクリスマスのミサに行ったことがあります。ニュースでやっているようなロウソクをたくさん灯した、きらびやかなイベントを期待し
ていたのですが、ミサはおごそかで、さっぱりわかりませんでした。途中で回ってくる「献金かご」の意味がわからずに止めてしまい、注意される、そんな感じ
でした。
でも、イエスを知ってから初めて行ったミサは感動的でした。私が感動したイエスが、たくさんの人から感謝され、その気持ちを歌っているのです。歌詞
に感動して、すこし涙ぐむほどでした。聖体拝領の祭に祝福を受けられると聞いて、もちろん受けました。2000年続いてきた神様の恵みを受けたときは、自
分に信仰心があることをしっかりと確認しました。
でも、神父様に勉強会に誘われたときは、少し迷いました。ほかの教派も知りたかったからです。でも、あの遠藤周作が通ったカトリックだし、勉強することが洗礼志願にはならないので、次の水曜日から仕事の帰りに通うようになりました。
上に書いた、ニコライ堂の件はこのころのことです。出張前のミサのとき、妻に知り合いのシスターを紹介されました。まさにニコライ堂に行こうと思っ
ていた出張の日に、そのシスターも東京に行くといわれていました。世間話として「新幹線でお会いするかもしれませんね」と言っていたと思います。そして出
張の当日、なんと新幹線のホームにシスターがおられました。私は驚きのあまり避けるように新幹線に乗りました(失礼なことをしてすみません)。でも、偶然
はそれだけではありませんでした。指定を取った同じ車両のほんの少し前にシスターが座られていたのです。私は挨拶をしてから言いました「導かれているかも
しれませんね」
このあと、いろいろと考えました。神を求めていたのに、いつの間にか神の導きを避けているのではないか?そう考えると、知らず知らず不遜なことをしているような気がしてきました。そういえば、妻の代母になる方が言われていました「神様はいつでも迎えてくださるのよ」
神様のお導き、遠藤周作風に言うと「背中を押される感じ」に気づいてからは、世の中が変わりました。実はエキュメニズムを知ってから聖母像が聖堂に
あることが気になっていましたが、ザビエルがマリアさまに日本をささげたと知って納得することにしました。また、役割として見ていた神父様が、日増しに大
きく見えてきたのもこのころです。勉強会に通い始めたころは、洗礼も教派間にある程度の互換性があるから受けようかなどと考えていましたが、今は教派は気
にならなくなりました。そして、とうとう入門式を迎えます。
結局、私は何も選択しませんでした。なぜかほかの教会には行けず、カトリック教会には縁がありました。それぞれに良さを持つ教派を選ぶことは、わた
しには難しかったです。私が必要としたのは神で、教理ではなかったのです。まあ、色々ありましたが、結果的にはカトリックで良かったと思っています。
最後に、私の霊名(洗礼名・堅信名)は「ヨセフ」にしました。性格的にはパウロとか、コンピュータ関係なので守護聖人のイシドロとか、神父様がパウ
ロで私の誕生日の聖人がパウロの弟子だとか、色々考えました。でも、自分の考えに固執せず、受け入れることが目標なので、この名前にしました。神に感謝!
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