先日、河島英五さんの番組を見て、DVDを買ってしまいました。このDVDはデビュー前から、亡くなられる直前までの映像を収めたもので、見ていると様々な思いがよみがえってきます。
最も強くよみがえったのは、若いころの苦しみです。これは、社会人になってからの苦しみと根源は同じでも、感じ方が大きく違うものでした。
若いころは、社会を受け入れる苦しみがありました。物事がわかってくるにつれて、社会が否定的に見えてしまうのです。もっと簡単なことじゃないのか、なぜそんな社会なんだという苦しみです。
その苦しみからは、孤独が生まれます。坂本龍馬の「我がなすること、我のみぞ知る」ではないですが、自分だけは正しく生きてやろうと思うからです。だからと言って、社会を変えられるかと言えば、そんな力もない。でも、頑張って生きて行くんだ!なんて思って、必死に生きていたのです。
社会人になると、仕事を通して人とのコミュニケーションが生まれます。好むかどうかにかかわらず、社会のルールに従います。そして、物事をどんどん合理的に考えるようになります。人間らしさを失い、いつしか心温まるものを無駄なことだとさえ考えてしまいます。
しかし、世の中は思い通りにはいかないので、いつか行き詰まります。それは、仕事だったり、家庭だったり、経済的な問題だったり、健康の問題だったり、人によって色々でしょうけど、積み重ねてきた経験則ではうまくいかないことが、降って湧いたように起きるんですよね。
そこで感じるのは、これまでの人生あるいは周囲に対する否定的な思いです。これまで必死になって築いてきた価値観が崩れるのです。若い時に感じる社会の不条理さと感じ方は違いますが、「何を頼ればよいのか」という思いで苦しむという意味では、根は同じなのかもしれません。
社会人の価値観は「てんびんばかり」の歌詞(Yahoo!ミュージックで読めます)に出てくる臆病な子犬の価値観かもしれません。一人で街を歩けない臆病な犬は「首輪をつけるととても自由だ」と言います。この犬は、自分の世界像を構築するのをやめて、社会のしきたりに従うことが、心地よくなってしまったのでしょう。
歌詞は、この後「僕を神様だと思っているんだろう」と続きます。長年、社会人をしている間に、社会が自分の自由を奪っている存在であることを忘れ、絶対的なものだと思い、その生活に慣れてしまっているのです。
若い時の苦しみも、年をとってある日気づく苦しみも、現実が受け入れられないことが原因です。自分の世界から離れられないので周りが見えず、現実を冷静に見ることができないのです。
「てんびんばかり」は、こんな歌詞から始まります。
真実は一つなのか、何処にでも転がっているのかい。一体そんなものがあるんだろうか。
何もわからないで僕はいる。
これこそが苦しみの根源なのかもしれません。世の中の現実を受け入れようと、その意味を捜し求めているのでしょうね。
でも、私はこう思うんです。自分がこの世を生きることには意味があり、さまざまな現実にも意味がある。良いことも悪いこともポジティブに受け止めて、自分の能力を生かして生きていくことが大切だと。それこそが、若い時、苦しい時に求めていた真実なのだと思います。
<')))><
最近のコメント