2010/05/24

トイレの神様

人が善く生きるようにしてくれるものを神様と呼ぶのでしょうね。

泣かせると話題のこの歌を、なんども聴きました。ついついじっくりと聞いてしまいます。病室でおばあちゃんがあまり話さなかったことには、様々な思いがめぐりました。

現実的に考えれば「トイレの神様」なんて、おばあちゃんの作り話です。そんな美人の神様がいるわけありません。ましてや、トイレをきれいにしても、どんなにピカピカにしても、美人にしてくれるわけありません。

でも、この神様を信じる人の心はピカピカです。いつも孫の成長を願う心、最期に一度だけでも会いたいと思うやさしい心、そんなおばあちゃんに感謝する心、みんな素敵です。

きっと神様はいるのでしょうね。

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2009/12/31

ボブ・ディラン:Christmas In The Heart

いまさらですが、クリスマスソングのCDです。
ボブ・ディランといえば私よりも少し前の世代の歌手で、ガロの「学生街の喫茶店」で名前を知っている程度ですが、「風に吹かれて」と言えば多くの方がご存知でしょう。

ビッグ・イシュー133号にインタビュー記事があり、クリスマスアルバムを出したとのこと。ボブディランの親はユダヤ教徒でしたが、70年代遅くに洗礼を受け、以来、ゴスペルのアルバムを出されていたようです。

さて、Christmas in the Heartの収益金は経済的に苦しんでいる人たちのクリスマス・ディナーを買うために使われるようです。

このCDを聞いて驚いたのはボブ・ディランの声。渋い!とても渋いです。部屋を暗くして静かに聞きたくなるような、ちょっとしわがれた太い声です。若い頃はこんな声ではなかったと思うのですが、低音が良く聞こえるようにすると最高です。

いまさらという感じですが、ぜひ一度聞いて下さい。

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2007/06/30

激しく生きるか、平和に生きるか

こころのともしびTVを見ていて気付いたのですが、海援隊の歌に「私の祈り(私約聖書)」の中にマタイによる福音書の6章の文語訳が出てきます。実は福音書がこの歌の一番の中で読まれたあと、タイトルにある私約聖書が二番の中で読まれます。

この私約聖書は、自分とつながる人の安らぎを求めながらも、自分が悪と戦い続けることを願い、最後に「激しく祈る命をください」と祈るものです。世の矛盾に屈しないという意味では、河島英吾さんの「てんびんばかり」(リンク先はうたまっぷ)にも通じる熱い情熱を感じます。さらに、マタイによる福音書を読むことから、牧師の子に生まれながら神に頼ることを否定したニーチェに通じるものも感じます。

この歌が好きだった昔は、「自分の力でなんとかなる」という思いがあったと思います。しかし、それは「おごり」でしかありませんでした。自分と対立するものを悪と考えることからは怒りしか生まれません。現状を否定することからは苦しみしか生みません。

こころのともしびTVで井上神父が語られたように、自分の思いが満たされないときは、この世を良いものとして完成させようという神様の思いと、自分の思いが異なるときです。現状を受け入れ、ほかの人と対話することが「心の平和」への道であると、今なら思えます。

怒りや悲しみにとらわれることなく、落ち着いて考えることが必要だったのですね。

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2007/06/19

神さまと仲良し

先日の入門講座で、神父様がこう言われました。

「秘跡はイエスさまと仲良くなること」

この言葉を考えながら「友達の詩」を聞いていると、イメージが広がりました。「イエスの服に触れる女」(マルコ5・25-34)は触れるだけでもいやされると思い、「罪深い女」はそばにいるだけで泣き出しました。ザアカイは一目だけでも見ようと木に登り、イエスの言葉に回心しました。

それに比べて、私たちは恵まれています。秘跡を通じて、罪をゆるされ一体になり病気の時も癒されます。神さまと仲良くする方法はいろいろと用意されています。

しかし、ついつい神さまに寄りかかってしまって、関係を悪くしてしまいます。そばにいて、必要な時は抱きかかえてくれる(リンク先はMAGIS)のに、望みがかなわないと不満を抱いてしまいます。

もっと純粋に神様を愛することができれば、もっともっと仲良くできるのでしょうね。深い河の青年(神父)のように笑われて馬鹿にされようと、マザーテレサのように神さまの道具として共に歩むことができれば、きっと幸せなのでしょうね。

これまで「クリスチャン」と言う言葉が少し恥ずかしかったのですが、これからは「神さまと仲良しです」と言ってみようかなと思いました

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2007/06/18

純粋な愛 - 友達の詩 -

中村中さんの「友達の詩」をご存知でしょうか?歌詞が歌ネットに出ていますので是非見てください。

愛する人と、手をつなぐだけ、そばにいるだけ、友達で良い、いや、見ているだけで良い、という、さびしいような、切ないような、そして、とても純粋な詩に色々と考えさせられました。

現状を受け入れること、愛すること、求めすぎないこと。それが大事なのでしょうね。

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2007/06/02

苦しみの根源 - てんびんばかりに想う -

先日、河島英五さんの番組を見てDVDを買ってしまいました。このDVDはデビュー前から、亡くなられる直前までの映像を収めたもので、見ていると様々な思いがよみがえってきます。

最も強くよみがえったのは、若いころの苦しみです。これは、社会人になってからの苦しみと根源は同じでも、感じ方が大きく違うものでした。

若いころは、社会を受け入れる苦しみがありました。物事がわかってくるにつれて、社会が否定的に見えてしまうのです。もっと簡単なことじゃないのか、なぜそんな社会なんだという苦しみです。

その苦しみからは、孤独が生まれます。坂本龍馬の「我がなすること、我のみぞ知る」ではないですが、自分だけは正しく生きてやろうと思うからです。だからと言って、社会を変えられるかと言えば、そんな力もない。でも、頑張って生きて行くんだ!なんて思って、必死に生きていたのです。

社会人になると、仕事を通して人とのコミュニケーションが生まれます。好むかどうかにかかわらず、社会のルールに従います。そして、物事をどんどん合理的に考えるようになります。人間らしさを失い、いつしか心温まるものを無駄なことだとさえ考えてしまいます。

しかし、世の中は思い通りにはいかないので、いつか行き詰まります。それは、仕事だったり、家庭だったり、経済的な問題だったり、健康の問題だったり、人によって色々でしょうけど、積み重ねてきた経験則ではうまくいかないことが、降って湧いたように起きるんですよね。

そこで感じるのは、これまでの人生あるいは周囲に対する否定的な思いです。これまで必死になって築いてきた価値観が崩れるのです。若い時に感じる社会の不条理さと感じ方は違いますが、「何を頼ればよいのか」という思いで苦しむという意味では、根は同じなのかもしれません。

社会人の価値観は「てんびんばかり」の歌詞(Yahoo!ミュージックで読めます)に出てくる臆病な子犬の価値観かもしれません。一人で街を歩けない臆病な犬は「首輪をつけるととても自由だ」と言います。この犬は、自分の世界像を構築するのをやめて、社会のしきたりに従うことが、心地よくなってしまったのでしょう。

歌詞は、この後「僕を神様だと思っているんだろう」と続きます。長年、社会人をしている間に、社会が自分の自由を奪っている存在であることを忘れ、絶対的なものだと思い、その生活に慣れてしまっているのです。

若い時の苦しみも、年をとってある日気づく苦しみも、現実が受け入れられないことが原因です。自分の世界から離れられないので周りが見えず、現実を冷静に見ることができないのです。

「てんびんばかり」は、こんな歌詞から始まります。

真実は一つなのか、何処にでも転がっているのかい。一体そんなものがあるんだろうか。
何もわからないで僕はいる。

これこそが苦しみの根源なのかもしれません。世の中の現実を受け入れようと、その意味を捜し求めているのでしょうね。

でも、私はこう思うんです。自分がこの世を生きることには意味があり、さまざまな現実にも意味がある。良いことも悪いこともポジティブに受け止めて、自分の能力を生かして生きていくことが大切だと。それこそが、若い時、苦しい時に求めていた真実なのだと思います。

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2007/05/30

生きてりゃいいさ

日曜の深夜に、「英五に想いつなぐ 元気だしてゆこう」と題して、6年前に亡くなられた(リンク先は日刊スポーツ)河島英五さんの記念チャリティライブの模様が、復活ライブと称した過去の映像とともに放送されていました。

私が河島英五さんを知ったのは10代のころ(たぶん前半)で、まだ酒も飲めないのに「酒と泪と男と女」が大好きでした。河島英五さんの歌は「てんびんばかり」「何かいいことないかな」のような深い曲や、「どんまいどんまい」「タンバリン」のように元気をもらえる曲があり、よく聴いていました。

英五さんと家族づきあいをされていた桂南光さん(旧べかこさん)が、番組の中で英五さんとの出会いを語られました。それは、笑福亭鶴瓶さんがコンサートで歌われた「生きてりゃいいさ」だったそうです。行き詰まって落語家をやめようかと思っていた時に、この曲を聞いて、元気をもらったそうです。

君が悲しみに心を閉ざしたとき
思い出してほしい歌がある
人を信じれず眠れない夜にも
きっと忘れないでほしい

生きてりゃいいさ生きてりゃいいさ
そうさ生きてりゃいいのさ
喜びも悲しみも立ちどまりはしない
めぐりめぐって行くのさ

(Yahoo!ミュージックですべての詩を見ることができます)

河島英五さんは亡くなられましたが、歌を聴いた人の心には確かに復活していました。

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2007/05/29

「あひるのワルツ」を聴いて

キリスト者の強みというのは、いつでも幸せへの希望を失わないことではないでしょうか?もちろん、苦しい時だってあります。苦しい時に幸せだなんて感じることは不可能です。でも、この苦しみはきっと意味がある、明日のための苦しみなんだと思えることです。

苦しくて苦しくてどうしようもなくて、この苦しみをなんとかしてください。この世は良いものではないのですか?どうしてこんなに苦しめるのですか?お願いです、願いを聞いてください。

そんな祈りを続けていると、ほんの少しの光が見える。その光を感じると、これまでの苦しみがうそのようにどこかにいって、幸せに満たされる。そうか、実は苦しみはこのためだったんだ。その意味に気付かなかっただけなんだ。

そんな瞬間が来ることを思い描き、現実を受け止め、そしていつか幸せを感じることができる。それこそが、キリスト者の強みだと思うんですよね。

さて、宮崎あおいさんが演じられているアフラックのCMで流れているマユミーヌさんの「あひるのワルツ」を久しぶりに聞いて、ちょっとあたたかい気持ちになりました。CMでは部分的にしか流れませんが、とても良いお話です。

若い二人はあひる町に暮らしていました。二人はいつかあこがれの街パリに行くことを夢見ていました。でも、日々働くことは大変です。仕事もきらい!上司もきらい!雨にかすむあひる町もきらい!パリのことも忘れていました。

ある晴れた日曜日、雨がやみ日が差し、鳥が鳴き、小さな花が咲きました。カフェオーレをいれ、クロワッサンを庭で食べると、とっても満たされました。今まで見ていたあひる町が素敵に見えました。見た目は地味だけどあひる町は二人のパリだったのです。

大きな夢を抱いてはかなわず、小さな幸せには満たされず、思い通りにならないことばかりかもしれません。しかし、降りやまない雨がないように、いつか光が差します。希望を失わないこと、それだけでよいのです。

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