映画「妖怪大戦争」を見ました。案内にはこう書かれています。
日本各地では、突然子供が消えたり、恐ろしい化け物が人間を襲ったりする事件が多発していた。それは、この世に恨みをもつ悪霊たちの仕業だった。黒幕は古代先住民族の怨念が蘇った魔人・加藤保憲。加藤は、人間に捨てられた機械などの廃棄物の怨念と日本古来の妖怪たちとを、大怨霊ヨモツモノの力で混ぜ合わせ、新種の悪霊《機怪》を作り出していった。そして、加藤の手先となった鳥刺し妖女・アギによって、日本全国の妖怪たちは捕獲され、《機怪》に姿を変えていくのだった。
そして、東京を舞台として妖怪対悪霊の戦いが始まります。ここでのポイントは「うらみ」です。黒幕の魔神加藤とは、帝都大戦にも出てくる加藤保憲(リンク先はWikipedia)です。この加藤も、うらみにとらわれています。
日本の悪霊の特徴は、人が魔人になったり、機械が機怪になったり、変質するところですね。同じように感情にとららわれたものといえば、宮崎アニメにもよく出てきますし、変わったところでは、カネゴン(リンク先はWikipedia)という怪獣もいます。カネゴンはお金への執着から人間がガマ口ような顔を持つ怪獣になってしまうお話です。
聖書の中では、「悪霊に取りつかれたゲラサの人をいやす」(マルコ5・1-20)というお話があります。このお話に出てくる汚れた霊に取り付かれた人は、つながれた鎖を引きちぎり、足枷まで砕き、
彼は昼も夜も墓場や山で叫んだり、石で自分を打ちたたいたりしていた。
とあります。そして、イエスさまが名をたずねると
「名はレギオン。大勢だから」
と言い、その霊は豚に移されるものの、豚の群れは湖に入って死んでしまいます。そして、
人々はイエスにその地方から出て行ってもらいたいと言いだした。
このお話は難解ですが、先日お会いした林神父が一つの解釈を教えてくださいました。 悪霊の名前「レギオン」は元々ローマ軍団(リンク先はWikipedia)をさします。すると、この人はローマ兵に家族あるいは大事な人を殺されるか、辱められたと考えられます。そして、悲しみや恨みにとらわれていたのではないかと考えられるのです。
当時は、悪霊の名前を言い当てて、たとえば「サタン!」というように叫ぶと、出て行くという考えがあったそうです。そして、イエス様はローマ軍団を悪霊として豚に移し、さらに追い出してしまったのです。だからこそ、ローマを恐れる人々に出て行くようにいわれたのです。
まるで歌舞伎のような風刺劇ですね。この中でも、やはり気になるのは感情にとらわれた人です。感情にとらわれて、叫んだり、自傷行為をしているのです。
キリスト教では悪魔という表現もあります。「堕天使」と言われるように、神様に特別の力を与えられたものの、神さまを裏切った天使です。キリスト教がヨーロッパに定着する際に、それまでにの異教の神々が悪魔になった(リンク先はWikipedia)ようです(一部の神は天使や妖精になりました)。
悪魔に関してはファティマの聖母(リンク先は女子パウロ会)に触れなくてはなりません(写真は玉造教会)。 Wikipediaには聖母マリアのメッセージの一つとしてこう書かれています。
悪魔と地獄の現存:多くの人々が悪魔によって地獄へ導かれている。七つの大罪などの罪、特に肉欲の罪から回心しないままでいることにより人は地獄へ行く。ここには、悪魔の所作が働いている。
七つの大罪とは傲慢(高慢)、嫉妬、暴食(食欲)、色欲、怠惰、貪欲(強欲)、憤怒
で、七つの罪源とも呼ばれる感情です。さらにWikipediaの「悪魔」に出てくるファティマの聖母に関する説明には、こう書かれています。
21世紀初頭、ヨハネ・パウロ2世は、「ファティマの聖母の言葉は、悪魔のわなに陥らないよう、改心を求めて私たちの人間性に訴えかけている」と述べ、戦争・民族浄化・麻薬汚染・中絶など惨事が悪の犠牲者を多く生み出していること、善と悪の戦いは(20世紀だけのものではなく)今日も続いていることから、社会は破壊を免れるために伝統的な価値観に立ち戻る必要がある、と述べている。
最近の身勝手な戦争や悲惨な事件を見ていると、悪霊や悪魔として語り継がれてきた「感情にとらわれることは悪である」という伝統的な価値観が失われつつある気がします。
人は感情にとらわれると、他人や自分を色眼鏡で見てしまいます。客観的なつもりでも自分を中心に考えてしまいます。否定的でなく冷静に、自分を見直す必要があると思います。それこそが「愛(アガペー)」の始まりなのだと思います。
(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)
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