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2012/09/16

わたしは顔を硬い石のようにする

仏教には「犀の角のようにただ独り歩め」と独立して生きていく事が理想だと語られています。今日の第1朗読(イザヤ50・5-9a)の「わたしは顔を硬い石のようにする」はその事を一瞬思い浮かばせました。

しかし、この受難のシーン思い浮かばせる言葉のあとには、キリスト教らしい言葉が続きます。

「わたしの正しさを認める方は近くいます。」
「見よ、主なる神が助けてくださる。」

私たちの神様は、そばにいて、私たちを認め、助けてくださいます。どんなに苦しい時も、信仰を失わなければ怖い者はありません。「乗り越えられない試練は与えられない」と心から思えるのです。

しかし、そんな私たちが最もおそれないといけない言葉が福音にありました。

「神のことを思わず、人間のことを思っている」(マルコ8・33)

という傲慢さ、それは神様に向かう心と反対の思いなのだと思いました。

誰もが幸せを求めますが、自分勝手ではいけません。社会に貢献して、人の役に立つこと、日頃の行いを通して御旨に従うものでなければ、試練を乗り越えることはできないのではないでしょうか?

(引用は日本聖書協会・新共同訳)

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