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2012/02/19

東日本大震災被災者のための祈り

今日ミサに与ったカトリック河原町教会では「東日本大震災被災者のための祈り」が祈られています。

あわれみ深い神さま、
あなたはどんな時も私たちから離れることなく、
喜びや悲しみを共にして下さいます。
今回の大震災によって苦しむ人々のために
あなたの助けと励ましを与えてください。
私たちからもその人たちのために犠牲をささげ、
祈り続けます。
そして、一日も早く、
安心で安らかに憩うことができますように。
主キリストによって。アーメン。
母であるマリアさま、
どうか私たちのためにお祈りください。アーメン。

今日の答唱詩編では「神は私を救われる。その慈しみをたたえよう」と歌いました。

アーメン

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2012/02/18

教会のブログとツイッター

もともとfacebookのとあるグループに書いた記事ですが、せっかくなのでここにも載せておきます。

私は成人洗礼です。遠藤周作を通してキリスト教に出会った時に「心のさかば」と言うブログを始めました。それまでもソフトウェア関係のことを書いたブログは持っていたのですが、信仰のことだけを書きたかったので、別のブログにしました。キリスト教の本ことや、入門講座の記事を書いているうちに読者がぼちぼち増えるようになりました。

入門講座を探す際や、出張の際に色々な教会を巡る際に、教会の情報を公開することの重要性を感じました。そこで、所属教会の神父に相談したところ、教会の権威を使わなければよい旨のことを言われました(私は公式でないと明示すれば良いと解釈しました。実際、ミサの与り方などに関しては神学的なコメントもあり、そのスタンスは重要でした)。

そこで、インターネットで教会のことを紹介するブログ「カトリック高槻教会の扉」を始めました。この名前は、あるプロテスタントのクリスチャンが、「高槻教会に行こうと思ったけれども扉が立派過ぎては入れなかった」と書かれていたので、「扉なら私が開けましょう」と言う思いからです。

それが7年ぐらい前の話です。教会内で公式にやろうかともほんの少しは思いました。しかし、それまでのブログの経験から、素早く情報発信することの重要性を感じていましたので、手間がかかり、情報発信が遅れるとの判断から、非公式にしました。非公式ではありますが、公式ホームページがないので教会紹介サイトやイグナチオ教会からもリンクされています。

そうこうする間にツイッターが流行りだし、ブログをしていたココログを更新した際に、連携したつぶやきができるようになったので、ツイッターで@ukons_doorを始めました。つぶやきは、ブログでミサなどの情報を更新した際や福音的なつぶやきのリツイート(自分のフォロアー向けに再公開すること)です。最近はブログを更新する暇がない時に単独でつぶやいたりもしています。

この一連の流れで、多くの人脈を得ることができました。カトリックの方には「心のさかば」を読んでいただいた方も多く、「カトリック高槻教会の扉」をしてしばらくすると、ブログの知り合いだったMr. Good NewsさんからSIGNIS JAPAN(カトリックメディア協議会:バチカン系の組織)のセミナーに呼ばれたりもしました。

そこで高円寺教会の人たちと知り合い、高円寺教会の「おやじの会(1回目2回目)」という集まりにも参加しました。まあ、実態は飲み会のようなものですが、当時の晴佐久神父も参加されたり、信者への間口を広げる場になっていました。

Twitterでは、そんなブログの付き合いとは別に、軽いつながりを持っています。京都で開催されたマザーテレサ展のつぶやきをすると片柳神父がフォローしてくださいました。そのほかにも高槻教会の名前からか、お会いしたこともないカトリックの方がフォローしてくださっています。

教会のブログやTwitterは、福音宣教などという思いよりはタラントンのたとえの実践です。自分にできることを実践している、ただそれだけです。入門講座やミサで感動したなら、それを自分のためにもまとめておいたら、他の人にも喜んでもらえたということです。

Twitterというのは基本が公開で、友人であるかは関係なく興味のある人が眺めるものです。興味のある有名人をフォローしたら、その人が日ごろどのように考えているか、脳みその中をのぞくような感覚を感じることができます。

そのうちに聞きたいことが出てくれば、メンション(@ユーザ名を付けたつぶやき)で聞いてみれば良いと思います。そこから有意義な情報が得られたり、場合によっては知り合いになることもあるでしょう。IT業界では各種勉強会が盛んで、メンションで講師依頼が行われることも多々あります。

実際、私の関わるIT系の勉強会の企画がTwitter上で進められているうちに「あとXXさんがいたら完璧だ」というので、それをつぶやきにコピー&ペースト(非公式リツイートと言います)して、そのXXさんにメンションを送ったところ、たまたま出張が重なって参加してただけたことがありました。

類は友を呼ぶ言いますが、情報発信すると人が集まります。まずは聞く側で初めて、リツイートやつぶやきを少しずつすればよいと思います。私の妻は、かなりITが苦手な人なので、携帯だけでTwitterしています。ほとんどつぶやかず、良い言葉を見つけたらリツイートしているだけですが、いろんな有名人にフォローされていたりします。そんな楽しみ方もアリかと思います。

<')))><

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2012/02/12

「あ~ぁ」

仕事がうまくいってなくて落ち込んでいるときに、なぜ落ち込んでいるか妻に聞かれました。

「仕事がうまくいっていない」

普通なら、「どうしたの?」とか、「大丈夫?」とか、「頑張って!」とか、言うのでしょう。しかし、妻の答えは違いました。

「あ~ぁ」

一瞬、耳を疑いました。

「なんやそれ!?」

妻は説明しました。

「だって『あ~ぁ』じゃない。だめだったんでしょ、そういう時は『あ~ぁ』って言うのよ」

脳天気な妻の言葉に、最初はふざけているとしか思えませんでしたが、良く考えると確かにそうです。原因を明らかにして失敗を繰り返さない努力は必要ですが、起きてしまったことは取り返しがつきません。現状を受け入れて、この後どうするかが大切なのだと思いました。

子供の頃、大切にしていたものを落としたとき、そういえば言っていました。その場で大声で泣くのではなく、

「あ~ぁ」

そう言うと、なぜか次に進めたんですよね。

「しょうがないや、新しいものを見つけよう!」

そんな風に思えたのは、「あ~ぁ」と言うことで現実を受け入れていたのでしょうね。何か不思議な言葉ですね。

その後、仕事はなんとかましになりました。あきらめるでもなく、いっぱいいっぱいになるでもなく、「やれるだけやればそれでいい」、肩の力を抜いてそんな気持ちに慣れたのも、

「あ~ぁ」

と言う言葉で、理想をあきらめて、現実を受け入れることができたからなのでしょう。

結婚して25年、妻の脳天気さまで神様は用意してくださったのですね。また負けてしまいました。

神に感謝!

<')))><

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2012/02/06

福音を述べ伝えなさい

今日は一日お休みするつもりでしたが、5年ぶりにお会いできる方が遠方より来られたので、玉造教会で高山右近列福祈願ミサに与りました。

洗礼を受けてまだ5年足らず。洗礼を受けた当初に抱いていた宣教のイメージが変わりつつあります。当初は自分が救われたことを語ることで、キリストに触れる機会が増えて多くの人が救われるという思いを持っていました。しかし、神様に救われる形は人それぞれで、どう救われたかはあまり関係なく、他の人に語るなと言われてもついつい言いふらしてしまった人たちの様に、熱く語ることで大切な何かがあること伝わっていただけのように思います。また、学ぶたびに恵みを感じていたカテキズムを語ることも大切なことではありますが、そのことが頑なな人の心を開くものではないように思います。

最近思うのは、私自身がいかに生きるか、それにによってどう証するかだと思います。最後の審判のお話の様に、神様にするように誰にでも接する、誰もが大切な人として接する。それが大切なように思います。

今日はミサの後、とても幸せな時間を過ごしました。地元の人間としては案内に失敗したりなど、失礼なこともあったのですが、神様に向かい合う人間同志として素敵な時間が過ごせました。日頃、高山右近のことはあまり考えたりしない私ですが、お話しするうちに自然と葬儀の際に棺を担いだ右近を思い出し、その素晴らしさを語ることができました。それは、人が人を大切にすることが神様を証することであり、それこそが最高の宣教であると思えたからです。

年をとると、本当に色々と困難なことが起きます。しかし、どんな時もいい加減な行いをするのではなく、人を大切にすること、そうすれば、それがきっと証になるのだと思っています。

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