あなたの神である主を試してはならない
先週は久しぶりに入門講座に顔を出しました。
昨日の福音を分かち合いました。イエス、ペトロ、ヤコブ、ヨハネが山に登ると、イエスの姿が輝いたお話です。このお話は、直前の死と復活の予告に続くもので、モーセとエリアと話すことで、イエスがこれまでの律法と預言を引き継ぎ完成させる預言された救い主であることを示すものです。
イエスは最後に
「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」(マタイ17・9)
と弟子たちに命じられました。これは、神様を試さないためだそうです。イエスは進んで死に、復活を試すことはありませんでした。荒れ野で40日間の断食をされた際にイエスは
『あなたの神である主を試してはならない』(マタイ4・7)
と言われたように、イエスは神を試すことはありませんでした。このお話を聞いて、いままで、うまく説明できなかったあることが説明できるようになりました。それは、死を善とするグノーシス派の解釈で、イエスがユダに
「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」(ヨハネ13・27)
と言われたのは、イエスが死をを求めたのだというものです。
荒れ野の話を聞いて、神を試さないイエスが自ら死を求めることはないと思いました。
考えてみると、人間は勝手な思いで、神を信じなかったり、試したりしてしまいます。
最近見た映画「セレンディピティ」は、偶然出会った二人が、再び出会うという偶然を求める映画です。偶然にたよるのでなく、求めなければ願いはかなわないと思いました。そんな感想と共に、そもそも、運命なら再び偶然があるはず、という神様を試す行為が苦労を招いたのではないかとも思いました。
勝手な願いで祈って、それがかなうことをを勝手に期待するのは、神様を試しているように思います。それよりも現状を受け入れて、願いがかなうように努力することがとても大切なのだと思いました。
いま、東日本は大変なことになっています。息子は千葉県の液状化地域にいます。関西にいる私には被災者の方にはもちろんのこと、息子にもほとんど何もできません。祈るしかないのかと思ってしまいます。
しかし、神様を試してはいけないと思います。小さなことでもできることはあるはずです。神様もきっと言われるでしょう。
「しようとしていることを、今すぐ、しなさい」(ヨハネ13・27)
(聖書の引用は日本聖書協会・新共同訳)
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