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2011/01/30

「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」(マルコ4・40)

世の中の変化が激しいですね。私のように会社勤めであっても、客先の組織変更で4月以降がどうなるかわからない状況です。

ソフトウェアの請負開発は建設業と似ていて、仕事がなくなってしまうという心配は日常茶飯事です。しかし、産業構造がそろそろ大きく変わるような気配もあり、ふと安心してはいられないような気がしてきます。

そんなおぼろげな不安を感じる中で、Twitterで流れたのがこの聖句でした。

 「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」 (マルコ4・40)   

それは、京都の高島屋でマザーの写真展があったときの私のつぶやきから、フォローしていただいた片柳神父のつぶやきでした。

実は階下で水木しげる展もあったので、ついでというほどでもないのですが、一石二鳥のような感じで出かけたました。これもすべて用意されたことだったのでしょうね。

この「まだ信じないのか」という語りかけには、いつもドキッとさせられます。この聖句については以前にもこのブログで書きましたhttp://sakaba.cocolog-nifty.com/cocoro/2009/06/post-a385.htmlが、なにも恐れず、前向きに暮らすだけでよいのに明日のことに思い煩ってしまうことは、人間の弱さなのでしょうね。

どっちにしてもなるようにしかならないのですから、あせるだけ損ですよね。前向きに今できることを誠実に行うこと以外に、未来を切り開く方法はないのですから。

神に感謝!

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)
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2011/01/09

だいじょうぶ

NHKの朝の連続TVドラマ「てっぱん」の中の言葉です。駅伝ランナーが足をけがして落ち込んでいるところを「だいじょうぶ」と主人公が励ましていました。

どうしようもない時に声をもらうなら、どんな言葉がうれしいでしょうか?

「頑張って!」そんな言葉をかける人もいるでしょう。少し前向きな時に言われたなら嬉しいかもしれませんが、どうしようもないときに言われるとつらいかもしれません。頑張りたくても頑張れないので苦しいのですから、、、。

「あなたなら大丈夫!」そんな言葉もあるでしょう。子供の時なら素直に聞けたかもしれません。でも、たとえ家族であっても「何がわかっているんだ!」そんな気持ちを抱いてしまうでしょう。

ドラマでは何も考えず「だいじょうぶ」そう言っていました。なぜとか、どうしてとか、そんなことは関係ありません。とにかく「だいじょうぶ」そんな脳天気な気持ちが落ち込んでいるときには必要なのです。

今日は河原町教会で久しぶりにミサに与りました。福音では、洗礼者ヨハネからイエス・キリストが洗礼を受け、

「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(マタイ3・17)

と言う声が、天から聞こえました。これは、イエスが救世主であることを示しているそうです。

晴佐久神父の「だいじょうぶだよ」という本がありますが、この「だいじょうぶ」という気持ちを抱けるのは、神様の恵みです。すべての物事には意味があり、世界を完成させるための神様の意思です。無駄に苦しいことはなく、それは喜びにつながるものです。

年をとるといろいろな苦しみがあり、ドラマの主人公のように純粋な気持ちで「だいじょうぶ」とは思えません。でも、神様の存在を認めることができるなら、ぎりぎりのところで「だいじょうぶ」と思えます。

たいした信仰ではありませんが、私にとっては大切な信仰です。

(聖書の引用は、日本聖書協会 新共同訳)

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