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2010/09/12

ゆだねることは受け入れること

今日のミサの答唱詩編のことば(詩編51・19)

  神よ、私のささげものは打ち砕かれた心。

この言葉は、日々苦しみを感じている信者の心に響いたのではないでしょうか。どうしようもない状況の中で、苦しみを神様に捧げる。きっとそれを神様は受け入れてくださり、私に元気を与えてくださる。そのような言葉なのでしょう。

それは自分の苦しみを神様にゆだねることだと思います。自分ではどうしようもない気持ちを神様に預けてしまい、お任せするのです。

ゆだねるというのは、直接判断せずに任せた方に従うということです。どうなってもかまいません、どうか私の気持ちを分かってください。そういう意味です。

ところで、私の人生は私のものですが、備えてくださるのは神様です。うれしいことも、悲しいことも、みんな神様が備えてくださったのです。苦しいときには試練のように感じることもあるでしょう。でも、それも私たちが乗り越えられる範囲で、神様が備えてくださったものです。

人生の苦しみを神様にゆだねること。それは、神さまの備えてくださった人生を受け入れることだと思います。あなたの与えた試練、私は受け入れます。だから、苦しみを分かち合ってください。そのような願いです。

きっと、神さまは「そうか、そうか」と分かち合ってくださるでしょう。そして共に苦しみながらも、喜んでくださるでしょう。それは、私たちは信じているからです。

与えられた苦しみから、決して逃げず、向かい合い、くさらず、乗り越えれば、それはきっと人生の糧となり、豊かな人生を歩めることを。

<')))><

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コメント

拝読させて頂いて涙がポロポロでました。さかばさん、ありがとう…。

投稿: ケファ(さっちゃん) | 2010/09/13 04:02

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