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2010/07/19

マルタが解放されるための本当の「福音」

主日の福音は、有名なマルタとマリアの話でした。

このお話は、自分はどちらだろうか、とか、どちらが良いか、という話題になりがちですが、福音のヒントの(3)には、こんなことが書かれています。

イエスの言葉はマルタにとって耳の痛いものであったかもしれません。しかし、固定化された男女の役割分担に縛られ、人と人との比較の中でしか自分や姉妹を見ることのできなかったマルタにとって、そこから解放されるための本当の「福音」だったのではないでしょうか。それはついつい他人との比較の中で自分を見てしまうわたしたちにとっても解放のメッセージなのではないでしょうか。

マリアの考え方も、マルタの考え方も、どちらも神に与えられた自由意志です。どちらも良いことをしているので、尊重されるべきです。しかし、マルタは心を乱しました。奉仕という良いことをしているのに、それでは台無しです。お互いを尊重してこそ、平和が現れるのでしょうね。

この福音では、マリアが聞いていたイエスの話は載っておらず、このマルタが救われたお話が載っています。それほど大切なお話ということなのでしょう。そのお話は、マルタの神に向かう率直な気持ちが、救いをもたらしたと言えるのでしょうね。

ところで、福音のヒントで一点だけ気になったことがあります。「祈りが形式的なきれい事になっているとしたら」と書かれていることです。形式的な祈りというものがあるとすれば、それは祈りを真似た「行為」であって、信仰によるものではないと思います。祈りは神と語るという信仰に基づく行為のはずです。形式的な儀式や行為を祈りと呼びたくありません。「祈りが表層的なきれい事になっているとしたら」と書いてほしかったと思いました。

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コメント

このエピソードは私も絵本で知りました。忙しいマルタに一見厳しそうな御言葉を投げかけられたイエス様はマルタに優しく「マルタ、マルタよ。あなたも忙しい手を止めてこっちに来て一緒に私の話を聞きなさい。」と御言葉を投げかけられます。そして、マルタもその時にハッとして、手をとめ、主の御言葉を聞くためにマリアと一緒に仲良くイエズス様の足元で話を聞くというハッピーエンドでした。神に感謝!

投稿: ケファ(さっちゃん) | 2010/07/19 04:29

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