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2010/06/24

「よし」

今日は久しぶりに入門講座に参加しました。

神父が多忙なため、みんなで創世記のはじめのところを分かち合いました。聖書の中でも私が好きなところです。何もないところで「光あれ」と栄光を示された後に、世界を順に作られていきます。そして「よし」といわれます。

この「よし」でわかるように、神様は世界を完成に向けて作られました。だから「人生に無駄なものは何もない」ですし、「乗り越えられない試練はない」のです。これは私にとって、とても大切な信仰です。世界が流れていて、誰かが助けてくださるのではなく、世界が完成に向かっていてその中に私の人生があるのです。

そこでは、たとえ苦しい出来事であっても、それには意味があります。いつかそれが役に立つのです。だから乗り越えられない試練もありません。もちろん失敗するかもしれませんが、そのことも私の人生にとっては、大切な出来事なのです。

この「よし」は、ようやくできたときの「よし!」ではないと思います。英会話でこまめに「Good!」とさらりと言うように、「そう、そう、その感じ」「いいぞ、いいそ」のような「よし」だと思います。

私の人生でも、苦しいときもやってきます。でも、へこたれるわけにはいきません。その苦しみには意味があり、喜びにつながるからです。そして、もしどうしようもなく疲れたなら、そっと耳を澄まします。

きっと、「よし!、その感じ、もう少し!」と聞こえるはずです。

神に感謝!

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2010/06/13

わたしは主に罪を犯した

今日のミサの第1朗読では罪をダビデがナタンに罪の自覚を促されます。そしてダビデが

「わたしは主に罪を犯した。」(サムエル下12・13)

というと、罪が許されるお話でした。

神様は何でもご存知で、わざわざ告白する必要はありません。ただ、傲慢な自分を振り返り、人が神ではないのはもちろんのこと、義人(正しい人)ですらないことを自覚しなければいけません。

罪を犯さずに生きていける人はいません。多かれ少なかれ、わがままや、自分の思い込みで、良かれと思っても人を傷つけているのです。そのことを自覚したときに罪は赦されます。

福音朗読で「あなたの信仰があなたを救った」(ルカ8・50)とあるのは、神様を認める、つまり、完全なものは神のみであり、人間は不完全であることを認めたときに、救われると言うことなのだと思います。

今日のミサでも、いつものようにご聖体をいただきました。シャイなわたしは、平和の挨拶でもムスッとしていることも多いです。しかし、ご聖体をいただくときは、ついニコニコしてしまいました。

全てをお見通しの神様に、何も隠し立てすることはありません。喜ぶときは喜び、悲しむときは悲しみ、反省するときは反省する、そんな素直な気持ちで神様に向かうからこそ、赦されるのだと思いました。

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2010/06/12

悪魔界最高! - ドラマ怪物くん最終回 -

原作と別世界を描いたドラマの怪物くん。毎回テーマがあって面白かったのですが、今日で最終回でした。

ドラマの怪物君は怪物界のプリンスである怪物くんが悪魔界と戦います。そして最終回ではデモキングという悪魔界の王を倒して、短い人生を懸命に、働き、助けあい、ゆるし、愛する、人間のすばらしさを説き、「人間界最高!」と叫びました。そして、自分を学ばせてくれた悪魔界に対して「悪魔界最高!」と言い、滅ぼすのではなく共に助け合おうとします。

全知全能の神がなぜ悪魔を滅ぼさないか、少しわかったような気がしました。

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2010/06/06

素直な気持ち

今日のミサ、少し遅刻してしまいました。
こういうときは、移動中に回心の祈りをすると良いそうです。

全能の神と兄弟の皆さんに告白します。
私は思い、言葉、行い、怠りによってたびたび罪を犯しました。
聖母マリア、全ての天使と聖人、そして兄弟の皆さん、
罪深い私のために神に祈ってください。

この祈りをすると、素直な気持ちになれます。
自分は間違っていない、罪なんか犯していない、などとついつい傲慢な気持ちを抱きながら生きてしまいますが、この祈りをするとそんな私の心など、神様にばればれであることを思い出します。

自分勝手な思い、思いやりの少ない言葉、良かれと思って人を傷つけ、そしてついつい「これだけすれば良いだろう」などと休んでしまいます。本当に「たびたび」罪を犯しています。

そんなことを考えていると、不思議とおだやかな、素直な気持ちになれるのです。

若い頃「素直になれ!」と言われて意味がわかりませんでした。自分の気持ちを表したり、思いをそのまま実践するのではありません。自分の気持ちに囚われずに、ありのままを受け入れるのです。

今日のミサは「5つのパンと2匹の魚」の話でした。リンク先に示すように、色々な解釈があると思います。

たしか、カトリック新聞の晴佐久神父の記事だったと思うのですが、リンク先の解釈に異を唱えておられました。聖書に書いてあるのだから、その通り起きたのだと。キリストが少しの食べ物を分けたら、5千人が満たされた、とのこと。

その記事を読んだときは、神父の信仰の力に圧倒されつつも、でも「つられて、ついつい出した」と言う解釈も魅力的だと思っていました。

今日、「素直」という言葉を考えていて、この記事を思い出しました。「なぜ」を考えるよりも、「満たされた人々」の喜びを素直に思い浮かべることの方が、幸せなのだと思いました。

神に感謝!

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2010/06/05

復活のキリスト カトリック草津教会

Kusatsu
草津と言うと東海道の宿場町、観光名所の草津宿本陣を目印に行くと良いのがカトリック草津教会http://www.eonet.ne.jp/~catholic-otsu/Church%20in%20shiga.html#kusatu(リンク先は大津教会の紹介ページ)です。隣接する幼稚園http://kusatsucatholic.youchien.to/tizu.htmlを目印にされても良いかもしれません。

草津にはかつて草津川という天井川があり、その下をくぐるトンネルを越えると左に公民館、右手に草津宿本陣です。草津川の堤防からも見えますが、降りるところが限られているので、チョッと迷いました。

さて、お御堂の中は近代的なひし形の空間が広がります。正面の復活でイエス様が両手を挙げておられるほか、十字架の磔のイエス様まで手を挙げておられたのが印象的でした(HolyRingの紹介)。

普通のイスが並ぶお御堂のなかに、ご聖体の前にお祈りのスペースがあって少し幸せになりました。

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Kusatsu2


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2010/06/02

信仰によって義とされる

最近は中々ミサにも与れず、先日の久々のご聖体についついニコニコしてしまいました。

ミサにいけなくても聖書は読めます。毎日、タイトルや説明だけでも読んでいるサイトがあります。
先日は、信仰によって義とされる(リンク先は毎日聖書・本日も聖典なり)
で、信仰義認によって割礼がなくなったことを知りました。

割礼と言う行動によって義とされず、信仰によって義にされるのですね。なるほど。

神に感謝!

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