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2010/05/31

多神教と三位一体

以前から、ギリシャ正教のクリスチャンだった小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が、なぜ日本の多神教文化に惹かれたか、疑問に思っていました。しかし、先日「トイレの神様」を聞いて、なんとなく判ったような気がしました。

夢をかなえてくれる神様、それが多神教の神様だと思います。ただ、ひたすら願えばかなえてくれる、そういう存在は心を豊かに、優しくしくしてくれるのだと思いました。

カトリックで言うなら、それはマリア様をはじめとする聖人になります。一つしかない世界で絶対の存在である神に、願いを取り次いでもらうことをお願いします。でも、全ての願いがかなうわけではありません。

もちろん、全ての願いがかなえばよいのですが、
映画ブルース・オールマイティで描かれるように、全ての人の願いをかなえることは簡単ではありません。聖人や多神教の神様が全ての願いをかなえようとするなら、他の聖人や神様と争わなければなりません。なにかギリシャ神話のようですね。

神様が、世界の秩序を維持し、人間により良い成長を促し、世界を完成に向かわせるには、人間の願いをただ聞き入れるのではなく、本当に必要なものを与えなくてはなりません。そのためには、秩序を維持できるような唯一の神が必要なのです。

しかも、極限の苦しみの中でも希望を見出せます。必要なことであれば自分の息子でさえも処刑されるに任せ、やがてそれが喜びにつながる。父と子と聖霊という3つの位格によって人間を導きながら、それらは一つであり、一貫性が保たれています。

単に望みがかなうのではなく、必要なものが与えられる。そのことを信じることができるのは、神が唯一であり、唯一の世界を完成に導いてくれるからだと思います。

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2010/05/26

ルシファーの話 - 聖☆おにいさん5巻 -

今回も楽しく聖☆おにいさん5巻を読みましたが、ルシファーの話は知りませんでした。

調べてみると、これはいくつかの説を組み合わせたもののようです。

- 大天使ミカエルとルシファーは双子
- ルシファーは元大天使長でサタンと同じ
- 大天使ミカエルは堕天使サマエルと争った
- 堕天使サマエルはサタンと同じ
- 大天使ミカエルは赤い竜と争った(黙示録)
- 赤い竜はサタン

これらをあわせると、

- ルシファはミカエルと双子で、争った

となるようです。

ちなみに、

- ルシファーは明けの明星の意味

だそうで、聖書のペトロの手紙二1章19節では、

- 明けの明星がイエス・キリストをさす

という解釈をするそうです。

そうすると、

- ミカエルとイエスが双子で、、、、

などと言うことはありません。たぶん。

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2010/05/24

トイレの神様

人が善く生きるようにしてくれるものを神様と呼ぶのでしょうね。

泣かせると話題のこの歌を、なんども聴きました。ついついじっくりと聞いてしまいます。病室でおばあちゃんがあまり話さなかったことには、様々な思いがめぐりました。

現実的に考えれば「トイレの神様」なんて、おばあちゃんの作り話です。そんな美人の神様がいるわけありません。ましてや、トイレをきれいにしても、どんなにピカピカにしても、美人にしてくれるわけありません。

でも、この神様を信じる人の心はピカピカです。いつも孫の成長を願う心、最期に一度だけでも会いたいと思うやさしい心、そんなおばあちゃんに感謝する心、みんな素敵です。

きっと神様はいるのでしょうね。

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2010/05/23

笑って暮らしとったから、大丈夫だ。- ゲゲゲの女房 -

NHKの朝のテレビ小説「ゲゲゲの女房」は、漫画家の水木しげるさんの奥様のお話です。貸本やブームが過ぎて経済的に厳しい漫画家に嫁入りした主人公。経験したことのない貧しさの中で苦労します。でも、悩みを抱える青年に

「そうくよくよせずに、ほがらか~にやっとればいいんです。」

という水木しげるさんの人柄もあって、なんとかやっていました。

あるとき、父親が様子を見に来て、いろいろな出来事の後にこういいます。

「お金はないけど、毎日笑って暮らしてるよ。」

この言葉を聞いて、父親は安心して帰ります。

そして、母親に聞かれてこう答えます。

「笑って暮らしとった。笑って暮らしとったから、大丈夫だ。」

親から見ると、子供は危なっかしいものです。ついつい失敗しないように口を出したり、おせっかいしたり、、、、

でも、いつしか子供は成長し、巣立っていきます。若いから苦労もするでしょう。失敗もするでしょう。でも、そのような中でも、明るく生きていてくれれば幸せなのだと思いました。

コロサイ人への手紙3章21節のこんな言葉を思い出しました。

「父たる者よ、子供をいらだたせてはいけない。心がいじけるかも知れないから。」
(日本聖書協会・口語訳)

これからすると、私はたぶん父たる者としては、だめなほうだと思います。でも、子供に「笑って暮らして欲しい」と思う気持ちでは負けません。それ以上の幸せはないと思いますから。

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2010/05/21

笑顔

シスターや神父に限らず、ニコニコされているクリスチャンは多い。

特別な出来事が会ったわけでもない。人に会うための作り笑顔でもない。人生そのものが大きな恵みであることを感じているからこそ、自然に出てくる笑顔なのだと思う。

苦しくて「もうだめだ!」と思ってしまいそうになることもあるだろう。実際、苦しいこともあったはずだ。でも、つい笑顔が出てしまうのは、苦しみのあとにはその苦しみを体験したからこそわかる「大きな喜び」が待っていることを知っているからだ。

世の中の景気が悪いからか、私にも大変な仕事が回ってくることが増えた。でも、とんでもない状況であっても、「もうすぐ、出エジプトだ!」と思えるのは、信仰のおかげだろう。

最近少し落ち着いて、あるクリスチャンの友人に「エジプトは出たけど、紅海はまだ渡れてないようだ」とぼやいたところ、「私はマナが降ってくるのを待っています」と返された。

お互いに苦労していても、笑い合えるのは素敵なことである。

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2010/05/16

信仰の段階

今日は主の昇天の祝日ですね。復活したキリストが旧約聖書とキリストの関係を示し、今後のことを伝えた後に、天に上げられます。
福音のヒントによれば、

ルカは、「復活→昇天→聖霊降臨」を時間的な流れの中で起きた出来事として伝えていますが、他の福音書はそうではありません。この3つは別々の出来事というよりも、イエスの死の後に実現したこと全体のいろいろな側面を表しているとも言えるのではないでしょうか。

これを読んで信仰の段階をあらわしているのだと思いました。

受難
神様を十字架につけるような生き方

復活
神様の存在に気付く

昇天
神学的な理解をする。イエス・キリストを十字架につけたのは自分たちであること。回心すればその恵みに与り、救われることを知る

聖霊降臨
信仰が固まった状態

証人となる
人生の中で、証をする

こんなにきれいな歩めるはずもなく、行ったり、来たり、歩んでいくのでしょうね。

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その名によって

その名は「イエス・キリスト」です。ナザレのイエスと呼ばれたその人は、ただ一人「救い主」と呼ばれました。

全ての人が回心して救われるように、人の責任にしてやれることをやりきっていない自分勝手な私が前向きになるために、その人は十字架につきました。

人それぞれの出会い方があり、人それぞれの回心があるでしょう。そして、人それぞれの救いがあり、恵みを受けるのでしょう。

その名は「イエス・キリスト」。

今日は最少人数での分かち合いでしたが、イエスの救いを感じました。

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2010/05/14

チャンスがいっぱい!

わたしの仕事は技術の進歩が激しいので、新しいことを次々に学ばないといけません。

できることが前提の仕事が回ってきて、「どうしよう!」と思うことも少なくありません。

でも、ふと思うのです。

「これは、神様の与えたチャンスに違いない!」

そう思うと、不思議とやる気が出てきます。

「失敗しても当たり前、このチャンスを生かしてやる!」

そう思って、困難に向き合います。トラブると困るので、会社の人も、お客さんも味方です。何も怖がることはないのです。

わたしの人生はチャンスがいっぱいです。

いつもありがとうございます。他の人にも分けてあげてくださいね。>神さま

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