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2010/04/12

今日こそ神がつくられた日

日曜日は久しぶりに所属教会で主日のミサに与りました。

答唱は

「今日こそ神がつくられた日~♪」

でした。これは、主日、つまり日曜日のことでしょう。イスラエルの民がエジプトに居る時の労使交渉の結果、旧約聖書の創世記の記述に従って7日に1日は神様に祈りを捧げる日として認めてもらったのです。それが今の主日になっています。

(正確に言うと当時決められたのは、ユダヤ教の安息日である土曜日が休みになりました。その分派として発生したキリスト教が日曜日に定めたのです。ちなみにイスラム教は金曜日です。)

恥ずかしながら、私はこの歌の解釈を間違えたことがあります。

「今日こそ神(という概念)がつくられた日~♪」

上記からすると明らかに間違いですが、この解釈を発展させると興味深い結果が得られます。

宗教は唯心論に基づくものであり、そう思うことが真実になる世界です。神と言う概念は、人間が作ったものに間違いがないですが、そこで真実とされる神は永遠の存在です。神という概念が生まれる前、世界ができる前から存在しているのです。

つまり、神を否定する人に神は存在しませんが、神を認めた人には神は永遠に存在するのです。そうすると、私のように神の存在を否定した人にとって、神はある日突然、永遠に存在するのです。つまり、あらかじめ神が存在していたのに存在せず、ある日突然に永遠の存在として復活するのです。

キリスト教は復活信仰と呼ばれます。これはイエスの復活を信じるという意味ですが、そのことを信じると、壊れていた神との関係が復活するということなのかもしれません。それは、イエスの受難により復活したのであり、受難こそ、神から離れていたわたしたちの罪のあがないであるのです。

このように考えると、イエスの受難を通じて神さまの存在を認めること、それこそが神の復活であり、罪があがなわれることだといえるのです。だからこそ、洗礼で罪が清められるのでしょうね。

<')))><

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コメント

イスラエルって…なんだろう…?

投稿: BlogPetの我輩は猫である | 2010/04/18 15:07

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