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2010/04/28

帰天

カトリックでは、人が亡くなられたことを「帰天」と呼びます。永遠の命を得た信者は、肉体が滅びても神の元へ帰っていき続けることをそう呼ぶのだと思います。

このため、お悔やみの言葉は「ご冥福をお祈りします」のほか、「霊魂の永遠の安息をお祈りします」などとも言います。煉獄にとどまることなく神の元にで安らかにすごされますようにお祈りするのでしょう。

つい最近、お世話になった二人の方が帰天されました。

お一人は、入門講座でご一緒だったTさん。「私が洗礼を受けるとは、家族が一番驚いたでしょう」との言葉には、同じように思われたであろう私は共感を覚えていました。それまで一人で生きてきたからこそ、最後に依り頼むもののありがたさを感じておられたと思います。

カテキズムが苦手なようで、3年たっても「内容が多い」とぼやかれていました。その一方で「私は信仰のことは良くわかりません。でも、ご聖体は良い!」と、今から思えばとても率直で、とてもひたむきな信仰告白をされていました。

私はどちらかと言うと理詰めの信仰ですが、他のことは関係なく「ご聖体」を大切に思い、喜びを感じられるTさんの素敵な信仰の姿に、信仰は理屈ではないことを教えていただきました。

もう一人は、かつての上司です。異動になった子会社の社長でした。同じ信仰を持ちながらも、そのことをお話できないまま私は異動になりました。

やり手と言うよりは、協調型。温厚で、よく気を使う方でした。単身赴任の際にお世話になったクリーニング屋のおばさんにまで、お土産を持っていくような方でした。

1年前に退職されたばかりなのに、今日のお昼に突然の訃報が届きました。未だに信じられません。

でも、きっとお二人とも神様のもとにいかれたでしょう。お二人の霊魂の永遠の安息をお祈りしたいと思います。

もっとも悲しい時がその人にとって喜びにつながるというカトリックの教え。全ての苦しみは恵みにつながるという信仰の恵み。お世話になったお二人が帰天された寂しさを感じながらも、神に感謝したいと思います。

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2010/04/12

今日こそ神がつくられた日

日曜日は久しぶりに所属教会で主日のミサに与りました。

答唱は

「今日こそ神がつくられた日~♪」

でした。これは、主日、つまり日曜日のことでしょう。イスラエルの民がエジプトに居る時の労使交渉の結果、旧約聖書の創世記の記述に従って7日に1日は神様に祈りを捧げる日として認めてもらったのです。それが今の主日になっています。

(正確に言うと当時決められたのは、ユダヤ教の安息日である土曜日が休みになりました。その分派として発生したキリスト教が日曜日に定めたのです。ちなみにイスラム教は金曜日です。)

恥ずかしながら、私はこの歌の解釈を間違えたことがあります。

「今日こそ神(という概念)がつくられた日~♪」

上記からすると明らかに間違いですが、この解釈を発展させると興味深い結果が得られます。

宗教は唯心論に基づくものであり、そう思うことが真実になる世界です。神と言う概念は、人間が作ったものに間違いがないですが、そこで真実とされる神は永遠の存在です。神という概念が生まれる前、世界ができる前から存在しているのです。

つまり、神を否定する人に神は存在しませんが、神を認めた人には神は永遠に存在するのです。そうすると、私のように神の存在を否定した人にとって、神はある日突然、永遠に存在するのです。つまり、あらかじめ神が存在していたのに存在せず、ある日突然に永遠の存在として復活するのです。

キリスト教は復活信仰と呼ばれます。これはイエスの復活を信じるという意味ですが、そのことを信じると、壊れていた神との関係が復活するということなのかもしれません。それは、イエスの受難により復活したのであり、受難こそ、神から離れていたわたしたちの罪のあがないであるのです。

このように考えると、イエスの受難を通じて神さまの存在を認めること、それこそが神の復活であり、罪があがなわれることだといえるのです。だからこそ、洗礼で罪が清められるのでしょうね。

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2010/04/04

人生に無駄な物はない

以前、このブログに書いたI君、実はあの後にとトラブルがあって、それをきっかけに休職してしまいました。トラブルの連絡をしたのは私で、あまり調子がよくないのはわかっていたので、やばいと思いながらも立場上は連絡をせざるを得ませんでした。

休職するとの挨拶のとき、私は大したことを言えませんでしたが、職場の女性が「せっかくの機会なのだから何か始めるといい」と声をかけていました。この女性、本人もうつ病の経験があり、あわないときの薬の調整方法などを相談にのってくれていました。私も精神的に苦しい時期はありましたが、通院した経験がなく耳学問しかありませんので、大いに助かりました。

そして1ヵ月後、I君は帰ってきました。まだ薬は飲んでいますが、ヨガをやるようになって薬が減り、楽になったようです。そして、今度はI君がその女性にヨガを教えるようになりました。

すごいことだと思いませんか?

人生に無駄な物はないと言いますが、私の苦しみも、女性の苦しみも、I君の苦しみも、それぞれがそれぞれに役立って、大きな恵みになったのです。何もないに越したことはないかもしれませんが、色々なことがあったからこそ感じられる幸せもあるものですね。

年を重ねると、色々なことがあるものだとつくづく思います。でも、それはその後に待っている幸せに向けての準備なのだと思います。あせらず騒がず前向きに向き合っていきたいと思います。

うまく行くかはわかりません。でも、失敗してもかまいません。きっとその苦しみを経験しないと得られない幸せが待っているのですから。

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もはやマナはなくなった

主の御復活おめでとうございます。
そして、洗礼を受けられた皆さん、おめでとうございます。もう大丈夫ですよ。

いよいよキリスト者としての人生の始まりです。これからもつらいこともあるかもしれませんが、いつも神様が一緒です。祈りという強い武器があれば、どんなときも大丈夫です。これは神様が用意してくださった大きなお恵みです。

さて、タイトルの聖句

もはやマナはなくなった(ヨショア5・12)

は、3月14日の第1朗読の言葉です。エジプトを脱出したものの食べ物が不足していたイスラエルの人々に、主はマナをお与えになりました。必要なものは与えられると言いますが、マナはためておくことができないもので、まさに必要なものを必要なだけ与えられていたのです。そして、人々が約束の地に着いて農産物をパンや入り麦にして食べだしたとき、マナはなくなったのです。

3年前には何も感じなかったと思うのですが、とても心に残りました。あっさりしているような、すこし冷たいようなイメージも浮かびますが、これこそ、神の恵みだと思いました。

洗礼を受けた皆さんは、準備講座や入門講座を終えて、すでに必要なものは与えられました。もちろん、信者になっても入門講座に出ることも許されることもあるでしょうし、教える側になられたなら、より多くのことを学ばれるでしょう。でも、これからは緊張の糸が切れて、感じ方が大きく変わることもあると思います。

それはすでに必要なものが与えられたのです。そして、次のステップが与えられようとしているのです。これからの人生の中で、キリスト者としての生き方が求められているのです。それは今までと違って心丈夫なものではありますが、真理を知っている分だけ苦しくなるかもしれません。こんなことなら洗礼を受けるんじゃなかったと後悔してしまうほど、苦しいものかもしれません。

でも、それこそが新しいお恵みなのです。植物に栄養や水を与えすぎるとかれてしまうように、人にも与えすぎはだめなのです。なにもしなくても降ってくるマナではなく、自分で耕し、種をまき、水をやり、草を抜き、ようやく得られる収穫物、その喜びを得るためには与えすぎてはいけないのです。

もう大丈夫だから、やってみなさい。いつも一緒にいるから、やってみなさい。あなたには苦しみを癒してくれる故郷がある。どうしようもなくなった時に帰るところがある。思うようにやってみなさい。うまくいかなかったとしても、得るものは大きいのだから、無駄ではないはず。ネガティブにならず、前向きにやってごらん。そんな恵みが与えられているのです。

この春、長男がひとり立ちします。一人で暮らしたこともないのに、親元から何百キロも離れて社会人になります。親から見れば、まだまだわかってないことも多く、やっぱり子供だと思うところも残っています。でも、すでに時は満ち、そのときが来たのです。

だれだって、若いときはそんなものでしょう。何も考えず、勢いだけのときもあるでしょう。頑張りすぎて周りが見えなかったり、緊張してうまくいかないこともあるでしょう。でも、それは人の成長に大切なものなのです。

同じ日の福音は放蕩息子のお話でした。親を捨て、放蕩の限りを尽くした息子を受け入れるお話です。そんな優しい神さまは、もう一つの与えないという恵み、苦しみの向こうにある喜びを知るための恵みも与えてくださるのです。

息子の旅立ちのときを迎えて、神様の気持ちが少しわかりました。

行ってらっしゃい。体には気をつけるんだよ!

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