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2010/01/25

主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である

日曜の第1朗読(ネヘミヤ8・2-4a,5-6,8-19)は考えさせられました。
律法を聞いた人たちが感動と、自分たちの犯していた罪を悟って泣いたとあります。入門講座で「洗礼を受けたら楽になると思ってはいけない。余計に苦しくなる。」と神父が言われていたのを思い出しました。

知らずに罪を犯す苦しみよりも、罪を知りながらも良く生きられない苦しみ、罪を知るがゆえに良く生きようと努力するが故の苦しみ、あるいは、自分の中で目覚めた善悪がゆえに知らず知らず人を裁こうとしていたときの苦しみ、そのようなものを考えていました。

しかし、ネヘミヤとエズラは、こう言います。

嘆いたり、泣いたりしてはならない

主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である

そうなんですよね。罪を知るが故の苦しみも明日への力になるのです。そんな喜びを感じました。

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

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2010/01/17

主に栄光

ミサの中では、「栄光」という言葉が何度も出てきます。また、創世記の「光あれ!」という言葉も、栄光を表しているそうです。この栄光と言うのはないを表しているか考えてみました。

神様の栄光と言うのは、全知全能、1番だと言うことだと思います。もしそれを認めなければ、認めなかった人間が神よりもえらい、つまり1番だと言うことです。

もし自分が1番であるならは、その人生は決められたものでなく、自分で切り開かなければいけない人生です。その人生の中では、当然のようにその人の望みをかなえようとするでしょう。

望みをかなえることが目的であるなら、その思いは自己中心的になりがちで、ついつい傲慢になってしまいます。そして、その望みが満たされないときは、苦しみや悲しみが襲ってきます。

今日、何気なく河島英吾さんの音楽を聞いていると、「何かいいことないかな」と「てんびんばかり」という歌の歌詞が気になりました。

「何かいいことないかな」は、学生の頃に熱中するものがあっても、「何かいいことないかな」と言い続ける気持ちが歌われます。それは、満たされない気持ちだと思いました。

「てんびんばかり」は「真実は一つなのか」と言いつつも、世の中が真実を曲げて動いている状況を嘆くものです。真実を求める歌と言えるでしょう。

満たされない気持ち、真実を求める気持ち、それは自分を一番にすることによる苦しみです。それは、青春の時だけでなく、大人になればなるほど直面する苦しみでしょう。

全てのものの1番があるなら、それを信じればよい、それに願えばよい、それに任せればよい。そして、その思いに従えば、苦しみから解放される。そう確信しています。

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