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2009/10/31

出エジプト記の体験

ここのところ仕事が大変で、土曜・日曜関係なし、深夜残業どころか、会社に泊まって2時間ほどしか寝ないということもありました。めったにないことですが、利用者あってのソフトウェアなので、問題があれば早急にに対処しなければなりません。

そんな状況で思い出したのが、出エジプト記の時代でした。当時のエジプトでは、ユダヤ人が奴隷のように酷使されていましたが、次々に倒れる人が出たために、いわば労使協定のような形で休みの日が定められました。それが安息日です。

そんな安息日もなく働き続けていると、私にとってのエジプトからの脱出はいつなのかと考えていました。昔だったら、必死になると緊張感が増してピリピリしていたのですが、不思議と苦しい現状を受け入れることができました。エジプトからの脱出が必ず訪れると思っていたからです。

ミサにも与れず、心の中で「主よ!憐れみたまえ」と唱えていましたが、不思議と心は穏やかでした。エジプトで苦しんでいたユダヤの人たちと同じように、私のそばにも神様が共にいてくださったからだと思います。

ようやくエジプトの日々は終わり、今は喜びに満たされています。明日こそはミサに与りたいと思います(体力があれば、、、)。

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2009/10/12

あるものはある、ないものはない、ただそれだけ

NHKの朝ドラが「うぇるかめ」になりました。もう少しトレンディな内容にすれば視聴率を稼げるのそうしないので、安心してみてられます。そして、昔ながらのメッセージ性のある内容に、時々考えさせられます。

先日も「あるもんはある、ないもんはない、ただそれだけや!」との言葉に考えさせられました。ようやく望みに仕事に就けた主人公が失業して悲しんでいたときに語られたこの言葉、ちょっと冷たい用にも感じましたが、現実は現実です。

悲しいことがあったとき、なぜ自分だけこのような目にあうのだろうと思います。逆に幸せなときには、この幸せを失ったらどうしようと不安になります。

でも、悲しみのどん底ならそれ以上に不幸にはならないし、今が幸せなら素直に喜んでいれば良い、何も思い煩うことなどありません。現実は現実、悲しもうが苦しもうがそのままの現実は変わりません。変えられるのは未来だけです。現実を受け入れて、どう歩んでいくか、それが大切なのだと思います。

昨日は仕事でミサにいけませんでした。でも、その現実を踏まえてブログを書いてみました。苦しいことも辛いことも、それはあるがままの現実です。未来に向かって歩むだけ、そんな気持ちです。

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2009/10/04

二人は一体

今日のミサで気になった言葉です。

「天地創造の初めから、神は人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから二人はもはや別々ではなく、一体である。
」(マルコ10・6-8)

このとき、ふと夫婦喧嘩の時のことを思い出しました。そのときの気持ちは自分中心で相手の気持ちを考えることもなく、決して一体とは考えていませんでした。

夫婦でなくとも、人と人が争うときも同じだと思います。自分の考えが中心で、相手の個性や立場、様々な思いに対する配慮を忘れているのではないでしょうか?

もちろん、ぶつかるときもあります。でもお互いを尊重し、寛容の心で理解しあえば、争いではなく和解ができるのではないでしょうか。

神の国はあなたがたの間にある」(ルカ17・20-21)という言葉を思い出しました。

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2009/10/03

一人ひとり違って当たり前

プロップステーションの竹中ナミさん(ナミねぇ)が朝日新聞に新政権へのコメントを書かれました。障害者の母として社会福祉法人を運営するナミねぇは、

「いろんな人がいる。それが社会なんや!」「人の成長のスピードは、一人ひとり違って当たり前」ということを学んだ。

と書かれています。「一人ひとり違って当たり前」そうですよね。一人一人が特別なんですね。さらにナミねぇはこうも言われています。

人は障害の有無や性別、年齢にかかわらず、誰かに期待されている時、自分に誇りが持てる。マイナスだけに着目する福祉は、いくらそこに「慈愛」が込められていても、人の誇りを奪うことになると思う。

この文章は、ナミねぇたちの活動を表しているので、ぜひ上記の記事を読んでいただきたいし、プロップの活動も知ってほしいと思います。でも、この文章を読んで、私は別の意味でハッとさせられました。

仏教の「慈悲」あるいは「慈愛」と「愛(アガペー)」はとても似ている言葉ですが、少し違うと思っていました。うまく表せなかったのですが、この文章ではっきりしました。

「愛(アガペー)」とは「満たされる」ことなんだと思いました。「優しさ」や「情け」ではなく、特別な存在である一人一人が受け入れられることで、満たされる。そういうことなのだと思いました。

人の苦しみや悲しみの多くが、満たされない思いからきていると思います。「どうして私だけが」、「あの人はXXなのに」、「もっとXXしたい」など、特別な存在である自分を受け入れられず、自分の価値を認められない。たとえ誰かに優しくしてもらっても決して満たされない。

あなたはそのままで良い、愛されて生まれてきた、全ての人の人生に意味があり、全ての出来事に意味がある、だからあなたとあなたの人生は大切なんだ、そういうメッセージが必要なのですね。

かつてキリシタン時代に「愛(アガペー)」を「ごたいせつ」と呼ばれていたことを思い出しました。

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