« 大切なものを失って得るものもある | トップページ | 自分に優しくしてあげたら? »

2009/09/13

自分の十字架を背負う

今日の福音では、

「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」(マルコ8・34)

とイエスが語りました。まず、自分を捨てなければなりません。それだけでなく十字架を背負わなければなりません。厳しい言葉です。マタイ福音書で

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。
わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11・28-30)

という優しいイエスの言葉と大きく異なります。そんなことを考えていたとき、第1朗読のイザヤの預言に描かれたイエスの受難で、イエスが十字架を担いだ様子を思い出しました。

「見よ、主なる神が助けてくださる。」(イザヤ50・9)

とあるように、厳しい鞭打ちの後に重い十字架を担いだイエスに、助けの手が差し伸べられました。顔が拭かれ、十字架をかわりに担ぎ、担ぎきれない重い十字架を担げるような助けがありました。だからこそ、イエスは最期の時を迎えることができ、復活の栄光に与ることができたのです。

そんなことを考えていて、先日ここに書いた「幸せのちから」を思い出しました。

神様の助けを過信してはいけませんが、あきらめてもいけません。神様の助けは必ずあります。自分の心と命を傷つけるほど無理に頑張る必要はありません。わがままを捨てて、生きるべき道を真摯に生きていくならば、きっと神の助けがあるに違いありません。

そう思い直して福音を読み直すと、最後に書いてありました。

「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。」(マルコ8・35)

神に感謝!

<')))><

|

« 大切なものを失って得るものもある | トップページ | 自分に優しくしてあげたら? »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138594/46205262

この記事へのトラックバック一覧です: 自分の十字架を背負う:

« 大切なものを失って得るものもある | トップページ | 自分に優しくしてあげたら? »