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2009/08/16

食べたのに死んでしまった

土曜日の聖母被昇天祭は所属教会に、日曜日は桂教会でミサに与りました。

土曜日の説教は心理学者のエリック・フロム(エーリッヒ・フロム)のお話でした。彼は愛するには配慮、責任、尊敬、知識が必要だと述べているそうです。

相手との関わりの中で、配慮がなければ愛することはできません。大事な人に義務でなく、優しさや配慮する責任があります。尊敬とは「再び人を見る」という意味です。その人のユニークさを大事にしなければなりません。知らない人は大事にしにくいです。大事でなければ、知ろうと思いません。

アガペーは自己中心でなく、献身的で、奉仕の愛です。全てをゆるし、哀れみを持ち、母の優しさ、無償の愛です。

といったお話でした。日曜のミサでは、福音「イエスは命のパン」(ヨハネ6・51-58)から

「先祖が食べたのに死んでしまったようなものとは違う。」

という天からマンナが降ってきたお話を受けたと思われるみことばを取り上げられ、それは食べただけで奉仕しなかったからだとされました。

2つの説教を聞いて、

「言は神であった。」(ヨハネ1・1)

という言葉を思い出していました。パンが神の肉、言葉であるなら、それを食べるとは信じることだと思います。そして血は肉に通うものですから、血を飲むことは信仰に基づいて行うことではないかと思いました。

イエスの言葉をいただき、それに従う。それが永遠の命、すなわち愛だと思いました。

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

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