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2009/07/26

願うのではなく聞くことから始まる

今日は電車に乗り遅れたので、それでも間に合う河原町教会のミサに与りました。ミサ曲が7番からのものだったので、いつもと違って荘厳な感じがしました。

今日の福音は「5つのパンと2匹の魚」の話でした。第1朗読と詩編も福音に沿った神から食べ物が与えられるというものでした。特に詩編の解説を読むと「いのちのかてを豊かに恵まれる」というのは新共同訳では「ときに応じて食べ物をくださいます」とされていて、苦しくても不満を言うことなく、その時が来るのを待たないといけないと思っていました。

しかし、説教では、神に願うのではなく神の言葉を聞き従うようにと語られました。

第一朗読「エリシャの奇跡」(列王記下4・42-44)で「主は言われる」とあるように、奇跡は神の言葉だから実現することを話されました。人はついつい期待しますが、期待通りでなく、言葉通りになるように祈らなければなりません。

そして第二朗読「キリストの体は一つ」(エフェソ4・1-6)で「平和のきずなで結ばれて」とあるように、キリストのきずな、すなわち神の中で実現するのです。願うのではなく、聞くことから始まります。神の言葉をもっと知らなければなりません。

第3朗読のヨハネによる福音書は奇跡をしるしとして書いています。「五千人に食べ物を与える」(ヨハネ6・1-15)はパンを増やした奇跡の話というよりは、その後の「イエスは命のパン」とつながる話です。キリストにつながることで満たされるお話です。

勝手に作り上げた神ではなく、神のみ言葉を聞くことが大切です。都合が悪いことも聞き、キリストがしてほしいように生きることが大切です。

自分の望みばかりを祈るのではなく、時がくるまで神の望むように生きなければならないのでしょうね。

神に感謝!

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

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2009/07/19

しばらく休むがよい


今日の短い福音(マルコ6・30-34)から、説教では「しばらく休むがよい」という言葉が取り上げられました。聖書のはじめに出てくるように、7日目に神様が休まれたことから安息日が定められました。

実際に安息日が定められたのは、ユダヤ人がエジプトで奴隷になっているときだと本で読みました。毎日の重労働で人々が順に倒れていくことから、労使の妥協で礼拝の日が定められたそうです。それは人間が決めたルールではありますが、聖書で神が定めた休みに基づくものでした。

考えてみると、説教ので語られた神の定めた休みを、しっかりと守っていないように思いました。休みの日も仕事のことを考えたり、作業をしたり、、、聖書の最初の教えでさえも守っていないことに気付いて、驚きました。仕事だけでなく、文化的な生活を送ることも神の定めたことだったのですね。

昨日の聖書の分かち合いでは、最後の一文が気になりました。飼い主のいない羊のような群集の有様をイエスが哀れみ、色々と教えられたところです。人が生きるためにはどのように生きるかが判っていなければなりません。どのように生きるべきか、それは神様の教えである、そのように読めました。

休むことをはじめとして、様々な教えが聖書にあります。ついついおろそかにしてしまいますが、教えを大切にすることが、豊かな人生を歩むためには必要なのでしょうね。

ところで、「あなたがただけで人里離れた所へ行って」とイエス様は言われましたが、なぜ「イエスは舟から上がり」と書かれているのでしょうか?興奮した弟子の話を聞くことに疲れたイエスが、弟子たちだけをどこかにやろうとしたのに、「まあ、そう言わずに」などと言われて一緒に行動したのでしょうか?それとも、別の船で違うところに行こうとしていたのでしょうか?それとも急に現れたという奇跡の話なのでしょうか?不思議に思ったのは私だけ?

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

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2009/07/18

だって神様だもの

なぜ、イエス・キリストは神であるか?

神は全能であり、無から有を生み出すもの。愛を失い、律法に生きていた人間に、愛という概念を生んだのはイエス・キリストであり、だから神である。そんな風に考えたりしていたのですが、先日の子どものミサでやられました。「だってイエスさまは、かみさまだもの♪」。なるほど、何も考える必要はない、ただそれだけのことなのですね。

子どものミサで、フォーク風の歌が歌われることには色々な意見があるようですが、このストレートな表現に時々「はっ!」とさせられます。なので、「これはこれで良いかな」と思っています。

江島正子著「モンテッソーリの宗教教育」によれば、子どもが成長の中で特定の時期に特定のものに興味を持つ時期(これを敏感期という)があり、この敏感期に適した仕事を提供してやれば、子どもはその反復作業を通じて集中し、秩序正しい生活を送るとされています。そして、宗教の敏感期もあるとされていて、子どものミサは子供の宗教観育成に役立つものかもしれませんね。

この敏感期ですが、私は大人にもあると思っています。ある日突然に興味を持って、吸い込まれるようにその道を走ってしまうことってありますよね。そう思っているからこそ、色々な歌や、色々な説教に出会って、色々な感動をしたいと思います。

「だって神様だもの」という一言に感動してしまうのは、私が子供なだけなのかもしれませんけど、、、

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2009/07/12

自由意志とご計画

何気なく考えると矛盾するような「自由意志」と「ご計画」という言葉。

自由意志とは、神が人間に与えたもので、人に自由が得られました。一方、神さまは世界を完成させるために世界を作られたので、神を信じる人間はご計画によって救われるというものです。

人間は自由なのか、それとも決まった道を歩んでいるのか、そんなことを考えているとある出来事がありました。

妻が無防備な格好で転寝(うたたね)をしていると、娘がやってきました。これまた自由奔放な姿勢で椅子に座りました。この姿を見て、遺伝子というのは恐ろしいと思いながらも、この二人は自由で幸せなのだと思いました。

自分のあり方を自分で選び生きていく、そのことは当たり前ではありますが、とても幸せなことです。もちろん、失敗することもあるでしょう。でも、後悔するだけでなく未来に向かって歩むことができるなら、その失敗さえも糧にして未来を歩めるに違いありません。

イスにいい加減な格好で座る娘ですが、危なっかしくて見ていられなければ、父である私は何かいうでしょう。でも、立てひじをついていて、ガクッとなる程度ならそれも経験になるので、そのままにしておくでしょう。その程度で変に口出しするとうるさいし、自由を満喫できませんからね。未来に向かって歩んでくれるとわかっているからこそ、自由に生きてほしいのです。

そう思うと、自由意志とご計画はそのようなものではないかと思いました。父なる神は世界の完成に向けて、私たちを愛してくださるし、導いても下さる。でも、私たちは自由だし、それを満喫して、幸せを感じていればよい。私たちはいつも自由だし、どんな時も大丈夫だと安心して良いのです。

信仰の幸せは、自由意志とご計画なのだと思います。いつも自由、いつも大丈夫、それが私の信仰なのです。

神に感謝!

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2009/07/11

はらぺこあおむし - ビッグイシュー122号 -

これまでなんどか紹介してきたビッグイシュー日本語版、300円に値上がりしてからも買い続けています。最新の122号の表紙はどこかで見たことがあると思ったら絵本のエリック・カール「はらぺこあおむし」でした。

この絵本は妻の職業柄、家にあったのを読んだのですが、とにかくインパクトがありました。いかにも欧米の人の好みそうな青虫の絵、なぜか絵本に穴が開いていて、青虫が色々なものを食べたりします。内容は良く覚えていなかったのですが、お腹を壊した後に葉っぱを食べて元気になって、最後に蝶々になるというお話です。

著者のインタビューによると、このお話が長く子どもに人気がある理由は「希望のあるお話だからじゃないかな」とのこと。「ちっちゃなあおむしくん、君だって違う自分に生まれ変わって羽を広げて飛べるんだよっていうお話だからね。そういう希望に満ちたメッセージがあるから、多くの人が共感し、勇気づけられるのだと思う。」

「希望」なんと素敵な言葉なのでしょう。人に与えられたすごい能力だと思います。どんなにちっぽけでも、どんなにミスを犯しても、いつかはサナギになり、チョウになる。そんな未来を想像する力が、人間には与えられていたのですね。

私も少し勇気づけられました。

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