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2009/05/31

めいめいが生まれた故郷の言葉を聞く

今日は聖霊降臨の主日でした。神さまが復活後に聖霊が弟子たちに降り注ぎ、教会が始まった日とされています。第一朗読は「聖霊が降る」(使徒言行録2・1-11)で、炎のような舌が分かれ分かれに現れて聖霊に満たされたお話です。

以前も書きましたが、舌の形は「しゃべる」、火は「愛」を現し、愛の心を持って弟子たちがイエスさまのみ教えを人々に伝えることができる恵みを、聖霊によって与えられられたということを意味しているそうです。

説教では、旧約から現在に至るまでの聖霊の働きが語られました。いつも神さまはそばにおられるのですね。

第一朗読を呼んでいて、バベルの塔(創世記11・1-9)のお話を思い出しました。人間が一つの言葉で話すころ、傲慢になって天に届く塔を作ろうとします。神さまはそれを見て、人間に様々な言葉を与えました。

それが、イエスの昇天後の聖霊降臨によって言葉が通じたのだと思いました。傲慢な思いでなく、神の心を知ったとき、人は心を通わせることが出来るのだと思いました。

先日、私の苦しみを書いたところ、お祈りの言葉をいただきました。一人で苦しむのではなく、苦しみを分かち合ってくれる人がいる、それはとても心強いことです。映画マザーテレサが、海外電話でお祈りをお願いするシーンがありましたが、こんなにありがたいものだったのかと思いました。

人はそれぞれに色々な考えを持ちますが、神の心によればきっと心が通う。そう思いました。

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2009/05/29

救われたことば

今の仕事はかなり厳しくて、時々「もうだめだ!」と落ち込みそうになります。
会社に向かう電車の中のこと、少し抑うつ状態になりました。

つり革を持ちながら、重苦しい気持ちで信仰が救ってくれると期待したときに、ふと思い出したのは二つの言葉でした。一つ目は「乗り越えられない試練は与えられない」、どんなに厳しい状況であっても、それは自分に乗り越えられる試練である。そう思うと少し気分が楽になりました。

二つ目は、「人生に無駄なことは何一つない」という言葉が思い浮かびました。そうです。乗り越えると言うことは、失敗しないと言うことではなく、失敗してもそれには意味がある、と言うことなのです。

どんなに苦しくても、失敗しても、それはその後の人生の糧になる。「日ごとの糧をお与えください」というのは、成功ではないのです。どんなに失敗しても良いのです。誠実に、努力をすれば、それで十分なのです。失敗はその後の糧なのです。

何も怖いことはありません。ただ真摯な気持ちで生きればよいのです。怖がらず、あせらず、誠実な人生を歩めば良い。そう思うと、気持ちが楽になりました。

そして、神に感謝しました。

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2009/05/23

物語の続きはあなたの手の中にある

NHKの連続テレビ小説「つばさ」。時々コメディタッチ名ところがあって、ちょっと違和感を感じながら見ていましたが、今日のお話には、不覚ながら感動しました。

主人公の上司の子供は、亡くなった母親にまかせっきりでした。その子は上司(父親)が「あしたは帰ってくれるんじゃないか」と思い続け、さらにいつも大人たちから「あとで」と言われてはほったらかしでした。そして「『あとで』は『おしまい』なんだよ」と思っていました。

主人公のつばさは「『あとで』は『つづきがある』ということ」を教えるには、上司を子供に会わせるしかないと上司を説得します。この言葉がタイトルの言葉です。

  おきてしまった物語は変えられない

  けれど

  物語の続きはあなたの手の中にある

人生では色々なことが発生します。過去のことは変えられませんが、未来には様々な可能性があります。それは理想どおりの未来ではないかもしれません。でも、なるべく良くすることはできるはずです。絶望や義務感に囚われた苦しみではなく、より良く生きると言う希望に燃える未来があるのです。

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友のために自分の命を捨てること

所属教会の聖書の分かち合いでは、翌日のミサの福音を分かち合います。
先週は「イエスはまことのぶどうの木」の後半(ヨハネ15・9-17)でした。
「これが私の命令である」という言葉で終わるこの福音は「互いに愛し合いなさい」というイエス唯一の掟が書かれています(他の掟は旧約聖書の解説です)。

そして、もっとも印象的な言葉は

「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」

です。この言葉は人類のために命を捧げること、あるいは遠藤周作さんの言われるように弟子の身代わりに処刑されることを表していると思います。私はこの言葉を読んで、イシドロ・リバス神父を思い出しました。以前何かを調べていて偶然見つけたカトリック新聞の記事によると、リバス神父はうつ病の方への対応をされていて、うつ病になられたそうです。その時はそんなこともあるんだと思いましたが、つい最近、似た体験をしました。

職場で抑うつ状態になった人とお話をした時です。私がなるべく安心するようなお話をして、その人は少し元気になりました。その直後、一瞬わたしは不安に教われました。それは、とても怖い経験でした。その経験がリバス神父のように心理的なものなのか、それともお話をした人と仕事の関係があったからかはよくわかりません。しかし、リバス神父はもっと苦しい思いをしながらも、苦しむ人と接してきたのだと思いました。そして、それはイエスの言葉を実践するものだと思いました。

そして今日、TVを見ていると忌野清志郎さんのライブをやっていました。忌野清志郎さんは喉頭癌になりながらも、声を失わないために放射線や抗癌剤で治療をし、結果的に癌が転移してなくなられました。転移の前に行われたライブでは、多くの人に元気を与えられたと思います。忌野さんの人生も「友のために自分の命を捨てること」だったのかもしれません。様々な勇気ある人生を送られた忌野清志郎さんのご冥福をお祈りします。

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

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2009/05/10

神に願うことは何でもかなえられます

きょうは久しぶりに所属教会でミサに与りました。第2朗読では

神に願うことは何でもかなえられます。わたしたちが神の掟を守り、御心に適うことを行っているからです。その掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、この方がわたしたちに命じられたように、互いに愛し合うことです。(一ヨハネ3・22-23)

という言葉に驚かされました。愛し合ってさえいればすべての願いがかなうと読めるからです。そんなことを考えていると福音「イエスはまことのぶどうの木」にこんな言葉がありました。

あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。(ヨハネ15・7)

なるほどと思いました。掟に従うと言うのは、ただ何かを守ればよいと言うのではなく、神の言葉を常に心に置かなければならないのだと思いました。説教ではぶどうの木であるキリストにつながるとは「キリストの協力者であり、思いを一つにすることだ」と述べられました。

何でもかなえられる「願い」、それは自分勝手な願いではなく、キリストと志を同じくする「願い」ならば、かなえられるという事なのでしょう。

でも、人生の中で、神の思いに沿わない願いというものもあるものです。その願いも祈り続けることで神の思いに触れ、自分がどうあるべきかを知ることができるのではないでしょうか。そのことを受け入れるということも神と思いを一つにすることであり、つながるということなのでしょうね。

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2009/05/09

イエスは良い羊飼い

Hitsujiこの前の日曜日は色々あって、ミサはお休みしました。でも福音に触れたくて調べると、「イエスは良い羊飼い」(ヨハネ10・11-18)だったのですね。そこで、以前に我が家の聖具(らしきもの)として紹介した「良き羊飼い」を見て思いをめぐらしてみました。

羊は群れで生活する弱い動物です。一匹では、狼と戦うこともできないので生きていくことはできません。でも、はぐれてしまうこともあります。草原で草を食べていたはずなのに、道に迷い、光の差さない森の中に入り込んでしまったり、戻ることのできない谷底に降りてしまうかもしれません。

一匹の羊はウロウロするものの、どこにも逃げ道はありません。まわりが暗くなってくると心細くてたまりません。ただただ耐えるだけ、「耐えるしかないんだ」と希望を失ってしまうでしょう。

「もうだめだ!」そう思ったときに羊飼いは現れます。「もう大丈夫だよ!」きっと、そういってくれるでしょう。羊が元気なら「こっちだよ。おいで!」と言ってくれるかもしれません。でも、身動きもできない状況なら、羊飼いは肩に担いでくれます。

その姿勢はちょっとつらいかもしれません。でも、深い暗闇から抜け出すために、力いっぱい担いでくれています。何も考えず、担がれるまま、闇から抜け出していくのです。

そして、明かりの灯る家に着いたとき、羊は思いました「羊飼いは神さまにちがいない」と。

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