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2009/03/28

人の子が栄光を受ける時

所属教会の入門講座に時々休みながらも3年半ほど通いました。仕事帰りに通っていたのですが、残念ながら4月からは仕事の関係で通えなくなりました。最後の入門講座も、日曜の福音「ギリシア人、イエスに会いに来る/人の子は上げられる(ヨハネ12・20-33)」(リンク先は日本聖書協会、聖書が読めます)を分かち合いました。

この福音には「時」という言葉が何度か出てきます。イエスの3年間の公生活の中で有名なのは、「悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1・14-20)にある

「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」(マルコ1・15)

ということばでしょう。また、「カナでの婚礼」の言葉も有名です。

イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」(ヨハネ2・4)

日曜の福音では、ついにこの時が近づきます。

イエスはこうお答えになった。「人の子が栄光を受ける時が来た。はっきり言っておく。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ。(ヨハネ12・23)

これは、主が上げられ復活される時です。不条理な運命を受け入れることで、永遠の生命に生きる時なのです。

ついに私の時も満ち、入門講座は卒業です。自らの運命を受け入れて社会に派遣されるのです。

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

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