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2009/01/28

一度の出会いで従った

日曜の福音は「ガリラヤで伝道を始める/四人の漁師を弟子にする」(マルコ1・14-20)でした。今回もメモを元に説教の再現を試みます。

サブプライムローン以降の経済危機による人員削減は、企業にとって優秀な人材を得るチャンスです。イエスの弟子たちも同じように優秀な人材が選ばれたのでしょうか?

イエスの弟子たちは無作為に選ばれたように思えますが、ルカによる福音書6章12-16節によるとイエスは徹夜の祈りの後に12人を選ばれました。彼らは欠陥もあり、必ずしもふさわしい人とは限りません。それは不完全な我々の希望にもつながります。イエスは不完全な彼らを父から与えられたとして育てたからです。

福音によるとペトロとアンデレはイエスに出会った時、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われました。二人は、それに従い、細かなことを聞きませんでした。 イエスに魅せられたのでしょう。不思議な魅力にひかれたのでしょう。二人はひたすらついていきました。

二人が捨てた網は漁師が魚を獲るものです。網こそが生活の手段です。その網を捨ててイエスに付き従ったのです。12人の使徒のうち、イエスを裏切って自殺したユダ以外の弟子たちは、宣教師となり、イエスに命をささげたのです。

2000年後の現在、イエスは私たちを呼ばれました。そして、私たちはイエスを見たこともありませんが、付き従ったのです。

殉教者もイエスと直接会った事はありませんが、一度の出会いで従いました。イエスの語りかけに従いました。神の言葉を無視できず、教会に行き、洗礼を受け、ペトロとアンデレのように付き従ったのです。

イエスは、一人一人を招いてくださいました。聖書に「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」(ヨハネ15・16)とあるように、私たちは選ばれました。

「どうして私のようなものを」と思いますが、天は地よりも高いのです。神の選びと人間の判断は異なります。神に付き従わなければいけません。

主よ、イエス・キリストよ。
最後の日までついて行ける力をください。
そして最後は受け入れてください。

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イエスとの出会い。私にとっても、とても大切な出来事でした。

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

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コメント

言葉に違和感感じました。

経済危機による人員の削減は企業にとって
優秀な人材を得るチャンス、

この表現は仕事を解雇された人に対して
不適切だと感じました。

思いやりの心が足りません

投稿: ルクプル | 2009/01/29 00:48

コメントありがとうございます。
実は、私もちょっと驚きました。
しかし、話の主題が召し出しなので、そちらを読んでくださいませ。

投稿: さかば(管理者) | 2009/01/29 07:35

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