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2008/11/13

あなたがたはその神殿なのです

Mass 日曜のミサはポルトガルの7名の神父さまをお迎えしてのラテン語ミサでした。所属教会の神父さまもポルトガル人ですので、合わせて8名のポルトガル人によるラテン語ミサという滅多にできない体験でした。

ラテン語ミサと言っても、聖歌と奉献文の一部がラテン語なだけで、聖書は日本語ですし、回心などの会衆の言葉も日本語です。それでも、ラテン語の聖歌が荘厳で、なかなか良い雰囲気でした。

福音は「神殿から商人を追い出す」(ヨハネ2・13-22)でした。イエス・キリストが神殿の境内の商売人や両替人を追い出そうとするお話です。神殿を「三日で建て直してみせる」 というイエスの言葉は、3日後に復活されることを表していますが、私はアッシジの聖フランシスコを思い出しました。

最もイエス・キリストに近い人物とも言われる聖フランシスコは「教会を建て直せ」という神の言葉を聞いて、崩れたサン・ダミアノ教会を修復しました。しかし、神が聖フランシスコに頼んだのは、腐敗が進みつつあったカトリック教会のことでした。そして、聖フランシスコはその行いを通じて建て直したのでした。

イエスが神殿の境内で暴れたのも、やはり不健全な信仰を正そうとしてのことだったと思います。だからこそ、それを建て直してみせると言われたのだと思います。

この記事を考えている間に、エルサレムの聖墳墓教会で聖職者同士のトラブルのニュースがありました。聖堂に入る列を止めようとしたとか、中に入らせなかったとか言い分は食い違っているようですが、どんな理由であれ暴力はいけません。

彼らの暴力行為を愚かだと言うことはたやすいですが、同じことが教会の中でも日々起きているのではないでしょうか?お互いに同じ神さまを信じながらも、さまざまないさかいが生じています。人が集まれば多かれ少なかれトラブルはあるものですが、教会の人は、それぞれが「善かれ」と思ってしている分だけ、傷を深くしがちです。時には疲れてしまい、聖フランシスコのように建て直すことは不可能ではないかとさえ思ってしまいます。

ミサの第2朗読では「神のために力を合わせて働く」の一部(一コリント3・9c-11,16-17)が読まれました。この中でパウロは「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか」と語ります。神殿の承認や両替人のように自分を利する行いや他人に対する非難など、私たちの日々の愚かな行動は、自分という神殿の中で行われているのです。

神殿は祈りの場です。自分の思いを神に語り、神の声を聞く場所です。「あなたがたはその神殿なのです」という言葉を胸に、神の求めている愛の行いを実践したいと願います。

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

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