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2008/11/23

王であるキリスト

King 今日は教会暦の最後の主日である「王であるキリスト」です。ちょっとお疲れ気味なこともあって、自宅に近い王たるキリスト カトリック桂教会でミサに与りました。

カトリック教会の1年は、クリスマス前の「待降節」から始まって、今日の「王であるキリスト」で終わります。「待降節」はキリストの誕生を祝うクリスマスまで、キリストの誕生を待ち望むということで、1年の初めにふさわしいですが、「王であるキリスト」がなぜ最後かはわかっていませんでした。

今日の説教で、キリストが王座に就いたのは十字架にかかられたときだとされて、納得しました。十字架の上に書かれたのは「INRI」(リンク先はWikipedia)すなわち「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」なので、イエスの生涯の最初と最後になっているのですね。

「王であるキリスト」と言っても世俗的な王ではなく、私たちの心を愛で満たす王です。十字架にはりつけられたことを受難と言いますが、キリストは受け身ではありませんでした。処刑を避けることも出来ましたが、逃げませんでした。愛のために十字架にかかったのです。

福音は「すべての民族を裁く」(マタイ25・31-46、リンク先は聖書協会)でした。週末の時にキリストが羊と山羊に分けると言うお話です。入門講座で教わった内容によると、羊は下草しか食べませんが、山羊は畑を荒らしたり、気に登って葉を食べるなど悪さをするようです。そのような知識があると分かりやすいたとえ話なのでしょうね(ちなみに、肉は山羊の方がおいしいそうです)。

週末と言うと怖いイメージがありますが、人に優しくしたことは、神に優しくしたこととして神の国に入れるという、希望のお話です。創世記にアダムが罪を犯して人は死を与えられましたが、キリストは死によって愛の王となり、神の国での永遠の命を与えてくださるのです。

教会暦は受胎告知は神と人間の愛という縦の関係で始まり、人と人との愛という横の関係終わるのです。縦の愛を中心になりがちだった神の教えが、横の愛を大切にしたキリストの教えによって完成したということなのでしょう。

<')))><

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コメント

私は山羊肉は苦手ですwobbly
肉は子羊が好きpig

締めくくりは終わりの日なのだそうです
あたりまえか^^;
もう
どうしようもない苦しみの先には
救いが待っているということなのでしょうか
祈りながらまっとうに生き
最後に神から呼ばれた時に
使命の終わりを確信し(渇く?)

その先にはマリアの
御助けにより光の神の姿を見る事になると信じ

まぁとにかく
一生懸命に(そうでもないが^^;)
生きて行きますhappy01

投稿: やっちゃん | 2008/11/25 03:24

コメントありがとうございます。

外国の方がおいしいというのは、
日本人には硬かったりするのかもしれませんね。

いずれにしろ、苦しいことも、肉が固いことも、喜びへの道だと思いますので、一度食べてみたいと思います。:-)

この福音のお話しで、裁かれるときに、

「私はヤギでよいので、代わりに誰かを救ってください。」

と言ったら、

「おまえは良いことをした」

と救われるのかなどとも考えましたが、

「おまえは予定通りだ」

と言われそうなので、真面目に生きる(よう努力する)ことにします。

投稿: さかば(管理人) | 2008/11/25 12:26

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