« 正しくないのは、お前たちの道ではないのか | トップページ | 「夢をかなえるゾウ」とキリスト教の比較 »

2008/10/03

善を定めたイエス・キリスト

水曜日はいつもの入門講座でした。この講座のカトリック要理を学ぶ時間ではドン・ボスコ社の「カトリック入門」というDVDを使います。以前、地上波TVの「心のともしび」にも出演されたガエタノ・コンプリ神父(リンク先はWikipedia)がお話をされていて、とてもわかりやすい内容です。

先日は3章の「悪、歴史」を見ました。この中でガエタノ神父は

「神様しか定められない善と悪を定めようとするのは傲慢です。」

と言われました。ときどき聞くことのある「裁くことができるのは神様だけ」という言葉と意味は同じなのですが、妙に心に響きました。

人はついつい自分勝手な価値観で、物事を考えたり、人を批評してしまいます。そして、何気ない一言であっても、その人との関係や、その人の調子、あるいは行き違いによって、傷つけたり、苦しめたりしてしまいます。そして、そのことに気づいたとき、傷つけた自分の傲慢さに苦しむのです。

考えてみると、イエス・キリストは新しい掟として社会の「善」を定めました。そして、自由や平等、愛といった価値観は(若干ゆがめられた時もありましたが)社会に広がりました。それこそ、神の御業だと思います。

イエス・キリストは、奇跡を起こしたからではなく、旧約聖書に書かれていたからでもなく、善を定めたからこそ、イエス・キリストは「神」と言えるのかもしれません。

<')))><

|

« 正しくないのは、お前たちの道ではないのか | トップページ | 「夢をかなえるゾウ」とキリスト教の比較 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138594/42666939

この記事へのトラックバック一覧です: 善を定めたイエス・キリスト:

« 正しくないのは、お前たちの道ではないのか | トップページ | 「夢をかなえるゾウ」とキリスト教の比較 »