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2008/09/01

あなたに負けました

日曜日のミサの第一朗読は「エレミヤの告白」(エレミヤ20・7-9)でした。説教では、神父さまが神父になることを決意された時のお話でした。もともと医者になろうと思っていた16歳の時、ヨハネ・パウロ2世がファティマの来られ、そのお話しに感銘を受けられ「あのようになりたい」と神父への道を歩まれたそうです。そして叙階式の講演で選ばれたのがこのエレミヤの預言だったそうです。

主よ、あなたがわたしを惑わし
わたしは惑わされて、あなたに捕らえられました。
あなたの勝ちです。

神父さまは、この「惑され」を「魅了され」という意味にとらえられ、自らが神に魅了されたことを語られました。

この「惑す」という言葉、私は「戸惑う」とか「混乱する」ととらえていました。それは、これまで何度か紹介した奥村一郎神父の「奥村一郎選集3 日本の神学を求めて」という本の「刊行にあたって」を思い出していたからです。ここには、奥村神父が洗礼を受けられたいきさつが書かれています。

青年のころの奥村神父は禅修行に打ち込まれていました。哲学にも興味をもたれていて、聖書にはあまり興味を持たれていなかったようです。しかし、数年後にカトリックの宣教師に教えを聞き始めてから、他宗教であり邪教であるカトリックに対する反抗を始められたそうです。そして、カトリックこそ糾弾されるべきであり、人々を解放することが自分の使命であると、キリストの神性批判に打ち込まれたそうです。

2年にもわたる格闘の末、キリスト教への反抗は、キリストへの渇きとなり、とうとう稲妻のような光が頭脳を引き裂いたそうです。歪んでいたのではなく、奥村神父の理論であり、病んでいたのはカトリックでなく、知性であったことを悟られたのです。

そして、それまでの悪戦苦闘と挫折を師事されていた中川老師に話されると「今、あなたはキリスト教がよくわかったと思う。しかし、まだ頭でしかわかっていない。からだでわからなければだめだ。そのために洗礼を受けなさい」とキリスト教に向き合うことを促されたそうです。

これは、まさにキリストに負けたお話です。私もそうでした。神さまを否定し、一人で苦しみ続けた末に神に出会い、負けを認めました。もちろん、魅了されたことも事実ですが、その前に大きな苦しみがあり、混乱し、打ち負かされました。

それは、心地よい負けでした。

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

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