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2008/06/02

しかけられた網からわたしを助け出してください

日曜日のミサで最も心に響いたのは答唱詩編でした。

聖書と典礼から引用させていただくと、

神よ、あなたは私の岩、わたしのとりで、
あなたのいつくしみによってわたしを導き出し、
しかけられた網からわたしを助け出してください。
あなたはわたしの のがれ場。

人生の様々な出来事の中で、傲慢な自分を戒め、未来への光を照らしてくださる神。たとえ何もかも失っても、最後に残る希望の光。その光で目の前の苦しみを照らせば、きっと明日が開けてくる。祈ること、そこから未来が始まるのでしょうね。

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コメント

「カトリック」というのではなく「カ」を語のうしろにもってきて「トリック」「か」といい入信をすすめる遠藤周作さん。ぜひとも
遠藤周作さんの罠には引っ掛かりましょう。そして入信しましょう。
彼を当時「わからない」とした転向論の吉本隆明は、遠藤周作さんと母親さんとの恩人である学長にまでなった修道会司祭の還俗(げんぞく)事件の深い影響が、わからなかった。(影法師を読め)
遠藤周作さんの目を覆いたくなるほどの「居直り」の強情さの原点がこれであったのだ。「下手な文なので「小説家」というより「思想家」といったほうがよい」(遠藤氏で入信した保岡章太郎)
「海と毒薬」も病院(教会)と医師(司祭)という設定だが教会批判だったのだ。(三浦朱門)40年ぶりで遠藤氏理解がおかげさまでさかばさんをとうして進みました。ありがとうございました。
遠藤氏の「トリック」がみえてきました。(信仰を深めることは無理と思うのできっかけでしょ。)洋服を和服にしたところで信仰が深まるわけではありません。「日本のカトリックは洗礼を受けた未信者が多い」とは長年司牧してきた外国人宣教師の深い嘆息。信仰を深めましょう。ミサに行けないときは「霊的聖体拝領」のいのりをして、「許しの秘跡」(の心理学的癒しの効果をたたえたユング)ができないときは、ミサのご聖体拝領の「拝領唱」をとなえあじわいその代わりとします。カトリックはしくみですべてをまもってくださるふかいしひろいしおおきいですのであんしんですね。

投稿: ハレルヤ | 2008/06/03 08:58

コメントをいただけるのはありがたいのですが、なるべく記事と関連する内容をお書きください。
遠藤氏の信仰は、従来の「殻」を破った直接に神との関係を問うものだと思います。このため「殻」を信仰と定義していた従来の宗教感からはトリックに見えるかもしれません。
宣教師の言葉は遠藤氏に宛てたものなのでしょうか?私には本当の「主の平和」を得ようとしない方々が宣教師には未信者に見えたと思えます。
ということで、次は「主の平和」について書く予定です。

投稿: さかば(管理人) | 2008/06/03 18:08

「遠藤氏の信仰は、従来の「殻」を破った直接に神との関係を問うものだと思います。」といわれるさかばさんの内容がどうかいしゃくしていいかよくわかりません。
遠藤氏は人間の「からだ」を「殻だ」と語源から表現していたが、それと同様に遠藤氏の信仰は「イエスキリストの名が「たまねぎ」(深い河)となるように「カラ」っぽ(空)のようにどうしてもうつります。
(イエスキリストの名ではなく「たまねぎ」では緊急洗礼は無効ですよ。)
ぜひともこの点をいつも私達をはげましてくださるすばらしいさかばさんの読みを期待し御説明をおねがいします。

投稿: 不明 | 2008/06/04 07:32

私の思う「殻」はあるべき姿とでもいうべきものです。これもそのうちに書くつもりです。

投稿: さかば(管理人) | 2008/06/04 08:08

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