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2008/05/04

日本文化の破綻

個人主義が進む中で、社会の何かが壊れているような気がしていました。以前、世界像の崩壊を知り、何となくわかったつもりでいました。しかし、どうも日本の状況はそれだけではないように、なんとなく感じていました。

先週のミサ後の「教理の時間」で、神父様がルース・ベネディクト(リンク先はWikipedia)の

キリスト教的欧米文化は「罪の文化」であり、日本の文化は「恥の文化」である。

という言葉を取り上げられました。「恥の文化」というのは「他の人に後ろ指を指されると恥ずかしい」という村のような横の関係である。「罪の文化」というのは神との関係における「罪」という縦の関係である。とされました。

この日本文化の捉え方には批判もあるようですが、私の思いに一つの説明を与えてくれました。この横の関係を評価の観点で考えてみると、「恥の文化」の評価の基本は「相対評価」だと思いました。私が子供のころ、学校の成績は相対評価でした。クラスの中で上位n%が「5」その次のm%が「4」といった感じです。クラスという村のように狭い環境の中で評価が決まっていたのです。

「相対評価」というのは、なかなか良かったような気がします。全国レベルでは大した成績でなくてもクラスで上位に入れたなら、その子はできる子でした。普段は苦手な科目でも、たまたまできる子の調子が悪いと良い成績がもらえる可能性がありました。みんなクラスメートに負けまいと、お互いに仲良く競っていました。

いつからか学校の成績は絶対評価になりました。全国で何位の成績かまでわかるようになり、クラスメートはライバルではなくなりました。良い成績をとるためには、クラスメートでなく自分に勝たなければなりません。そんなグローバルな絶対評価によって、より個人主義が進んだのかもしれません。

個人主義が進むと「恥の文化」は破綻します。「恥の文化」では、お互いに恥ずかしくないようにすることで、全体が高いレベルで保たれていました。しかし、絶対評価による個人主義が進むことで、自身を高めるための基準として他の人を見なくなったのです。

「恥の文化」の破綻は、倫理観を希薄にします。生きるための基準が全体の中での順位だけになり、より高い地位に上がることが行動の目的になりました。学校なら偏差値、会社なら給与のためなら何でもするようになりました。「あの人もやってるやん」と悪いことも平気になり、多くのトラブルや犯罪が生まれたのだと思います。

個人主義が進むと、人は絶対的な善悪の基準を必要とします。しかし、欧米の「罪の文化」と異なって真理を持たないので、それぞれが社会生活の中で自分勝手な基準を作ってしまいがちです。そして、いつの間にか自分を苦しめるようになるのです。

思い起こすと、昔の私がそうでした。会社に就職し、会社の仕組みを知ると、会社員としての価値観を構築しました。仕事が趣味に近かったこともあり、私はワーカーホリックだったと思います。家庭とか、社会貢献とか、周りの人への気配り、そんな価値観はどこかに忘れて、ただひたすら働いていたのです。仕事がうまくいっている間は良いのですが、何か問題があると大変なのですよね。目的を達成できないまま、努力だけが求められるからです。

人間が生きる上で重要なことはなにか、そんな発想を持たないと、うまく生きていけません。勝手な基準に従って、人を傷つけ、そして最後には、自分自身を苦しめることになってしまうのです。

昔は良かった。私もそう思います。しかし、時は戻りません。かつて海援隊の「母に捧げるバラード」という歌で、こんな詞がありました。教職課程をほとんど終えて、あと数カ月もすれば卒業できるという息子(武田鉄也さん)が、安定した未来を捨て音楽バンドのために東京に行く時、母は必死になって働けと息子に語ります。そして苦しいとか、休みたいとか思ったら、「そんときゃ鉄也、死ね!」と語るのです。

昔は、子供のことを思わない母親はいませんでした。その母親が「死ね!」と本気で言うわけがありません。海援隊が解散を決めた時、お母さんは「お疲れ様でした」とお母さんは言われたそうです。そんな人並みのねぎらいしか言えない母親が、「死ね!」と言ったのは、息子の不安な気持ちを知っていたのでしょうね。そして、不安な中でもあきらめず、がんばれ、とにかく頑張れ、そんな励ましの言葉が「死ね!」だったのでしょうね。

でも、時代は変わり、今は前提が崩れ、愛情表現としての「死ね!」なんて許されない時代になりました。子供の死を願う母親は勿論のこと、自分で死のうとする人も少ない時代でした。しかし、数値化された価値観の中で生きている現代人にとって、「死ね!」は文字通りの意味しか持たなくなりました。親子の関係を前提とした相対的な表現でなく、直接的て絶対的な表現が必要なのです。「夢を大切に!」「夢はかなう!」「応援しているよ!」などと言わないと伝わらなくなりました。それは、日本の文化が破綻したからだと思います。

かつての日本の文化が破綻した今、新たな文化が必要なのではないでしょうか。それは、絶対的な(罪の)文化、倫理観、愛、救い、だと思います(人によっては、信仰といわれるかもしれませんが、私は必要なものに信仰を含めません。愛の行為による救いの結果、付いてくるものだと思っているからです)。

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