私にとって神とは - ご聖体 -
ご聖体というのは、ミサの中で信者に配られるパン(ウェハースのようなもの)です。ミサは最後の晩餐を模して行われるので、信者たちで食事をしていることになるのですが、そこには、深い意味が隠れています。
この深い意味を知るには、キリスト教の聖典である旧約聖書の内容と新約聖書の内容が「相似形」(似たような内容)を構成していることを理解する必要があります。旧約聖書というのは天地創造(世界の始まり)からのユダヤ人(イスラエルの民)と神の契約が書かれたものです。新約聖書というのはイエスさまの誕生から弟子たちの時代までのことを書いた神さまとの契約です。新約聖書を読むときには、旧約聖書に書かれた相似形の内容を知ることで、より深く理解することができます。
ミサ
相似形はミサ中の聖書朗読にも表れます。ミサでは第1朗読で旧約聖書、第2朗読で使徒書(弟子たちの書いた手紙など)、第3朗読で福音(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによるイエスさまの誕生から復活までの話)が主に読まれます。この3つの朗読が実は同じような内容のものが選ばれ、相似形になっています。
先日の「キリストの聖体」ミサでも第1朗読が「神の賜る良い土地/主を忘れることに対する警告」(申命記8・2-3,14b-16a)で、神さまから与えられたマナのお話で、ご聖体はマナと同じように神さまからの恵みであることを示しています。
最後の晩餐(リンク先はWikipedia)
第3(福音)朗読「イエスは命のパン」(ヨハネ6・51-58)にあるように、最後の晩餐の中でイエスさまはご聖体(パンと葡萄酒)がキリストの体と血であることとされました。これはイエスさまが十字架にかけられる前、過越し祭のことでした。
過越し祭(リンク先はWikipedia)
イエスさまの時代のユダヤでは、過越し(すぎこし)の日に羊を屠りいただくのですが、これは神様への感謝のしるしでした。かつてイスラエルの民がエジプトで奴隷として働いていた時、神さまがエジプト脱出を手助けするため、エジプトの子供(初子)を殺されたのです(恐ろしい話ですが、そこまでイスラエルの民は追い込まれていました)。
その際に、イスラエルの民を区別するために「家の戸口に羊の血を塗るように」と神さまは指示されました。神がすべての初子の命を奪われるとき、戸口に羊の血が塗られていれば神さまが過ぎ越されました。このことを祝って過越し祭では、羊を屠り、神の恵みが祝われたのです(出エジプト記12章)。
パンと葡萄酒
過越し祭では羊とパンをいただきますが、イエスさまと弟子たちには羊はなく、パンと葡萄酒をいただきました。そして、そのパンはキリストの体であり、葡萄酒はキリストの血であると言われたのです。ミサで「神の子羊、世の罪を除きたもう主よ」と歌いますが、キリストは過ぎこしに屠られる羊だったのです。
アブラハムと羊
聖書の中には羊の話はたくさんありますが、受難のキリストをもっともよくあらわしているのは、最初の預言者で「信仰の父」とも呼ばれるアブラハムの話に出てくる犠牲となった羊(創世記22・13)だと思います。
神はアブラハムの信仰を試されました。ようやく得た妻との息子イサクを神にささげろと言われたのです。アブラハムは神への愛の証としてイサクを捧げるため、イサクと共に命じられた山に登りました。いよいよ、刃物でイサクの命を奪おうとした時、神はアブラハムを止められました。そして傍らにいた雄羊が犠牲となり、ささげられました。この雄羊はイエス・キリストを表しているそうです。
神は、アブラハムが子供をささげることは止められましたが、その代りに神のひとり子が捧げられました。神は愛のあかしとしてイエス・キリストをささげられたのです。まさに
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。(ヨハネ3・16)
のです。
罪の贖(あがな)い
その神の子であるイエスは、人間の罪を贖いました。旧約聖書を読むと、よくこんなことができるものだと思うような、ひどい行いを人類はしてきました。人類は神に作られ、初めは神と共に暮らしていました。しかし、アダムとエヴァ(イヴ)以来、人類は罪に罪を重ねてきました。
自分の背負っている罪を十字架と呼ぶことがありますが、キリストの担いだ十字架は人類の罪だったのです。父なる神から送られた救世主イエスは十字架上で、
「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」(ルカ23・34)
と、人類の罪を贖ったのです。人間であるイエスが十字架にかかることによって、罪はゆるされ、遠ざかっていた神との距離は近づきました。
まとめ
このようにキリストの受難は神の愛の証であり、人類の救済でした。十字架に架けられたキリストそのものであるご聖体をミサで頂くことは、神の愛をみとめ、受け入れることです。
ご聖体、それは私にとって、一週間のパワーの源なのです。
(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)
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