わたし自身を現す
日曜のミサの続きです。ミサの第1朗読は堅信の元になったお話でした。先週、今でいう助祭に選ばれた7人のうちの一人であるフィリポ(リンク先はWikipedia)がサマリアで洗礼を授け、エルサレムからやってきたペトロとヨハネが手をかざすと人々は聖霊を受けました。
この手をかざす(按手)というのは聖霊を授ける意味があり、洗礼式で代父母が肩に手を置くのも聖霊が働くようにしているそうです(知らずにやっていました:-)。ちなみに、Wikipediaによると、ミサで祝福を受けるのは神に祈っている(祝福)のだそうです。
福音朗読は「聖霊を与える約束」(ヨハネ14・15-21)でした。この中でイエスさまは、「みなしごにはしておかない」、ご自身の代わりに新しい弁護者として聖霊を一緒にいるようにしてくださると約束されます。そして、最後に
「わたしを愛する人は、わたしの父に愛される。わたしもその人を愛して、その人にわたし自身を現す。」
と言われます。この言葉を聞いて、私が救われた時のことを思い出しました。当時、仕事に苦しんでいた私は責任逃れをしていました。もっと私自身にもうまくやる方法があったのに、主たる原因ではないこともあってそれを認めていなかったのです。
遠藤周作さんの「イエスの生涯」や「キリストの誕生」を読む中で、私はイエス・キリストと弟子たちに共感し、愛しました。すると、かたくなだった私の心がほぐれたのです。
パパ(教皇)の回勅にあるように「神は愛」だったのです。救いを求めていた私は、神を知り、愛し、愛されることで救われたのです。私の中に何かが入ってきたような感じがして、私はそれを勝手に聖霊だと思っています。神さまが自身を現してくださったのです。
(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)
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