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2008/03/13

ヤーウェ・イルエ ~四旬節黙想会に参加して~

所属教会の四旬節黙想会はイエズス会の平林冬樹神父をお招きし、「現代に息づく188殉教者の霊性」と題して行われました。

「殉教」とは、「殉職」が仕事のために命を失うように、教えのために命を失うことですが、もともとのことばは“martyria”「証し」という意味です。つまり、「殉教」は神への信仰・希望・愛の証しであり、また、神の愛に応えることです。キリスト教は主の死と復活から生まれたように、苦しみを乗り越えることで喜びを得ることはキリスト教の本質です。愛を実践することはキリスト教の証し、つまり殉教なのです。

188殉教者の時代の教会、大浦天主堂のマリア像の前に現れるまで200年間潜伏していたキリシタン、そして現代の教会にいたるまで、日本の教会は400年以上の歴史があり、その根底にはキリスト教としての一貫性があります。そのような中で、188殉教者はキリシタン時代からの日本のキリスト教会のアイデンティティであるといえます。

188殉教者の霊性から、現代に生きる私たちが学ぶことはたくさんあります。殉教者はその死に方だけでなく、その生き方も私たちへのメッセージです。彼らは家庭を基礎とし、共同体を運営し、地域に貢献しました。福祉事業を通じて地域に貢献して人々に感謝されていました。殉教の際にも「彼らは悪いことをしたから処刑されるのではない」と言われました。

当時は司祭が不足していたようですが、40歳以下は叙階させず、勉学と祈りが重視されていました。豪胆かつ柔軟であった当時の司祭・修道者たちは、捧げつくし、道を示す人だったようです。

188殉教者は、イエスの十字架以外に人間の真のいのちへの道はないことを証しました。また、日本人が元来持つ「忠実さ」の徳をキリストの価値観に高めました。これは「熱心に」ではなく、「たんたんと、ひたむきな」信仰です。理不尽な命令に従うことにより、人間の尊厳である信教と良心の自由を守り抜きました。

このようなお話の後、次の列福運動の対象であるユスト高山右近のお話になりました。豊臣秀吉の禁教令に逆らったために国外追放され、マニラで亡くなった高山右近は、もともと殉教者として申請されました。しかし、殉教ではなく、証聖者(殉教していない福者・聖人)として再申請するように指示されました。この証聖者として列福するには、奇跡が必要となり、このことが右近の列福の最大の障害となりました。その後、なぜか最近になって殉教者として申請するように指示されたそうです。

その背景には、どうもコルベ神父の影響があるようです。それまでは殉教の定義は厳しいもので、信仰を守るために亡くなっていることや、島原の乱のように闘っていないことなどが決められていたようです。しかし、コルベ神父が列聖される際に、ヨハネ・パウロ2世の希望により殉教者として扱われました。コルベ神父は、イエスの教えである「友への愛」を証ししたとして、殉教者とされたのです。このため、コルベ神父の列聖式は赤と白の両方のバラが飾られたようです(通常の列聖式では、証聖者は白のバラ、殉教者は赤いバラを飾ります)。キリシタンの時代から大浦までの270年間の礎となった高山右近も、このような流れから、殉教者として扱うことが可能になったようです。

このお話は私にとって驚きでした。日本で「聖母の騎士」を創刊したコルベ神父は、(北原怜子さんとアリの街を支援し、宝塚歌劇にもなった)ゼノ修道士を日本に誘うときに、26聖人の殉教を話されたようです。そう、所属教会(高槻)の守護聖人である26聖人です。そんなコルベ神父が高槻城主であった高山右近の列福を後押ししているのです。

私の好きな「ヤーウェ・イルエ」(神は備えて下さる)という言葉があります。神さまを知ったことも、殉教の機会を与えられたことも、さまざまな出会いも、すべての物事には意味があり、神様が備えて下さったのだと思います。そして、26聖人の殉教に興味を持ったコルベ神父の列聖によって、高山右近の列福の可能性が高くなったのも、やはり神さまが備えて下さったのだと思います。

私が厳密な意味で殉教することはないかもしれませんが、神様が備えて下さったことを喜び、淡々とひた向きな信仰を守り、愛を証ししていきたいと思いました。

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コメント

さかばさんへ 
こんばんわ。ご無沙汰しています。

四旬節黙想会に平林冬樹神父さんを招かれたのですか。
なかなかいい話だったでしょう。

実は彼は私の友人です。彼がイエズス会に入るだいぶ前から、一緒にある仕事をしていました。

たぶん、彼はこういう話もされたと思うのです。
日本の切支丹たちが250年間もの間、教会も司祭もなく厳しい迫害の時代を生き延びたのは、信徒の共同体があったからだ。
迫害が厳しくなるのを予想して、イエズス会の宣教師たちは、慈悲の組(ミセルコルディア)、ご聖体の組、サンタマリアの組などの「組」と呼ばれる信徒の組織を作った。「イグナチオの霊操」も教えただろう。
これがその後、「水方、帳方、聞き役」という信徒の役割をもった共同体となって、世代を超えて受け継がれていく。
これはおそらく、戦国時代に一向一揆を生み出した「講」や「惣」とよばれる真宗門徒の組織をモデルにしているのではないか。

たぶん平林神父さんはこういう話もされているはずです。このあたりをもっと研究してみたいと思っています。

投稿: mrgoodnews | 2008/03/17 00:29

御無沙汰しています。コメントありがとうございます。
188殉教者のお話だったので、霊操以降はなかったような気がします(忘れているだけかも知れません)。いずれにしても、良いお話でした。講話の時間がもっと長ければ色々と聞けたかもしれません(ちょっと残念です)。

投稿: さかば(管理者) | 2008/03/19 23:50

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