« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

2008/01/27

神の美しさを仰ぎ見る

ここのところ忙しくてあまり書けませんでした。先週のミサも書きたいのですが、先に、最近の出来事を考えさせられた今日のミサのことを書くことにします。

今日のミサの答唱詩編で、こんな言葉がありました。

わたしは神に一つのことを願い求めている。
生涯、神の家を住まいとし、
あかつきとともに目ざめ、
神の美しさを仰ぎ見ることを

これを聞いて、もう一つ(仕事関係の人向け)のブログにも書いたこんな富士山を思い出しました。

Fuji080125_2

そして福音朗読は、「ガリラヤで伝道を始める/四人の漁師を弟子にする」(マタイ4・12-23)でした。洗礼者ヨハネが捕えられたことを知ったイエスさまが、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と宣べ伝え始められたお話と、最初の弟子がイエスさまにしたがったお話です。

このとき、イエスさまは、

「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」

と言われるのですが、私にもそんな出来事がありました。

代父を依頼されました(パチパチ)。イエスさまに負けて2年半、このブログを通して、求道者の方と共に洗礼を受け、色々な方との出会いがありました。去年は洗礼のきっかけを作ることもできました。洗礼の際には喜びに満たされたのですが、女性の方だったので代母にはなれず、ちょっとさみしい思いがありました。

今回は入門講座の知り合いですが、こんなうれしいことはありません。こんな私でも、イエスさまが道具として使ってくださったのですね。「聖書と典礼」6ページに、こう書かれていました。

キリストの光に照らされるわたしたちが、喜びをもって福音をのべ伝えていくことができますように。

誕生日にメッセージをくださった皆さん、ありがとうございました(まとめてのお礼ですみません)。

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

<')))><

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/01/14

聖霊は私たちの内にいる神

昨日、今年初めての所属教会のミサに出ました(遅すぎですね。反省!)。福音は「イエス、洗礼を受ける」(マタイ3・13-17)でした。イエスさまが洗礼者ヨハネから洗礼を受けると、天が開き、神の霊が鳩のように下ってきて、天から「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が聞こえたお話です。

この神の霊というのは、聖霊のことです。神父さまによると「聖霊は私たちの内にいる神」です。「天におられる私たちの神よ」と言いますが、神さまはいつも私たちの中にもいてくださるのです。

ミサの中で、以前も紹介した「神さまがわかるでしょ」(リンク先は聖歌・賛美歌・ゴスペルソングMIDI)を歌いました。この2番はこんな歌詞です。

ある時は涙ぐみ いつの日が夢にみた
心には愛もなく 過してる時がある
じっと祈った時も ただ祈っていた時も
ほら君もわかるでしょ 神さまがわかるでしょう

苦しくて耐えがたい時も、心の内なる神さまが助けてくださるのでしょうね。

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

<')))><

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/01/12

信仰のあかし - カトリック河原町教会夜のミサ -

先週の「主の公現」は「エピファニ」と呼ばれ、もともとのクリスマスだそうです(福音のヒントによると「輝き出ること」という意味のようです)。ヨーロッパの東の方(正教会などの東方諸教会)では今もクリスマスとされているそうです。実は寝坊をしてしまい、所属教会の9時半のミサはもちろんのこと、河原町教会の10時のミサ、長岡教会の11時のミサにも間に合いませんでした。そこで、クリスマスの飾りの残る河原町教会の18時半のミサに与りました。朝のミサに比べると歌が少なくてちょっと残念でしたが、良いお話とご聖体の恵みがいただけて幸せでした。

福音は「占星術の学者たちが訪れる」(マタイ2・1-12)でした。東方で見た星からユダヤの王(イエスさまのこと)を知った占星術師たちが、ヘロデ王を尋ねたお話です。メシア(救世主)の誕生を知った占星術師たちは喜び、ひれ伏し、贈り物をささげました。一方、ヘロデ王は、メシアの誕生を不安に思い、探し出して殺そうとしました。

説教では、創世記のお話から始まりました。神は「光あれ」(創世記1・3)と言われました。このあと「光と闇を分け」(創世記1・3)とあるので、太陽を作られたことを示すのではなく、と神の栄光を示されたことを表しているようです。

私たちは栄光の鏡です。光と受け、自分を通して神の栄光を世に示します。それが「信仰のあかし」です。神の恵みを受けとめて、努力することが求められているのです。

福音の中では、神の子の誕生という恵みに対して、ヘロデ王は不安になり、地位や既得権を守ろうとしました。一方、博士たちは喜びました。神の恵みに対して私たちに求められるのはどちらの対応でしょうか?私たちの行いは信仰のあかしなのです。

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

<')))><

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008/01/11

心の支えはイエス・キリスト - ビッグイシュー -

通勤路に時々売りに来ている販売員のおじさんとなかなか時間が合わず、3冊まとめてビッグイシューを買いました。去年の10月から300円になって内容も充実しました。以前から内容たっぷりでしたが、値上げ後は目を引いた記事だけを読んでも十分満足できる内容になりました。しかも販売員の方の収入も増えて、屋根のあるところ(といってもネットカフェや簡易宿泊所)で寝泊まりできる人が増えたそうです。

さて、最近の3冊で最も気に入ったのは京橋で販売員をしている石田さんの記事(85号p.26)です。石田さんはどうも我慢が足りなくて失敗するタイプで、ギャンブルや人間関係で躓かれたようです。

そんな石田さんが心の支えにしているのが、西成の教会で出会ったイエス・キリストだそうです。

「聖書の中に、自分が変われば、自分の内から泉がわき出る、乾くことがない、みたいなことが書かれてあるんですけど、大事なのは人を受け入れ、自分がどこまで変われるかだと思うんです。広い心を持つことだって。自分はもうここまでだと思っても、イエス様はもっと先まで見ておられる。だから、先のことを考えすぎず、目の前のことを一所懸命に頑張りたい」

石田さんは希望の光を見出されたようです。

<')))><

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008/01/02

イエス・キリストの始まり

あけましておめでとうございます。
今日(もう昨日ですが)は神の母聖マリアの祭日です。今年は深夜のミサがなかったので、朝のミサに行く予定でしたが、起きられませんでした。目覚ましはきちんとセットし、その時間にも目が覚めたのですが、いわゆる二度寝をしてしまいました(新年早々何をしてるんでしょうね、、、)。

Saiin せめてお祈りだけでもと言うことで、「毎日がGratia」にも紹介されていた西院教会に出かけました。落ち着いた雰囲気の御聖堂を独り占めでお祈りをして、「聖書と典礼」を頂いて帰りました。

たまにゆっくりと読むのも良いものですね(と負け惜しみ)。今日の「聖書と典礼」にA年の文字のないことに気付きました。主日(日曜)のミサと主なミサはA,B,Cの3年で福音書の主要部分を読むのですが、今日の福音は必ず読まれる部分なのですね。

その理由は、最後の見開きにありました。今日は新年だから祝うのではなくて、クリスマスから8日目を祝うのです。福音にこうあります。

八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。(ルカ2・21)

割礼は「神の民」の一員となるために定められた神さまとの約束でした。イエスさまは割礼を受けて神の民の一員となるとともに、「イエス」(神は救う)と名付けられ、救い主としての歩みを始められたのです。 

ミサには出られませんでしたが、新年の恵みを頂いて家路につきました。途中で菓子職人に寄ってロールケーキを買いました。結構おいしかったです。

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

<')))><

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »