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2007/11/25

人生の目的

たしか、アリの町のマリアと呼ばれた北原怜子さんが信仰の道に入ったきっかけになったシスターのことばにも「人生の目的」という言葉がありました。これまで「幸せになること」が人生の目的だと思っていたのですが、先日のミサで新しい定義を知りました。

体調を崩して2週間ぶりのミサは松浦悟郎補佐司教の司式でした。福音朗読は「神殿の崩壊を予告する/終末の徴」(ルカ21・5-19)でした。終末についてのイエスさまの説教を記した福音を受けた説教は、終末と聞いて起こしてしまう二つの(まちがった)行動についてのお話から始まりました。

一つ目は「恐怖を感じて不安になる」という、カルト的な宗教にありがちな終末観によるものです。カルト的な宗教はXXに最後の時が来ると言って人々の恐怖をあおり、何とか自分だけでも救われたいと思う人々を集めます。

司教が学校でミサをささげられていた頃、突然、学生さんたちが増えたそうです。理由を聞くと、XXに世界が終るといわれているのでミサに来たとのこと。そんな自己中心的な理由はともかく人の増えたことを喜んでおられたそうですが、その時期を過ぎるといつもの人数に戻ったそうです。

もう一つは、どうせ救われないならと自暴自棄になるというもののです。死んだら終わりと考えて、今が良ければよいと好き勝手な行動をとってしまうのです。

しかし、キリスト教の考え方は違います。終末というのは完成のときなのです。たとえこの世が終わっても、なにも恐れることはありません。この世が終わっても命は終わらず、神のもとで生き続けます。神の作られたこの世がようやく完成の時を迎えるのです。何も恐れることはありません。

神様の目的がこの世の完成であるように、人生の目的は「神との関係の完成」です。人間は神様から離れて罪深い生活をしてきましたが、神様の意志に従い、神さまとの関係を完成するのです。

冒頭で「新しい定義」と書きましたが、「幸せになること」と「神との関係の完成」は、同じことを別の表現で表しているだけなのかもしれません。人の幸せは傲慢な生き方にあるのではなく、愛のある生き方こそ幸せなのですから、、、

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コメント

さかばさん、ご無沙汰してます。

しばらく更新が無かったので心配していました。お元気そうで良かったです。

救われたいと思う人は皆救われるべきであって、そこに枠を作って限定し、恐怖感をあおることで人を集めようとする某宗教団体のやり方はどうなんだ?と思いますわ。

でもそういう私は「愛を持って」ということがなかなか出来ないダメな信者です(涙)。

投稿: あんじぇら | 2007/11/26 09:59

コメントありがとうございます。
ここのところ風邪をひいたり、忙しかったりで、なかなか書けませんでした。ご心配をおかけしました。

「愛を持って」というのは確かに難しいですね。どうしてよいかわからなかったり、自分勝手な考えになったり、、、

あまり頑張ろうとすると続かないので、最近はすこし控え目に傲慢さをなくす、いや、傲慢さに気づくように努力することが、「愛」に近づくことではないかと考えるようにしています。

(でも、それもなかなか、、、)

投稿: さかば(管理者) | 2007/11/26 22:52

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