« 苦しみを神に捧げる | トップページ | よし、よし »

2007/09/02

高慢な者が被る災難は、手の施しようがない

今日のミサの福音朗読は「客と招待する者への教訓」(ルカ14・1、7-14)でした。

「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」

という言葉に代表されるように、自ら上席につくような傲慢な態度を改め、上席を譲って自ら末席につくような、へりくだることが必要なのでしょう。

この福音にあわせて第一朗読は「謙遜/心のかたくなな者」(シラ3・17-18、20、28-29)でした。この最後のところにある

高慢な者が被る災難は、手の施しようがない。彼の中には悪が深く根を下ろしている。

という言葉を聞いて、晴佐久昌英神父の「生きるためのひとこと」という本の「ありえない」(pp.96-98)というエッセイを思い出しました。そこには、ポンペイの遺跡で有名なイタリアのベスビオス火山の近くにある新市街が遺跡よりも山側にある様子を見て驚かされたと書かれています。そして、繰り返す火山の噴火や津波による被害について

「ありえない」と思うのは人間が傲慢なだけ

むしろ神は、そんな災害から守るためにこそ、人間に愛と知恵を授けたのではないか

と書かれています。苦しみの中にある人への「命の言葉」を書かれたこの本の中で、唯一厳しいことが書かれています。しかし、それは神の絶対的な愛を信じている晴佐久神父だからこそ、書くことができる言葉だと思います。

乗り越えられない試練は与えられません。また、「ヤーウェ・イルエ(神は備えて下さる)」(リンク先はカトリック高円寺教会ANNEX)のです。

苦しみは必ず乗り越えられるものであり、いつか幸せな気持ちで振り返ることができます。そして、「ああ、これも恵みである」と感じられるときがきっと来るのです。そう思えるからこそ、苦しみの原因は自らの行いにあることを認め、傲慢が悪であり、へりくだることが重要であるという言葉を受け入れることができるのでしょう。

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

<')))><

|

« 苦しみを神に捧げる | トップページ | よし、よし »

コメント

さかばさんこんにちは。

リンク先指定ありがとうございます。

この文章の中で引用してもらうのはたいへんありがたいです。

また東京には「おやじの会」に合わせていらしてください。(笑)

いや~でもナイスタイミング。励まされるし、つながりを実感しました。

投稿: luke8488 | 2007/09/03 22:44

コメントありがとうございます。
ここのところ、ここのところ厳しい言葉ばかり目についていた中で、luke8488さんのブログに救われたので引用させていただきました。
日程が合えば、またお邪魔させていただきますので、よろしくお願いします(2か月に1回は東京出張しいるのですけどね)。

投稿: さかば(管理者) | 2007/09/03 23:09

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/138594/16324186

この記事へのトラックバック一覧です: 高慢な者が被る災難は、手の施しようがない:

« 苦しみを神に捧げる | トップページ | よし、よし »