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2007/09/01

苦しみを神に捧げる

先週のミサの福音朗読は「狭い戸口」(ルカ13・22-30、リンク先はJBS日本聖書協会)でした。

「狭い戸口から入るように努めなさい」

というこの福音は、神の御旨に従うことは困難で、誰もが簡単に救われるものではないことを示しています。説教でも「克己」(おのれに勝つ)という言葉がでるなど、戸口の狭さが語られました。誰もが救いを求めているのに、必ずしも叶わない、という厳しい言葉に、すこしさびしい様な気持がしました。

しかし、主任司祭のミサの後に行われる15分間の要理のお話は、そんな寂しさから私を救ってくれました。

この日のお話は、たまたま「心貧しきものは幸いである」でした。貧しい異邦人のためにも書かれたルカ福音書では「貧しきもの」とされていますが、ユダヤ人のために書かれたマタイ福音書に書かれたこの言葉は謙虚な人を指すとなっています。

ミサでは神の国に入ることが困難でしたが、心貧しきものや貧しきものは神の国に入れます。病苦に苦しむ人もおなじです。苦しみの中で神様のことをついつい忘れてしまいがちですが、苦しみを神に捧げれば良いのです。

人生の中で生じる様々な苦しみを、一人で抱える必要はないのです。神様に苦しみをささげ、御旨に従うことで神の国に入れるのです。

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)
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