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2007/06/09

キリストの聖体

入門講座も3回目となり、新しい神父ざまの持ち味が徐々に出てきました(勝手に評価してすみません)。

今回の入門講座も日曜日の福音朗読箇所の前後「十二人を派遣する/ヘロデ、戸惑う/五千人に食べ物を与える」(ルカ9・1-17)を読みました。イエスさまは2匹の魚とともに5つの「パン」を裂いて配り、5千人を満たされました。

この「パン」というのは、アジアでのコメと考えると良いようです。ユダヤの人にとってパンというのは、毎日ワインとともにいただくものです。

パンは労働の糧(かて)であり、汗です。また、パンの原料である小麦の作り方も、文化と大きくかかわり、技術の進歩によって作り方が変わってきました。「パン」は人間の生活なのです。

ミサでは「感謝の典礼」で、奉納行列の後に「パンを供える祈り」が唱えられます。

神よ、あなたは万物の造り主、ここに供えるパンは、あなたからいただいたもの、大地の恵み、労働の実り、私達のいのちの糧となるものです。

ミサは最後の晩餐を表したものです。命の糧であり、人間の生活である「パン」が聖霊によって「キリストの聖体」になるのです。

ここで、神父様が「星の王子さま」を読まれました。狐が金色の髪をした王子様に語るシーン(リンク先はTBS|新訳・星の王子様、読まれた本と若干異なります)です。

キツネはパンを食べないので、麦畑を見ても気がふさぐだけでしたが、仲良くしてくれたなら、王子の美しい金の髪を金色の麦で思い出し、麦の風音も素晴らしいものになるだろうと言いました。

これは、ご聖体と同じです。私たちはパンを見てキリストを思い出すのです。詩のように聖書を読めば、新しい意味を感じることができます。その意味で聖書は心の糧です。ミサもパンを見てキリストを思い出す心の糧です。

狐が「君がいなくても麦を見て思い出す」といったように、イエスさまがおられなくても、パンを見てキリストを思い出します。パンは体、ワインは血であり、人間の生活です。キリストの生活を思い出し、キリストの愛を思い出すのです。だから、秘跡とされているのです。

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