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2007/05/06

わたしがあなたがたを愛したように

今日の福音朗読は、「新しい掟」(ヨハネ13・31-33a,34-35)でした。最後の晩餐でユダが出て行った後、イエスさまは、新しい掟(おきて)を与えられます。

わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

このあと、イエスさまはユダに、そしてペトロにまで裏切られます。そんな弟子たちと分かっていても愛されていたと、何となく考えていました。しかし、説教で「イエスさまは、理解してくれていない弟子たちを愛された」と聞いて、「ドキッ」としました。そうなんです、公生活の3年間をかけてイエスさまが説かれた教えを、弟子たちは理解していなかったのです。そんな弟子たちであっても、イエスさまは愛しておられたのです。

日本語で愛というと、ついついエロースのように情熱的な愛や、フィリア(友愛)のようなお互いさまの愛を考えがちです。今日の福音のように「互いに愛し合いなさい」といわれると、友情のようなイメージを持ってしまいます。しかし、イエスさまは一方的に愛(アガペー)を与えられていたのです。

そういえば、答唱詩篇にもこんな言葉がありました。

いのちあるすべてのものに、主はしょくもつをめぐまれる

裏切っても、わかってくれなくても、神さまは愛してくださる、恵みを与えてくださるのです。そうなんですよね。それがアガペー(愛)なんですよね。

そして、奉納の歌として歌った典礼聖歌321番は、こんな歌詞でした。

いつくしみとあいがあればどこにでもかみはそこにともにいる

どんなにダメダメな私でも、神さまは愛してくださっている。そして、世の中のものに愛と慈しみを感じることができるなら、そこに神様はおられるのです。もし、少しでも主の道具として働くことができたなら、その時も神さまはともにおられるのでしょう。

そのように思っていると、今日のミサの共同祈願が始まりました。そして、最後のこの言葉を深く祈ることができました。

日々の生活の中で困難に直面し、悩んでいる人々の心を、福音の光で照らしてください。神への信頼と希望によって強められますように。

少しの間でしたが、神様を感じることができました。

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