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2007/04/09

復活とユビキタス

今日は復活の主日ミサでした。福音朗読では「復活する」(ヨハネ20・1-9)でした。マグダラのマリアが墓に行くと、墓から石が取りのけてありました。主が墓から取り去られたと聞いたペトロともう一人の弟子が墓に走っていくと、遺体を包んでいた亜麻布が墓の中に、頭を包んでいた覆いは離れたところに丸めてありました。

説教では「千の風になって」という詩の一節を話されました。風になったから墓前で泣かないで、その風は恵みを与え、見守る、というこの詩は、まるで今日の朗読箇所ための歌のようです。

今日の「聖書と典礼」の最後(p.7)に「生きておられる」という記事が載っていました。この記事では、「復活」という表現は生前の姿に戻ったという誤った解釈を連想させるので、「生きておられる」(ルカ24・23)を選んで用いるのが良いとされています。

栄光のキリストは目に見えないという「栄光の不可視性は、キリスト教の基本条件である」とされています。そして、キリストは超越的な次元に生きておられるからこそ、あらゆる時代、至る所の一人ひとりのうちに留まることができるとされています。

このお話は「ユビキタス」のお話ですね。最近は携帯電話などの話でよく聞く、ユビキタスという言葉は「いつでも、どこでも、だれでも」つまり、どこでも同じようなサービスが受けられるという意味です。英語だと、ubiquitousは「(同時に)至る所にある,遍在する.」(エキサイト辞書 新英和中辞典、第6版、研究社)という意味になります。

この「いつでも、どこでも、だれでも」という点は重要です。その場所に行かなくても、祈りは通じるのです。顔も見たことのない人であっても、祈ることで通じあえます。マザー・テレサの映画にも、マザーが困ったときに母国に帰った人にお祈りをお願いするシーンがありました。遠く離れた人のために何もできなくても、心を込めて祈ることで助けられるのですね。

祈りだけではありません。神様の恵みもユビキタスです。イエスさまの恵みは、風のように世界に広がっているのです。

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コメント

マザーテレサの映画のシーン、私も印象に残っています。「何もできない」と病気のために国に帰らなければならなくなった女性に、真剣に祈ってくださいとお願いされていましたね。祈ることの重要さをとても感じました。私も今は祈りは決して気休めのようなものではなくて、実際に力があるのだと信じています。

ところでさかばさん、お祝いの言葉ありがとうございました。さかばさんにひとつ教えていただきたいことがあるのですが・・・
私もこれから時々さかばさんのように、他の教会の御ミサにも与ってみたいと思っているのですが、その場合聖体拝領のときはどうしていますか?普通にご聖体をいただいてもいいのでしょうか?それとも祝福だけいただくほうがいいのでしょうか?

いつかさかばさんの教会にも行って見たいと思っています^^

投稿: deme | 2007/04/09 11:10

はい、ぜひお越しください。
ミサはどこで与っても良いので、普通に聖体拝領してください。小さい教会だと、初めてかどうか確認されることもありますが「XX教会のものです」といえば喜んで迎えてくださると思います。
ちなみに、ゆるしの秘跡も所属教会でなくても良いです。恥ずかしいので他所の教会で告白される方もおられます。遠藤周作さんもその一人です。

投稿: さかば(管理者) | 2007/04/09 12:25

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