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2007/03/18

財産とは何か - 「放蕩息子」のたとえ -

今日のミサの第1朗読は「契約のしるし」(ヨショア5・9a,10-12)でした。エジプトを出て約束の地にたどり着くまで神はマナを与えましたが、土地の産物を取るようになるとマナはなくなりました。神は必要なときに与えて下さるのです。

福音朗読は「『放蕩息子』のたとえ」(ルカ15・1-3,11-32)でした。放蕩息子は親に財産分与を求め、その財産をで放蕩の限りを尽くして、財産を使い果たします。飢饉になって食べるにも困った息子は、父に謝り雇い人になって食事だけでもしようと思います。父親の元に行くと、遠く離れていたのに父親は走り寄って抱きしめます。

この放蕩息子にとって、財産はお金でした。しかし、父親に抱きしめられたとき、財産が父親であることがわかりました。私たちにとって財産とは何でしょう。貧しいときは、お金が財産だと思うでしょう。病気になったときは、健康が財産と思うでしょう。友達がいなくてさびしい思いをしたなら、友人が財産と思うでしょう。あなたにとって財産とは何かを考えてみてください。

このお説教を聞いて思いました。悲しいとき、苦しいとき、くじけそうなとき、財産となるのは「信仰、希望、愛」であると。

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