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2007/03/05

一歩をふみだす明かり - 四旬節について -

入門講座は四旬節のお話でした。
復活祭前の40日(日曜日を入れると46日)と定められている四旬節は、節制して日ごろのことを振り返る期間です。様々な苦しみが私たちの中にありますが、聖書は慰めの言葉であり、希望に満ちた言葉です。

「『実のならないイチジクの木』のたとえ」は、3年もの間、実のならない木が切られようとしますが、「もう一年まってください、肥やしをやってみます」と、実りのときを待ってもらえるお話です。この3年間はイエスさまの公生活(弟子たちとともに神の言葉を語られた期間)を表しています。そして、実は、よろこび、お恵みの心、なぐさめ、を表します。つまり、神さまの恵みが得られなくて「もうだめだ!」とおもっても、もうちょっと頑張ってみようと思うお話です。

苦しいときであっても、必要なものは与えられます。「マナ」(出エジプト16・1-22)では、奴隷だったイスラエルの民がエジプトから逃れたものの食べ物に困っていました。そこで、

主はモーセに言われた。「見よ、わたしはあなたたちのために、天からパンを降らせる」

そしてマナが与えられました。

夕方になると、うずらが飛んで来て、宿営を覆い、朝には宿営の周りに露が降りた。この降りた露が蒸発すると、見よ、荒れ野の地表を覆って薄くて壊れやすいものが大地の霜のように薄く残っていた。

イスラエルの人々はそれを見て、これは一体何だろうと、口々に言った。彼らはそれが何であるか知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これこそ、主があなたたちに食物として与えられたパンである。

この霜のようなものがマナで、必要以上に集めても翌日になると溶けましたが、6日目に安息日の分を含めて2倍集めたなら翌日になっても溶けませんでした。

そして「契約のしるし」(ヨショア5・9-12)では、彼らが土地の産物を食べ始めると、マナはなくなりました。

このように、必要なときに、必要な分だけ与えられます。主の祈りで「日ごとの糧を今日もお与えください」と言いますが、その日に必要な糧を望むのです。

放蕩息子のたとえ(ルカ15・11-32)で、親からもらった財産を放蕩の限りをつくして使い果たした息子は、息子ではなく雇い人の一人にしてもらおうと親元に帰りますが、

『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』

と暖かく迎え入れられました。人が自分の力でやってゆけないとき、困難なときにいただく恵みが信仰なのです。

また、「私もあなたを罪に定めない」(ヨハネ8・1-11)は罪の女とも言われるお話で、姦通の罪を犯した女性が石打からすくわれるお話です。反省した人々が帰りやすいように地面に何かを書かれながら

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」

といって、石打をしようとしている人々に考えを改めさせます。そして、

「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」

と言って、ゆるし、清められました。

四旬節は、現状を受け入れながら、やる気を取り戻り、信仰を再生する季節です。現実は苦しい逆境の中にあっても、心の中で解決するのです。

四旬節第二主日の福音朗読箇所「イエスの姿が変わる」(ルカ9・28-35)は、キリストの御変容の箇所です。ここで、

「これはわたしの子、選ばれた者。これに聞け」

とされているのは、イエスさまについていく幸せを示しています。

信仰は、典礼聖歌に出てくる「あしのともしび」のような道の光です。一歩を踏み出すための灯りなのです。

「信仰」(ヘブライ11・1-3)にこうあります。

信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。

郵便ポストに出すときのように疑わず、電車に乗るときに時刻表を持っていれば安心するように、「これに聞け」とされたイエスさまについていきましょう。

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

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