北原怜子の回心 - 蟻の街の子供たち その2 -
回心というとなんとなく一生に一度のような気がしていたのですが、灰の水曜日に「回心して福音を信じなさい」と言われます。大辞林 第二版(三省堂)によると、
あるきっかけで、従来の生き方を悔い改め、新しい信仰に目覚めること。宗教的思想や態度に明確な変化が生じ、新たな統一的自我が生まれる体験。
とあって、回心というのは何度でもありうるものなのでしょうね。
回心が何度も経験できるものであるとするなら、北原怜子さんは、ゼノ修道士と松居桃楼さんを通して、4度の回心をしています。
北原怜子さんは大学教授のお嬢様でしたが、人生とは何なのか、メルセス会のシスターに教えを請い、洗礼を受けました(1回目の回心)。
そして、ゼノ修道士から蟻の街の話を聞き奉仕を始めます。しかし、松居桃楼さんから偽善だと言われて自らバタヤになり、蟻の街の子供たちと共に屑を集めます(2回目の回心)。
結核の療養を終えて久しぶりに蟻の街に戻った際に、子供たちの成長に自分の居場所を見失うものの、アリの町にとらわれないフィリピン・モンテンルパの戦犯死刑囚のための活動に目覚めたます(3回目の回心)。
アリの町に代わりに来られた女性がバタヤの方と結婚することを聞き、それまでの、自分以外では子供の指導はできまい、蟻の街に飛び込んでバタヤになるだけで自分を捨てたことになる、といったおごりに気づき、蟻の街を去ろうと決めたとき(4回目の回心)。
北原怜子さんは、回心するたびに痛悔の念が強くなっています。これがキリスト教の深いところなのでしょうね。最初はわかったつもりえらそうにしていても、教えを理解すればするほど自分の罪深さがわかり、苦しくなってきます。
以前、入門講座で神父さまが「洗礼を受けたから幸せになれると思ってはいけない。もっと苦しくなる」と言われていましたが、こういうことを言われていたのでしょうね。
(反面、すべての出来事が恵みに感じられる、怒りや悲しみといった強い感情にとらわれなくなる、といった面もあるので差し引きプラスだと思っています。念のため。)
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