汚名を着せられるとき、あなたがたは幸い - 天使のゼノさん その1 -
桑原一利著「日本二十六聖人の祈り 天使のゼノさん」(聖母文庫)を読みました。26聖人の天使が出てきて、ちょとファンタジックな本です。
コルベ神父から日本二十六聖人の話を聞いて日本に来た修道士のゼノさんは、26聖人に守られながら日本で暮らします。聖母の騎士を発行するとき、コルベ神父の書かれたラテン語を大浦天主堂の梅木神父が日本語に訳そうと悪戦苦闘していると、ことばの天使 聖パウロ三木が現れてニューロンを操作します。
傍にいたゼノさんには言語野のニューロンを善意に移動させます。聖母の騎士は順調に発刊され、ゼノさんは言葉の発達は止まりますが、「マリアさまにお祈りタノミマース」と言いながら、良い行いをたくさんするようになりました。そんな感じで、事実とファンタジーを織り交ぜながら話が進みます。
戦争中は大変だったようです。そして、原爆投下によって長崎の町は壊滅状態になり、多くの人が亡くなりました。しかし、コルベ神父が選んだ土地、多くのキリシタンの骨が下に埋まっているとされた土地に建っていた修道会は、比較的小さな被害ですみました。
戦後になって、ゼノさんは「カワイソこども」をあつめて聖母の騎士園をはじめます。慈善事業を始めたゼノさんは、長崎県知事から孤児救済会長を命ぜられ、各地の孤児を集めました。
蟻の町の神父とも呼ばれていたゼノさんは、蟻の町のマリアと呼ばれた北原怜子さんと共にアリの町をはじめ色々なところで奉仕して、多くのマスコミにも取り上げられました。
そんなゼノさんに対して、マスコミを利用して寄付させるのは正しいことかと批判されました。「蟻の町に十字架」という教会を建て様としている記事が新聞に載ったときは、神父でもないのに、売名行為だと批判されました。空き瓶の回収や下着の配布でさえも偽善と批判されました。そんなとき、ゼノさんは言いました。
「あなた、そんなこと考える、自分かわいいからね。自分かわいいと他人にどう思われるか、気にするね。自分どう思われる、これ、関係ないよ。自分、まず、捨てなさい。カワイソこども、たっくさーんいます。ゼノ、死ぬひまもないくらい、いそがしいよ(p.169)。」
そんな元気なゼノさんでしたが、ゼノ少年牧場を設立するころには体が弱り、日本も変わってきました。ゼノさんだから協力したのにゼノさんが運営しない、ただで働かせてゼノさんは何もしない、売名行為だと批判された時には、
もう、自分の活躍の場はないのだろうか。日本は変わってしまったのだろうか。
と悩みました(p.266)。
ポーランドから言葉のわからない日本で奉仕し、帰る機会があるのに帰らずに、全国のボロのひと、カワイソこどもを数え切れないくらい助けたゼノさんは、外にも出られなくなり、ついに「ゼノ、頭、ボロなりました」
売名行為とさげすまれ、感謝の言葉のかわりに悪口を言われたゼノさんでしたが、さいごに幸せなひと時がやってきました。1981年教皇ヨハネ・パウロ2世が日本にやって来られたのです。東京カテドラル聖マリア大聖堂横のカトリックセンターで教皇に謁見したとき、周りの人たちはゼノさんが教皇とわかるかどうか心配だったようです。しかし、教皇が
「ゼノさん、長い間、貧しい人や、かわいそうな人を助けてくれて、ありがとう」
とゼノさんの手を握り、頭をなで、車椅子のまま抱きかかえるようにされると、ゼノさんは、
「パーパ、パパ、パーパ」
と、大きな泣き声をあげました(p.289)。その様子はTVで中継され、ゼノさんにお世話になった人、ゼノさんを知っていた人、そして蟻の街を描いた「星の降る街」を演じたタカラジェンヌたちもゼノさんに感謝の涙を流したのでした。
謁見の翌年、コルベ神父と長崎に上陸してちょうど52年の1982年4月24日、天使のようなゼノさんは、マリア様に抱かれて帰天されました。
この本を読んで、先日のミサの朗読箇所を思い出しました。
人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。(ルカ6・22-23)
アーメン
(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)
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