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2007/02/08

ゆめ、現実、希望

子供のころ、誰しもが夢を抱きます。TVのヒーロー、スポーツ選手、大統領、パイロット。まあ、人それぞれで色々な夢があるでしょう。人によっては夢が実現しますが、多くの人は途中であきらめます。

働かないと生きていけませんから、どこかで妥協して現実にあわせるわけです。やりたいことではなく、できることをするとか、「割り切った」とか、「大人の判断」とか、色々なことばで自分を言いくるめるわけです。

でも、なんだかんだ言っても、やっぱり何かに期待しているもんですから、不満は溜まるわけです。これって何なんでしょうね。

実は求めているものが違うのでしょうね。カッコいいとか、ちやほやされるとかいう理由で選んだことでも、夢をあきらめてお金になるからとはじめたことでも、そのこと自体が目的でなく、きっと幸せになれると心のどこかで思ったから選んでいるのでしょうね。割り切ったとか言いながら、お金があれば幸せになると思っているのです。

でも、幸せはそこにないかもしれません。夢が実現したなら更なる夢を抱きます。割り切って仕事をしていても、昇格したいとか、同僚と仲良くしたいとか、なにか満たされないものがあって不満が溜まるのです。もっと、もっと、と人間の欲望は果てしなく、限りがありません。欲望は、人間が成長するための力にもなりますが、時には人間を束縛して苦しめます。

不幸だと思っている時も、幸せを捨てているだけなのかもしれません。もう希望がないというときも、まだまだ希望があるのに見ようとしていないのかもしれません。責任が自分にないと人を批判するときも、自分の原因に目をつぶっているのかもしれません。

キリストの受難と復活には、希望へのメッセージが込められています。あなたがどんなに不幸状況であっても、仲間に裏切られ、民衆に裏切られ、さげすまれ、犯罪者として亡くなったイエスは、その傷を癒し、近くにある幸せを探す力を与えてくれるでしょう。

あなたがもうだめだと思うときでも、処刑しようとする人々のゆるしを神に請い、共に処刑される犯罪者を天国に導いたイエスは、どんなに希望がなくなったときでも心は自由であり、人間は豊かな心を抱けるのだという希望を与えます。

あなたがすべてが終わったと思うときでも、死を迎えた後に復活し、使徒たちの心によみがえり、人類の希望の光として生き続けたキリストは、努力が実らなかったと思えることも無駄ではなく、すべてのことに意味があり、良き行いは人々を幸せにするという希望を示します。

本当に欲しいものが幸せであるなら、きっと信仰が救ってくれるでしょう。

参考:遠藤周作著「キリストの誕生」「イエスの生涯」「私のイエス」

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