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2007/01/25

洗礼と洗礼名

そろそろ洗礼申込書を書く時期になったのですね。少し前に入門講座で習った洗礼名のお話を元にまとめておきます。

洗礼は、神さまの子どもになったお祝いです。家の中で父親を愛している限り守られるように、教会のメンバーになって天国の住人としての資格をいただき、生きる力をいただきます。洗礼を受けると、神さまによって清められます。洗礼は天国への関所の札のようなものです。

洗礼名は洗礼のときに授けられます。人は必ずどこかに所属し、名前がつけられ守られます。洗礼名は家族でなく、神さまからいただきます。戒名と同じように天国での名前です。戒名も元々は生きている間にもらったそうです。

さて、洗礼名は霊名とも呼び、誕生日の聖人や思い入れのある聖人の名前をいただきます。聖人カレンダー(中谷千絵さんのホームページ)あるいは聖人暦(リンク先はWikipedia)と呼ばれるもので、自分の誕生日の聖人を見てください。それ以外では、Wikipediaの著名な聖人一覧などで、探してください(他にも色々な聖人がおられます)。

通常は同性の聖人の名前をいただきますが、女性が「ヨセフィーヌ」(ヨセフの女性名)とさ
れることもあります。また、「無原罪のマリア」「アシジのフランシスコ」のような名称も可能です。

なお、成人洗礼の場合は、洗礼式と堅信式を一度に行うことが多いので名前はひとつのの方が多いです。わからないことは、神父様、代父母、シスターなどに相談してください。

ご参考までのこれまでの入門講座の記録と経験談をあげておきます。

入門講座の記録
カトリックの洗礼
水と霊によって新たに生まれる
罪の痛悔後に洗礼をうける
洗礼(罪に死にキリストに生きる)と入門式
堅信~按手により聖霊を受ける~
聖霊の働き
堅信の賜物

経験談
受胎告知と入門式
ミサと洗礼志願式
洗礼良いですよ~

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コメント

4月に洗礼を受けることになりました。

実は、はるか?10数年前私みたいなものに
はおこがましいと思って一度
「やめときます・・・・」と拒否してしまったのです。とても後悔しました。
今回、神父様の「洗礼はきみの心ひとつやで!」
という言葉で「お願いします」と言ってし
まい(?)ました。

私みたいなものでもほんとに洗礼の恵みに
あずかれるのかしら。
半信半疑な気持ちですが、復活祭まで歩んでいこうと思います。
入門講座の記録を読んで、勉強させて
いただきます!

投稿: チキータ@放蕩息子 | 2007/01/25 08:19

よかったですね。ついに時が来たのですね。
洗礼は望めば誰もがあずかることのできる恵みだと思います。ゴールでなく始まりなので、気負わずにそのときを迎えてください。

洗礼、いいですよ~

投稿: さかば(管理者) | 2007/01/25 20:17

さかばさんが、背中を押してくれたので今日ちっちゃーな1歩を踏み出せました。(今日書いた記事にトラックバックさせていただきました。)

去年の12月に、神父さんに「いずれ洗礼を受けたい」という話はしていたのですが、もう年末だったので「勉強会は年が明けてから」という話になってそれきりだったんです。

来週には、神父さんに予定をお聞きして勉強会をしてもらえることになりそうです。

投稿: ソラ | 2007/01/28 11:56

>ソラさん
トラックバック先にもコメントさせていただきましたが、本当によかったですね。
洗礼までには、入門式、洗礼志願式、入信式、と段階がありますから(記事中に間違いがありました)、洗礼を受けるまではいつでもやめられます。洗礼に向けてあせらず、ゆっくりと歩んでください。洗礼までの歩みのなかで、恵みがどんどん育っていくと思います。

投稿: さかば(管理者) | 2007/01/28 14:40

コメント、ありがとうございました。
>洗礼を受けるまではいつでもやめられます
なんだか、どんどん進まなければいけないような感じでちょっと焦りを感じていたので、安心しました(笑)
さかばさんのおっしゃるとおり、あせらずゆっくりすすみたいと思います♪

投稿: ソラ | 2007/01/29 20:49

聖霊降臨に洗礼を受けるため準備をしていた者ですが、教会行事のため延期することになり、落ち込んでいる、今、たまたま貴方のブログに出会い癒されました。毎週、教会へ通いはじめて三年、入門講座を受けてから2年10ヶ月が過ぎ、講座では今、洗礼の秘蹟まで来たところです。神父様から井上神父様の本を紹介され、家内から遠藤周作の本を、自分でナウエンなど読んでいます。「死海のほとり」に書かれた道行きの描写は鮮明に心に残りました。

投稿: ひつじ | 2008/04/27 17:08

>ひつじさん
それは残念でしたね。
今が一番洗礼を受けたいときだと思いますが、一番良い時でもあると思います。
もちろん、洗礼後にはご聖体をいただけるなど別の恵みがありますが、洗礼前というのは一度だけですから、与えられた時間をぜひ大切にしてください。
「死海のほとり」は、まだ読んだことがありません。確かそれ以降の遠藤さんのキリスト教文学の分岐点になった作品ですね。ぜひ読んでみたいと思います。

投稿: さかば(管理者) | 2008/04/27 21:34

コメントへのお礼大変遅くなりました。
25日洗礼を受けることになりました。
励ましありがとうございました。
今は、代父になっていただく方も決まり、洗礼名は決めつつあるところです。
私のばあい、洗礼志願式と洗礼式を同時に行うそうです。ちなみに入門式は昨年12月24日でした。洗礼は、やはり復活徹夜祭かクリスマスがいいのかなとも思いました。ともかく神様からのお恵みに感謝です。そして、さかばさんに感謝です。

投稿: ひつじ | 2008/05/08 21:37

>ひつじさん
いよいよ洗礼ですか。良かったですね。
25日は「キリストの聖体」ですね。
始めていただくご聖体は、きっと素晴らしい思い出になると思います。

投稿: さかば(管理人) | 2008/05/08 22:37

初めての聖体拝領はとても感慨深いものでした。いただいた「パン」は、私にとって「最中のかわ」を潰したもののように感じました。いただいた「ぶどう酒」は、しっかりとした味の白ワインでした。
今でも、キリストの体が初めて私の中に入ってきた感触が蘇り「キリストによってキリストとともにキリストのうちに」が実感される特別な時でした。
 洗礼前、頭を垂れ祝福をいただいたとき、司祭の掌から伝わる何か大きなものに、この身が包まれているような中で、感謝しながら祈るのも好きでしたが・・。

投稿: ひつじ | 2008/06/04 23:39

>ひつじさん
コメントありがとうございます。
そうですね。最中の皮と感じられたということは、香ばしいほうのご聖体ですね。教区によってもっとふわふわだったり、ワインの味が変わったりしますので、機会がありましたら、お試しください。
それと、初聖体も感動しましたが、神父さまの祝福もなかなか感慨深いものですね。神父さまやこちらの気持ちによっては、大きな恵みを感じたものでした。

投稿: さかば(管理人) | 2008/06/05 00:28

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受信: 2007/01/28 11:53

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