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2007/01/09

迎えられ、派遣される

月曜は主の洗礼のミサでした。洗礼というと、水によって罪が消えることを思い浮かべがちですが、迎え入れる意味もあります。洗礼によって人は迎え入れ、また迎え入れられます。そして、人と人が洗礼によってつながります。

洗礼の行われる入信式では、堅信の塗油も行われます。この油によって、司祭、預言、王の権限が与えられ私たちは派遣されます。

司祭は、人を迎え、人と人をつなぐことが仕事です。預言とは神の言葉を預かり実践することです。王は、支配することが仕事です。人を支え、心を配るのだそうです。

福音朗読(ルカ3・15-16/21-22)の後半「イエス、洗礼を受ける」には、こう書かれています。

民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

こんな声が聞こえるように、キリスト者として生きて生きたいものです。

(聖書の引用は日本聖書協会 新共同訳)

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